見出し画像

東京エクストリームウォーク参加レポ(2023年10月)

昨年10月に出場した100kmウォークイベント「Tokyo Extreme Walk(東京エクストリームウォーク)」。
そういえば今日は春大会の日だ!と思い出して、昨年10月に参加した際に書き記したレポを見返したところ、やっぱり最高におもしろい経験だったと思えたので、個人ブログに載せたテキストを再編集してnoteにも掲載してみようと思います(本当は大会前に掲載したかったけど間に合わず…!)。
約7ヶ月が経った今も「つらかったな〜〜〜」という感想が一番に出てくるけれど、参加してよかったと思える出来事もあったので、最後に追記しました。1万字超えです!

はじめに

2023年10月21日〜22日にかけて「TOKYO Xtream Walk」というイベントに参加した。関東近郊(東京)を100km歩く!というシンプルかつちょっぴりおかしなウォーキング大会で、毎年春と秋の2回開催されている。私は今回が初参加だったのだけれど、「エクストリーム」という名を冠するだけあって、肉体/精神の限界突破を経験することができた。
人生通してまともな運動習慣なし、どちらかというと虚弱体質な私がなぜこんなイベントに参加に至ったのか、そして参加したことで何を得ることができたのか、イベント終了後にこの身に訪れた試練まで、ここに記したい。

準備編

参加の経緯

正直なところ、ノリとしか言いようがない。友人である櫻子ちゃんが、Instagramのストーリーズで「こんなイベントがあるんだけど、誰か参加しませんか?」と呼びかけているのを見て、その3秒後には「興味あります!」とメッセージを送っていた。不安も戸惑いも何もなかったので、本能が私の指先を動かしたのだと思う。櫻子ちゃんも、(当時は)関係性の薄い知り合いから突然連絡が来るだなんて思っていなかったはず。

私には「おもしれー女として死ぬ」という夢がある。基本的にこの世界に絶望しきっているので長生きする気は毛頭ないけれど、せめて「超おもしろかった〜〜」と満足してこの命を終えたい。じゃあ、どんな要素がおもしれー女になるために必要なのか?と考えたとき、仕事上の頑張りやプライベートの充実はもちろん、自分が持つ選択肢をなるべく使って経験値を増やすこと、そしてそれをおもしろおかしく他者に伝えていくことが大事なのかな、と考えている(おもしれー女と認識されなければ、おもしれー女になれない)。
だからこそ面白いカードが配られたら必ず引いてきたし、手元にカードがなければ自らドローしてきた。そういう意味では、100kmウォークは今の自分の身の周りで起こる、最も面白そうなイベントだった。そりゃ、参加するでしょう。

心構えと事前トレーニング

運動はからっきしだけど、歩くことだけは好きだった。高校生の頃は特によく歩いていて、週末は暇さえあれば散歩。千葉寄り東東京の実家から原宿まで散歩がてら買い物に行ったこともある。そうした経験からか「なんとなく完歩できるんじゃない?」という根拠のない自信を持っていた。

2023年の春から体質改善のために軽い運動を心がけていたのもあって、100kmウォークの練習もその延長線上でスタート。多摩川沿いを散歩したり、近場の街に用事があれば歩いて行ったりと地道な練習を重ねたおかげで、すぐに10km程度なら歩けるようになった。あとは、過去の参加者のレポを読んでひたすらイメトレ&装備の調達。調べたところ完歩率も80%程度と高く、参加者も思いの外50〜60代が多いようで(なんと最年長は80代!)、いくら身体が弱いといえど「いけるだろう」という気持ち。

本番を想定した長距離練習は一度だけ。一緒に参加する櫻子ちゃんと、10月頭に夜通しで山手線一周を歩いた。だらだらおしゃべりしながらだったので12時間もかかってしまったが、無事に約43km程度の距離も完歩。体力・メンタル面も何度か厳しい局面を迎えたものの、思ったよりも楽しく歩くことができた。ただ、ここで受けたダメージがなかなか凄まじく、全身筋肉痛や倦怠感、抗えない睡眠欲などに襲われ、回復までに3日ほど要してしまう。そこで初めて「本番ではこの距離の2倍以上歩くのか…大丈夫か?」と一抹の不安がよぎるが、本番まであと1ヶ月弱。頑張るしかないと気合いを入れ直す。

