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10年以上のオタクが、推し活を卒業してみた。

これは、人生の半分以上を、ソシャゲと推しに注いできた生粋のオタクが、
たった一言をきっかけに、推し活を卒業するまでの記録です。


同じような悩みを抱える人の力になればと思い、自分の気持ち整理も兼ねて書きました。(おおよそ3,800字)


私の人生そのものだった

私のオタク人生の始まりは、小学生。
日曜日の夕方5時。たまたまテレビでやっていた某アニメに出会ったことでした。
次の日行った書店で、その一番くじを見かけたり漫画が大ヒットしていることを知りました。タイトルとあらすじが気になった私は、すぐさまネットで調べ、興味本位で翌週から連ドラ予約をしました。
(ちなみに、私を沼に突き落としたのは、マ○のジャー○ァルさんでした。)

自己肯定感が低すぎる私は、案の定、ソシャゲと推し活に依存しました。
どんなに小言を言われたり、家族の中で1人浮いて、「理解されていない。」と、分かっていても辞めることが出来ませんでした。
自分を着飾ることもせず、画面ばかりを眺める日々。
でも実際、家族に相談できない悩みを抱え、体と心がだいぶ終わっていた時期に、ソシャゲで出会った仲間や推し達に救われたのは紛れもない事実でした。
今この瞬間生きていられるのは、あの時支えてくれた人達がいたからです。
ありがとう。

目が覚めた瞬間

どっぷりと沼に浸っていたある日。
そんな私に、何気ない家族の一言。

「物が多いし、なにより、お金、使いすぎじゃない?」

そんなことを言われ、胸の奥がチクッとした私。

受験勉強や就職前の引越しのこともあり、改めて部屋を見渡した後、何故だか急に罪悪感が込み上げてきました。
そして、推し活引退と、グッズを全て手放すことを決意します。

それからの日々は、その一言が胸に刺さってスッキリしないのもあり、毎日ログインしていたソシャゲ達に対して、週に数回顔を見せる程度になりました。
そして、断捨離生活を続ける中で、ある結論に辿り着きました。

推しは所詮、他人である。
自分の生活がままならなくなったら意味が無い。
画面の向こうの推しよりも、今を生きる自分を好きになりたい。
過ぎた時間も使ったお金も戻らないけど、得たことをちゃんと糧にして、これからを変えていく。大丈夫。きっとできる。

決意と行動

まず最初に、1番簡単なことから始めようと思い、ログイン率やモチベが低いソシャゲは全てアンインストールしました。
多くの友達と繋がっているコンテンツは、完全には断ち切らず、グッズ収集や課金をやめる計画を「紙に書きながら声に出し、自分に言い聞かせながら形に残しました。」

そして、手持ちのグッズをいくつかのカテゴリに分類しました。

・手放すもの
・手放すか迷うけど、使わないとわかっているもの
・友だちとの交流で必要なもの
・残しておこうかなぁ?(残すもの)

「手放すもの」を全てメルカリに出品するのにだいたい3週間以上かかりました。
以下、カテゴリについて詳しく書きます。

手放すもの

これは、最推し以外のグッズ(クローズドを買った時に違うキャラが出た)や、同じ界隈で好きだけど、推しほどの熱は無いキャラのグッズたち。

あとは、推しであっても友達が持っていないから写真を撮ることが無かったり、押し入れの奥に眠っていたり、活用が難しい、など…。様々な理由で、「手元にあっても場所を取るだけになっている!」といったものを、X(旧 Twitter)で譲渡募集したり、メルカリに出品しました。

手放すか迷うけど、使わないとわかっているもの

受注品や予約戦争を勝ち抜いたもの、ライブや現地の痛バに使った缶バッジなど。

簡単に手放す決意ができたものと違って、思い入れのあるグッズたち。何度か使ったけど、丁寧に扱っていたから状態は綺麗。
だけど、今後使うビジョンがない。しかも、今なら手放しても迎え入れてくれる人がいるかもしれない。

色んな想いがあるため、手放すか躊躇しました。「手放す」or「残す」の2つで分類しようとしたらひとつに5分以上かかったので、このカテゴリをつくり一旦手元に残すものとして、仕分けることに専念しました。

友だちとの交流で必要なもの

推しの等身アクスタやぬいちゃんのように、一緒にお出かけして写真を撮ったりする時に使うもの。
年度末に、友だちと東京旅行に行く予定なので、その時に使いたいもの。でも、旅行が終わったら売ってもいいと思ったグッズたち。
ここは思い出だけでなく、今後も友だちとの交流においては使うものなので、売るものは慎重に分けました。

残しておこうかなぁ? (残すもの)

