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【レビュー】「Dr.Bala」~私は何をして生きるのか

なにが大村医師を動かすのだろう。レビューを書くためにメモを取りながら見ていたのに、途中から手が止まり見入っていた。

「Bala」とはミャンマー語で「力持ち」のこと。由来については語られなかったが、大村医師とミャンマーの人たちとのかかわりの中で「力持ち」というニックネームが付くようなエピソードがあったのかもしれない。それほど、大村医師とミャンマーの人たちとの間は近しい。

2007年に長期滞在のボランティアとしてミャンマーに入ってから、大村医師は自分の夏休みを使って毎年東南アジアへ出かけ医療活動を行う。初めから順調だったわけではない。大村医師自身、活動を始めた当初は「忍耐、忍耐と自分に言い聞かせている」と語っている。

簡単でないことは容易に想像できる。医療後進国。血を吸わないガーゼ、貫通しない針、効かない麻酔……。そんな医療環境に置かれている発展途上国の人たちの治療は十分なものではない。東南アジアの人たちを助けたい。国際貢献をしたい。それが大村医師を動かす原動力だ。

ミャンマー、ネパール、カンボジア、ラオス。救命救急医であった大村医師は必要に応じてさらに熱帯病を学ぶために現地の大学に入学し、さらに耳鼻科の経験を積むために日本に戻って慈恵大学病院の耳鼻科医局に入局する。すべては発展途上国の人たちを助けるために。

ポケットマネーでカンボジアの医師を日本に招き、日本からの援助が必要であることを訴えた。さらに発展途上国の医療を底上げするため、カンボジアやラオスの耳鼻科医師たちを日本に招き、3か月間の留学制度を立ち上げる。日本では当たり前であった内視鏡を使用した術式をカンボジアに初めて持ち込んだのは大村医師だ。

「行ってやってる」という偉そうな態度ではない。現地の人の歌を歌い、現地の人が行くところへ行き、現地の人と同じものを食べる。慈恵大学病院の大櫛医師は「彼はいつも対等であろうとしている」と話す。

「自分がやったことで誰かの人生が豊かになるのがうれしいじゃない。生きてるって思うじゃん」

大村医師を動かす動機だろう。

大村医師の活動によって人生を変えた少女がいる。ミャンマーのエイミーは3歳のときに大やけどを負い、顔の右半分は溶け、右手は顔に癒着していた。ミャンマーではそのような人は「バケモノ」とさげすまれる。エイミーは3歳のときから15年間、家の中に隠され外に出てくることはなかったという。初めて大村医師の診察を受けた時、エイミーは母親の陰に隠れるばかりで表情もなかった。大村医師によって剥離手術が行われ、エイミーは人生を取り戻した。

「一番うれしいのは仕事ができるようになったこと」

大村医師と共に写真を撮るエイミーは微笑んでいた。もしかしたら一生を家から出ることもなく終えていたかもしれないエイミーの人生を、大村医師の活動が変えた。そしてまた、エイミーのエピソードを語る大村医師も満足そうだ。誰かの人生を変え、その人が生きる喜びを感じられるようになる時、大村医師もまた「生きている」と感じ、人生の意義を感じるのだろう。

私には何ができるだろう。誰かの人生を変え、そのことで自分も「生きている」と感じられるなにか。それは「書くこと」かもしれない。大村医師のように、劇的ではないかもしれない。まだその域まで達していないのはもちろんだ。

大村医師でさえ学び続けた。自分の可能性を広げるために。それなら私も学び続けよう。書くことで、人生とまではいかなくても誰かの何かを変えるきっかけを作りたい。

そんなことを考えさせるドキュメンタリー映画だった。

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