ちなみに筋トレはほとんどしていない。9月まで週1回パーソナルトレーニングに通っていたが、上記の筋肉痛の影響で直前はまったく行かなかった。結局、本番2週間前はほとんど歩くことなく、整体でコンディションを整える程度で本番に臨むことになる。

装備・持ち物

100km歩くには何よりも所持品と装備が大切とのことで(歩き終わった今は、本当にそう!と強く言いたい)、過去の参加者のブログなどを参考にしつつ、Amazonやユニクロなどの量販店で購入。スポーツ用品店はなんか怖くて行けなかった。

・ウェア(上)
長袖インナーはAmazonで購入。伸縮性・速乾性のあるベーシックなスポーツインナーで1,500円くらいだったと思う。その上にユニクロのエアリズムTシャツを重ねた。アウターは日中用と夜用で2種類。前者はユニクロのポケッタブルUVパーカー(3,000円程度)、後者はしまむらで購入したウィンドブレーカー(3,000円程度)を重ね着。帽子もユニクロで軽くて良さげなものを適当にチョイスした。

・ウェア(下)
ワコールのスポーツタイツCW-Xの上に、ユニクロのショートパンツを重ねた。CW-Xはほかの参加者を見る限り鉄板アイテムっぽい。脚への負担が想像以上だったので、スポーツタイツは必須。全部で10,000円程度。

・靴
本大会の協賛企業であるアシックスで購入。原宿店できちんと足のサイズを測ったうえで、店員さんに「じつは100km歩く予定があって…」と相談しながら選んだ。だいたい20,000円くらい。靴はケチるべからず。

・靴下
最初は3足500円の激安くるぶしソックスを履いていたが、5本指ソックスがいいという情報を得て、AmazonでTabioのスポーツ用5本指ソックスを追加購入。普段のサイズは23cmなので21-23cm用サイズを購入したが、ちょっときつくて、もう1サイズ上にすればよかったと後悔した。あと、替えのソックスを持っていかなかったことを激しく後悔したので、もう2着ほど購入しておくべきだった。

・医薬品など
山手線ウォークの経験から鎮痛剤、カフェイン剤はマストで用意。鎮痛剤は6錠程度持っていったが全然足りなかった。カフェイン剤は、私の場合は4錠あればじゅうぶんだった。10月は昼夜の寒暖差が激しく身体も冷えやすいだろうということで下痢止めも用意してたけど、これは結局使わず。胃薬も出番なしだった(けど、持っていて損はないと思う)。
あとは、靴擦れ対策の絆創膏も大活躍だった。ちょっと大きめサイズがいいと思う。

・行動食
脚の攣り対策にはマグネシウムらしい!という聞き齧った知識から、ジェルタイプのマグネシウム入り行動食を4つだけ準備。量としては過不足なくちょうどよかったと思う。あとは出発前にドラッグストアで買ったアミノバイタルを飲んでおいた。食に関しては、食べられるときにがっつり炭水化物を摂ることが何よりも大事だと思う。

・その他グッズ
100kmウォークの最大の敵は、足の裏のマメだ。マメができると、そこを起点に足の裏の皮がズル剥けになるらしく、一気にリタイア率も上がるとのこと。マメ対策として「プロテクトJ1」というスポーツ用摩擦防止クリームが人気っぽいけど、私はドラッグストアに売っている馬油を活用。
今度100kmウォーク参加するんです〜!とPodcastで話したところ、大会常連のリスナーさんから「馬油がいいよ」とアドバイスをもらい、肌の保湿にも使えて一石二鳥!と取り入れた。
一応用意した足首用のサポーターは使わず。クレカや最低限の現金などはジップロックに入れて保管していた。下着の替えを用意しておくべきだったと激しく後悔した(主にメンタル面に大きく作用する)。