このカテゴリはいちばん少なかった。というか、少なくした。
「別に、持ってても損は無いし…でも売ってもいいなぁ…」という気持ちを反復横跳びしているものが多々ありました。これらは手元に残す気持ちが8割なので、「手放すか迷うもの」とは別カテゴリとして収納の紙袋も分け、いつでも手放せる準備をしておきました。
実際、初めて買ったCDや色んな場所へ一緒にお出かけしたぬいちゃんはどうしても手放せず__。なので、「全て手放す」決意をしたのに、完全に断ち切ることは出来ませんでした。

また、これらのカテゴリに含めないリボンや布、収納ケースなど。推し活に関連した雑貨や材料は友人に譲ったり別の物に活用しました。

変わり始めた生活

推し活をやめてから、自分自身と生活環境にしっかりと目を向けられようになりました。

コンビニやインスタントにかけていた食費を、新鮮な野菜を買うお金と手間に。
イベランに使っていた時間を、仕事の勉強や読書に。
コラボカフェやフードのお金は、美味しいスイーツに。
推しを考えていた時間は、自分自身について見直す時間に…。

___話は変わりますが。
私がオタク初期にいた界隈は、公式からの供給が極端に少なく、自給自足をする日々でした。
イラストやアニメーションを描いたり、フィギュアやストラップも作りました。当時狭いコミュニティだったけどオフ会も開催しました。
とても楽しい日々で、嫌いな自分なんか見向きもしませんでした。

そして、今回。
推し活引退の決意と行動にあたり、自分の人生について振り返ってみました。ついでに、自分の長所と短所についても。

今までのネガティブ思考な私は、長所を考えることは苦手で、思いつきもしませんでした。(短所なんかいくらでも出てくるんだよ)

しかし、改めて自分の性格について考え直すと、
『もしかして、

思い立ったらすぐペンをとり、足を踏み出して行動する力がある。
そして何より、「何かを創作したり、ものをつくることが大好き」である。

というのが、私の最大の長所では無いか?』と、いうことにも気が付けました。

短所は「よく燃えてすぐ冷める」です。しかし、今でも、ものづくりは何年も飽きずにつづけています。

得たものと失ったもの

得たものと言えば、前の項目にも書きましたが、自分自身、もとい自分磨きにお金をかけられるようになりました。それは、服やカバン、食費だけでなく、本を買ったり遠出したりと知識や経験を得ることもです。ジャンルや界隈に囚われず、広い視野で物事を見ることができるようになった気がします。

失ったもの、という表現は正しくないかもしれません。
たしかに、今まで推しにかけていた情熱はほとんど消え去りました。お金も時間もたくさんかけてきました。別のことに活用すればよかったのに。と、後悔が今でも胸の内にあります。
しかし、推し活によって身につけた、裁縫や工作の技術、デザインセンスなんかは、生活の様々なところで役に立っています。

○オタクになってからした事
・イラストやアニメーション制作
・オリジナルアクリルキーホルダーやフィギュアの制作
・小説を書く
・動画を作る
・オフ会を開く
・ライブやアニカフェなどの現地に参戦する
・記事(ブログ?)を書く
・コスプレ
・グッズの箱買い
・何かをイメージ(モチーフに)したものを作る、お菓子や手芸など。etc…

強いて言うなら、友人との会話のレパートリーや遊びに行った時にすることが、少し減った気がしました。
しかし、最近始めた創作のネタを相談したり、漫画に詳しい友人から妄想を聞いたり、料理を振舞ったり、別に関わり方が完全になくなったわけじゃないんです。

むしろ、失い続けてきたものを今後も浪費することに終止符を打てたんです。私は迷いも損も、躊躇いなんてのもありませんでした。
推し活を辞めても、実際に会って話す友人がいるから虚しさもない。
あの時、決心して行動して良かったと、心の底から思っています。

これからどうしたい?

私は、グッズ断捨離を始めた頃、「推し活を辞めて、そこに使っていたお金で、他の趣味を極めたい」と考えていました。なので、新生活が落ち着いたら、私は料理が好きなので、昔から夢だった料理教室に通い始める予定です。
安定した収入が入ったら、今まで無駄遣いしてしまった分以上に親孝行したいと思います。

まとめ

推し活は、悪いことでは無いし、何か心の支えがあることは生きる上で大切なことです。しかし、それで悩んで苦しくなっては元も子もありません。
この記事は、あくまでも全て「私の個人的な価値観と行動の記録」ですので、悩んでいる誰かの助け船になればいいなと思っています。
みなさんの推し活ライフが今後もより良いものであり続けられますように。


今後の活動についてですが、オタクを卒業しても、友人の推し活記録などについては記事を書き続けていきますので応援よろしくお願いします!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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