本番編

音楽を味方に、いよいよスタート

今回歩いたコースは、海老名駅から徒歩15分ほどの場所にある県立相模三川公園をスタート地点とし、新豊洲 Brilliaランニングスタジアムをゴールとするもの。

海老名から平塚まで南下、海岸線沿いに江ノ島、そこから北上して戸塚経由で横浜に向かい、川崎から多摩川を渡って東京に入り、第一京浜国道をひたすらまっすぐ銀座まで進み、最後に橋を渡って豊洲へ。文章に書き起こすとなかなかハードな道のりのよう。実際、歩いているこちらとしてもまったく理解不能な遠さだった。
パートナー参加者である櫻子ちゃんは私より30分ほど早いアーリースタート組だったので、彼女を見送ってから朝8時に出発。とはいえさっさと追いついて合流したかったので、最初の3時間は休憩なし、時速6〜7kmペースでがんがん飛ばしていく。私としては競歩の領域だけど、それでもたくさんの人に追い抜かれて「これが猛者のRTAというやつか」と感心してしまう。

1人のとき、ペースを保つために有効だったのは音楽だ。K-POPと懐かし平成J-POPにはお世話になった。Kep1erの『WA DA DA』はスタートダッシュを切るには最適。あと、ONE OK ROCK『努努 -ゆめゆめ-』でわかりやすくテンションが上がった。BPMは120-130くらいがおすすめで、事前にストリーミングサービス上でオフラインでも聴けるようにダウンロードしておくと便利。実際に私が聴いてた曲(覚えている限り)のプレイリストも貼っておきます。普段はあまり聴かない曲ほど、わかりやすく励まされました。

櫻子ちゃんと合流、海を見ながら進む

おそらく11時頃、寒川町を超えたあたりで櫻子ちゃんと合流。そのときの安堵感といったらもう…。今回のコースでは合計5つのチェックポイント(以下、CP)が設けられていたので、まずは23km地点の第1CP・平塚しおかぜ広場を目指す。

途中ファミマに寄って小休憩を挟みつつ難なくクリア。海風を感じながら配給のカレーパンやジュースを食す。すでに若干のひりつきを足裏に感じ始めていたので、摩擦防止の馬油をこれでもかというくらい塗りたくって再出発。次なる第2CP、湘南海岸公園水の広場(34km地点)へ。

道中見つけたかわいい犬のくるま(?)

ここから11km?楽勝っしょ!と思いきや、景色の変化に乏しい道が続く。進んでいるのかどうかわかりにくく、精神的にも追い込まれていく。さらに膝の痛みも出現し、徐々にしんどさを覚え始める。

そんなとき、目の前に現れたのが「さあ行こう前を見て」という手書き看板を掲げるおじさんだ。サザンオールスターズ(湘南ゆかりの!)の『希望の轍』をスピーカーで流しながら「頑張れ!」と声をかけてくれ、心から励まされた。私たちはこういう人の優しさに支えられながら生きていることを思い出す。

その後、道は砂浜に突入。これまた歩きづらくて地味にしんどいコースだったが、なんとか第2CPに到達。ここで初めて鎮痛剤を投入する。

どれだけの参加者が励まされたことか!

地獄の55km地点、心臓破りの坂に怒気怒気

100km歩く中で一番きつかったのが、第2〜第3CPまでの間(45〜55km地点)だ。江ノ島から北上して藤沢〜戸塚を歩くわけだが、このあたりはちょっとした坂が多く、脚への負担が段違いで重い。40kmを超えたあたりから如実にズキズキしだして、普段はなんとも思わない勾配すらも憎々しく感じてしまう。特に左前腿は重傷で、一歩進むたびに引き攣りそうな激痛が走り、思わず「ウッ!!」と声が出るほど。どうしてもスピードが落ちてしまって櫻子ちゃんにも迷惑をかけてしまったが、「大丈夫?」「頑張ろう!」と声をかけつつ前を歩いて導いてくれて、100kmウォークが生んだ友情に感謝感激雨嵐だった。

44km地点、脚を休める&パワーチャージするためにマクドナルドで休憩することに。歩き切るためにはエネルギー補給が重要で、炭水化物は摂れるときにがっつり摂るべきだと山手線練習で学んだ私たちなりの作戦だ。
私は月見バーガーとシェイクだけ頼んだが、櫻子ちゃんは「疲れから判断力が鈍っていた(本人談)」とのことで、バーガー、シェイク、ナゲット×2にMサイズポテトまで注文していた。相当疲れてるんだな…と思ったが、ナゲットを譲ってもらってありがたかった。結局40分ほど滞在。

スマホ、Apple Watchの充電が切れたのもこの頃。充電が追いつかない

自分自身を奮い立たせ、さあ行こう、と再出発するが、筋肉が固まってしまったのかさっきよりも歩きづらい。しかし、CP3の関門リミットまであと3時間。21時半までに辿り着かなければ、強制リタイアになってしまう。これ以上休むわけにはいかず、身体に鞭を打って進む。ここで2回目の鎮痛剤投入。

CP3の横浜児童遊園地(55km地点)は、戸塚駅を超えてさらに6kmほど先。6kmなんていつもならへっちゃらな距離なのに、肉体的にも精神面にも限界を感じつつある中では三千里よりも遠く思える。「いつ着くの?」「もう帰りたい」「戸塚駅から電車乗って帰っちゃおうかな」が頭の中で止まらない。

極めつけに襲いかかるのが第3CPの最悪な立地。丘の上にあるので、ものすご〜くきつい坂を登らなくてはならない。このルートを設定した誰かに毒づきながら進んでいたら、他の参加者からも「まじかよ」という声があちこちで聞こえてきた。だよね〜!!!

どうにかこうにか21時すぎに到着するも、今度は冬のような寒さに凍えてしまって休憩どころではない。歯がまじでガチガチ鳴ってた。あたたかいコーヒーが配られていたけれど、胃が気持ち悪くて飲めないし(マックのせい)疲れすぎて食欲がない。もう身体は限界を迎えていることを悟る。すこしでも糖分を…と無理やりコーラを飲み下し、3回目の鎮痛剤とカフェイン剤も服用。真のエクストリーム体験は、きっとここから始まるのだろうと確信する。

CPで配られた紙コップには「Fight!!」の文字が

救世主登場!第3の足を得て辿り着く横浜みなとみらい

あれだけ凍えていたのに、歩き始めたらすぐにぽかぽかしてくるのが人体の不思議。なんと櫻子ちゃんのお母様が保土ヶ谷駅で救援物資を持ってスタンバイしてくれているとのことで、黙々と保土ヶ谷駅を目指す。CP2のあたりでは陽気に歌を口ずさんだり軽口を叩き合ったりしていた我々にも、ついに無言の時間が到来する。もう、身も心もボロボロだ。

櫻子ちゃんママは追加の鎮痛剤とトレッキングポールを持ってきてくれていた。櫻子ちゃんにポールを1本、鎮痛剤1シートを分けてもらい、ここでも人の優しさに触れて泣きそうに。終わった今、このときの櫻子ちゃんファミリーの連携がなかったらリタイアしていただろうと確信している。本当に、本当に感謝だ。

「あと40kmだから、絶対に東京に戻ろう!」とお互いを鼓舞し合いながら一歩ずつ歩む。太腿から下は常に激痛だが、足(トレッキングポール)が増えたことで格段に楽になる。そして、上半身はまだ使える。このあたりから記憶があいまいな部分が多いものの、「身体を使う」ってこういうことなのか、と薄ぼんやり考えていたことは覚えている。

足が攣りそうになるので、普段なら絶対に食べないであろう味のマグネシウム入りゼリーを投入したり、コンビニで寒さ対策の装備強化とトイレ休憩を経たりしつつ、ようやくみなとみらいに差し掛かる。時刻は午前0時過ぎ。がらんとして誰もいない中華街を横目に第4CPへ急いでいると、パラリラという擬音がお似合いの爆走バイクがなんとも不快感を掻き立ててくる。横浜って意外と治安が悪いんですね(その瞬間の個人の感想です)。

誰もいないみなとみらい

CP4・ポートサイド公園(69km地点)に着いたのは深夜1時15分頃のこと。そこで配布されたしじみの味噌汁は、今まで飲んだどの味噌汁より美味で、身体全体、ボロボロになった筋繊維まで染み渡るようだった。靴下は汗でびっちびちょ。気持ち悪かったが替えを持ってきていなかったので、馬油を塗り直して1時半には再出発。

いよいよ東京へ戻ってまいりました!多摩川超えて最後のCPへ

道中最もつらかったのは45〜55km間だが、横浜を超えて川崎〜品川あたりもなかなか厳しかった。耐え難い睡魔、身体の激痛に加えて「このペースでゴールできるのか?」という焦りも生まれてきたからだ。本大会は、26時間以内にゴールするという時間制限が設けられている。私は土曜朝8時にスタートしたので、日曜朝10時までのゴールというわけだ。残り7時間で約30km…余裕なようで、きっと余裕じゃない。櫻子ちゃんに至ってはさらに30分早く到着しなければならないのだ。

それでも絶対に辿り着きたい。じゃなきゃ、なんのために辛い思いをして70km歩いてきたのかわからない。櫻子ちゃんと相談して、お互い音楽を聴いて歩くペースを回復しようということに。私はCreepy Nuts『合法的トビ方ノススメ』とNewJeans『Ditto』などでドーピングして、一時的に時速6kmまでペースを上昇させることに成功。正直しんどかったけど、ここまでくるとゆっくり歩いてもしんどさに変わりはないのだ…。

そして、ついに多摩川に差し掛かる。長かった神奈川タイムも終了し、都民、東京へ帰還!六郷橋を渡る途中で「東京都」の看板を見た瞬間、ここが東京…という不思議な感動が込み上げる。今ならドイツ人が『美しく青きドナウ』を合唱した気持ちがわかる。多摩川、ああ多摩川!

東京への愛が爆発した看板

第一京浜国道はいままでのどの道よりも歩きやすく「東京に帰ってきた=ゴールまであと少し!」という実感が湧く。80kmを超え、もう痛みなんてどうでもいい、ただゴールしたい、もうそれだけしか考えられない。

品川に差し掛かったとき、朝日が登り始める。きれい。そういえば山手線練習のときも品川で朝を迎えたんだっけ。「朝日だ!」ってハイになっていたのが懐かしい。今はハイになる元気さえ残ってない。

最後のCP手前で、「残りはお互いのペースで進もう」と櫻子ちゃんと別れる。このときすでに午前6時、つまり期限まで櫻子ちゃんは3時間半、私は4時間。絶対に、絶対に、絶対にゴールでまた会おうね、と再び誓う。私たち、2人でここまでよく頑張ったけど、やっぱりゴールで抱き合いたいよ。

第5CP・鈴ヶ森道路児童遊園(89km地点)に到着し、10分だけ休んで再出発。さあ、残り13km、1人で進むんだ。

あと少しなのに遠い、品川〜東銀座

品川から田町、新橋、銀座、そして豊洲へ。こう聞くとさほど遠くないように思えたが、1人になったからか急に元気を失ってしまい、歩くスピードも急激にダウン。自分の意思で動かしているとは思えないくらい、身体が痛すぎてよくわからない状態になる。そして、すごく眠い。田町付近で数分寝ながら歩いたときには驚いた。人間、極限まで追い詰められたら意識を失っても進めるらしい。『テニスの王子様』で跡部様が気を失ってもテニスコートに君臨し続けたシーンが頭にちらつく。

人の声に意識を集中させれば眠ることはないはず、という狙いから、音楽ではなくPodcastを聴きながら進むけど、あ〜〜〜眠い。無理かも。それにしてもゴールはまだだろうか。太陽もすっかり昇りきり、日差しは暖かいを通り越して暑いくらいだ。

そんなとき、東銀座の交差点で参加者の男性から声をかけられる。「このままゴールを目指すんですか?」……この人は何を言っているんだろう?今思えば励ましてくれたのかもしれないけど、疲れすぎて質問の意図を汲み取ることができなかった。明るく「もちろんです!」と言えばよかったものの、「そうっすね」と塩な返事しかできず…すみませんでした。

朝8時半の銀座

涙で滲む豊洲。見事完歩で「おもしれー女」へ

豊洲に辿り着くには、勝鬨橋と豊洲大橋、2つの橋を渡り切らなくてはならない。勝鬨橋を渡る段階でゴールまで残り2km強。本当にもう少しのところまで来れた。

でも、意識が混濁してきてしまった。自分の息継ぎの音が身体中に響いて、うまく呼吸できない。視界はぐらぐら揺れて、脚がちゃんと胴体にくっついているのかどうかもわからない。

あと少し、あと少し、あと少しと呪文みたいに唱え続ける。勝鬨橋をクリア。ああ、しんどい。橋ってなんでこんなに勾配があるの?きつい……。それでも歩き続けなくちゃいけない。間違いなく人生一の満身創痍。

あと1km。豊洲大橋もクリア。あと500m。ゴール地点の新豊洲Brilliaランニングスタジアムに足を踏み入れる。

青空の下、芝生にはすでにゴールした先人たちが寝転んでいる。運営スタッフの皆さんが「お疲れさま!」「よく頑張ったね!」と大声で励ましてくれる。ああ、本当にゴールなんだ………そう思うと涙があふれて、目の前がぼやける。「萌ちゃん!」という櫻子ちゃんの声が聞こえる。よかった、櫻子ちゃんもゴールできたんだ…。ゴールテープを切る瞬間のことは、たぶん忘れることはないだろう。私たち、やり切ったね。私たち、おもしれー女だよね。

ゴールの瞬間(Photo by 櫻子ちゃん)
ゴール後にもらった証書。
26時間をぎりぎり下回ることができた

後日談

待ち受けるさらなる地獄。予想外のダメージに苦しむ

2人で完歩の喜びを噛み締めたあとは、お迎えに来てくれた櫻子ちゃんママの運転で最寄り駅まで送ってもらい、電車での帰宅を試みる。しかし、乗って10分もしないうちに気持ち悪くなり途中下車。結局タクシー帰宅になってしまった。車内でも座ってられなくて、運転手さんに「すみません、ものすごく体調が悪くて…」と言って、家に着くまで座席の上で死んだ魚のように横たわらせてもらっていた。

家に帰ったらすぐお風呂に入ろうと思っていたのに、もう何もできる気がしなかった。最後の力で服だけ着替えて、ベッドにへたり込む。アドレナリンが出ているせいかすぐに眠れそうにもない。お腹は全然空いていなかったけれど、何か食べないと死ぬかもしれないと思い、冷蔵庫にストックしておいたカット梨だけ食べる。そのあとは、人の形をした泥となっていた。

つらかったのは翌日、月曜日だ。胃の中に何もないはずなのに、気持ち悪くて仕方ない。嘔吐しようとしても胃液しか出てこず、例えるなら重度の二日酔い状態。よく考えたらあれだけ鎮痛剤やカフェイン剤を飲んだのだから、胃が荒れていて当然なのだ。プリンやポカリをストックしておけばよかった…と後悔する。

15時から、這うようにしてかかりつけの整体に。先生曰く、身体的な疲労ダメージが溜まりすぎると肝臓の疲労分解処理が追いつかなくなり、身体のエネルギーを生み出すことができなくなるそうで、それが二日酔いのような気持ち悪さや倦怠感の原因になっているとのこと。肝臓の機能ってアルコール分解するだけじゃないんだな。

結局、気持ち悪さが治り、まともに固形物を食べられるようになるまで4日ほどかかった。Twitterを見ていると仕事している人もいたので、リカバリー力の部分でもともとの身体の弱さが出たのかもしれない。もちろん身体もバッキバキで、山手線練習の比じゃない全身筋肉痛。しかし、関節などの不穏な痛みは一切なく、放っておけばそのうち治るな、と思える程度だった。筋肉痛よりも酷かったのが足の爪の内出血だ。幸い痛みはないものの、両足親指は真紫に変色。結局足の爪は4枚剥がれた。ちゃんと無事にニュー爪が生え変わりました。

歩き切って何が変わった?

結論から言うとほとんど何も変わっていない。そこそこ痩せるかと思ったが、体重も体脂肪もほぼ変動なし。「100km歩いたら人生変わる」なんてこともない。神からの天啓を受けることも、価値観が著しく変わることもなかった。

ただひとつだけ言えることは、人間は思ったよりもタフだということだ。筋トレしてなくても、運動ができなくても、たいした目的がなくても、やろうと思えば100kmは歩ける。諦めなければゴールに辿り着く。もう、それがわかっただけで、私は十分だ。

なかなかしんどい体験ではあったので気軽に人におすすめしづらいが、もしこれを読んでくれている人の中に挑戦したいと考えている人がいたらぜひ頑張ってほしい。「頑張った」の積み重ねは、いつか私たちの人生を輝かせるはずだから。

その後の話

全身筋肉痛は1週間ちょっとですっかり治ったけど、肉体のダメージが思わぬところに出てしまい、結局年内いっぱい大会参加の代償に悩み続けることになった。じつは本番から3週間ほど経った11月半ば頃、突然右の腰に激痛が走って歩くことすらままならなくなってしまった。整体に行っても改善せず、整形外科でレントゲンを撮ったところ、もともと股関節の形がよくなかったらしく(生まれつきの形成臼蓋不全)、そこに100kmのダメージが加わったことで爆発したらしい。

本当のところ、ずっと右下半身に違和感があった。「痛いわけじゃないから、まあいいか」と放置していた結果、自然と身体の右側を庇うような姿勢になり、それによって筋肉や神経に痛みが出たらしい…ふんわりとした理解だけど。肉体的ダメージ凄まじすぎる〜〜〜!

でも、いいこともあった。多少つらいことがあっても「100km歩いたときのほうがつらかった」と思えるようになった。たとえば、この前初めてぎっくり背中になってしまったとき、それなりに痛かったけど「100km歩いたあとの筋肉痛のがやばかったな…!」と、そんなに深刻に捉えることなく痛みのピークを乗り超えることができた。

私はしばしば、自分の人生の「最悪」をお守りみたいに考えてしまうことがある。あの頃よりマシだな、とか、最悪な瞬間を生き抜いた自分はすごいよな、とか、比較することで今を生きようとするのだ。この身に降ってくるあらゆる嫌な出来事を、つらい、苦しい、って捉えてしまうことこそが一番つらいので、全部大したことないって思いたいのかもしれない。100kmウォークも、肉体の痛みという点においては間違いなく私史上の「最悪」なので、またひとつお守りを増やすことに成功した気分。

あまり股関節を痛めつけると手術なんてことになりかねないので、今後100kmウォークに参加するかどうかはわからない。でも、じわじわと「また出たい」と考えている自分がいるのも事実で…。終わった直後は「もう二度と出ない!」って公言してたのに…。つくづく、不思議な魅力のあるイベントだと思う。とりあえず、山手線1周くらいは今年のうちにしようかな。参加者、随時募集中なので気軽に声かけてください。そして、もし周りで100km歩いたよ〜という人がいたら、話を聞いてみてください。きっと、最高におもしろいはず!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?