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あなたはあなたのままで、そこにいていいんだよ

聖徳大学 社会福祉学科に入学したこと、今の私が納得して学生生活を送れていること

『あの選択をしたから』をテーマとしたnoteを書けることを知った瞬間から、私はこのことを書こうと心に決めていた。

なぜ私が、このことに関して書こうと思ったか。

それは、聖徳大学 社会福祉学科(以下:学科)へ入学したこと、そしてそこでの学生生活は、それまでの私という人間像を、大きく変えるきっかけになったからである。

それでは、私が思う「学科の好きなところ」から、私のこれまでの学生生活を紐解いていく。

では早速、学科の好きなところについて。

それはまさしく、

❝人間性が素敵な人が多い❞

ところである。

これは私自身の性格がそう感じさせているだけかもしれないけれど、学科は私がこれまで生きていて、初めて(取り繕わなくても、ありのままの私でいていいんだ)って思えた場所。嘘をつかなくても、完璧な自分を演じなくても、今の私のままで、ここにいていいんだって、今の私が心から思えている居場所。あの選択をしたから、私は今、こうして笑って生きられている。

まあそういうふうに思えるようになったのは、皮肉にも4年生になってからなんだけれども。

だからここにこうして書くことで、これから学生生活を送る人たちとかに読んでもらい。私の二の足を踏まないようにしてもらえたらな、と思う。「こうはなるなよ~!」って言いたいな、ってことである。

結論。
このnoteで何を言いたいかと言うと。

あなたはあなたのままで、そこにいていいんだよ

ということである。
これを私は、とにかく声を大にして言いたい。


周りに噓をつき続けた、20年間

わざわざこんな風に書いているのは、何を隠そう、私は大学3年生まで、文字通り20年間、周りに嘘をつき続けて生きてきたから。(こんな偉そうに言うことではない)

中学生時代なんてそれが顕著だったし、特に大学では周りに一切弱音を吐かずに、周囲に対して「完璧な私」を演じきっていたことがほとんどだった。まさに完璧で究極のアイドル(?)かよって。笑

途中で演じきれなくなって、心身ともにぼろぼろになったけど。
まあ今となっては、あそこでぼろぼろになったからこそ、今の私が(ありのままの私でいてもいいんだ)って、思えるようになったってことだと思う。

今思えば、3年生の秋学期は、私にとって人生のターニングポイントだったと思う!
大仰かもしれないけど!笑

周囲に対して嘘をつき続けてきたのは、周りの学生に対してもそうだし、先生方に対しても。多くの人に対して、私は「完璧な私」を演じて欺き続けてきた。多くの人って書いているのは、本当にごく一部の人には話をしていたから。先生も友だちも。

今思えば、もっと多くの人に話してもよかったんじゃないかなあ~って思うけど、当時の私は視野が狭すぎて、友だちや先生、各方面、色々な人に対して不信感を抱いていたこともあって、言えないことの方が多かった。

今になってようやく、色々な人に対しての信頼感が自分の中で戻ってきて、打ち明けられるようになってきた。

***

周りの人へ。
言うのが遅くなってごめんなさい…。
今まで待っていてくれてありがとう。

***


完璧じゃないと、私には生きている価値がないって思っていた

あの時の私は強がっていたし、本当は弱いって分かっているのに、そんな私を、私自身が認めることが怖かったから。だから授業も課題もオープンキャンパスの手伝いも、文化祭の責任者の役割も。何に対しても120%の力を出し続けた。完璧でいることで、私は何とか自分の存在理由を保っていたんだと思う。いや、つらすぎない?ちょいと自分に厳しすぎないかい私よ、って今は思う。
でも当時は本気でそう思っていたからなあ~。

頑張り過ぎて「私はもうこれ以上頑張れない」と悟った、大学3年の秋学期

身体か心か、どちらが先だったかは忘れてしまったけれど、徐々に私に対してそれらがSOSを出すようになった。

身体症状としては、だんだん朝起きることができなくなって、午前中の授業を遅刻欠席することが増えた。精神症状としては、憂鬱、不安、焦りといった感情や、「死にたい」とか「消えたい」と、ほとんど1日中思うようになった。

私の学科は国家資格取得を目指して頑張っている学生が多くて、私も以前はそちら側に立っていた。でもこれまでの私の頑張り過ぎが祟ったのか、当時の私は「私はもうこれ以上頑張れない」と悟ったらしい。

既に私は心身ともにぼろぼろだったこともあって、半ば勢いで、私は「資格取得を目指すこと」をやめた。

もちろん勢いだけじゃなくて、「その資格を取ってどんなことをしたいのかが見つけられなかった」とか、「どんな専門職になりたいかが見えなかったから」とか、やめた理由は他にもいろいろとあるけれど。

でも大半の理由は「私が、頑張り続けることに疲れてしまったから」なんだろうな、と私は思っている。

怒涛の学生生活を振り返る

振り返れば、私は頑張り過ぎだったと思う。(それを自分で言うか?の是非は置いておいてくださいな…お手柔らかに笑)

2年次にはほとんどフルコマで授業があった。(これに関しては周りの学生も似たり寄ったりだけど。)

加えて私は、教養科目を他の学生よりも多く履修していたらしいし。

らしいって、まるで他人事のように書くな私は、笑
だって本当にそうなんだもん。

当時、学科の専門科目よりもグループワークとレポートの提出回数が多かったその教養科目は、当時の私にとって心が燃えるものだった。(よし、やってやろうじゃないか)と。

というのも、2年生の時は、ほぼオンライン授業で、こう言っちゃなんだが、いつも授業を受けている気がしなかった私。

授業を受ける度に、(私は何をやっているんだろう、今の私は本当に大学生なのか?)と何度も自問自答した日々が懐かしい、笑

でも当時、この教養科目だけは、なんかちゃんと授業を受けている感があったことをよく覚えている。何なら学科の科目以上に精を出していたかも。先生のやる気も相当だったなあ。担当学科が違う先生だった。確か看護学科の先生だった。

当時、オンライン授業では珍しく、授業の3分の2がグループワークだったっけ。
終盤には、オンライン上で、グループごとにパワーポイント資料を使った発表があった。
最終的には2500字のレポート提出を求められて、悲鳴を上げていたことが懐かしい。2500字程度で悲鳴かあ←

レポートの数をこなすようになって、更にnoteを始めたことで、書くことが好きになってからは、卒論の12000字も何とも思わなくなった。うーん、何とも思わないは語弊があるかもしれないけど。私のやる気はちゃんとあるし。

「慣れ」と「思い込み」って怖いよ

って、私はこのnoteを読んでくださっている人に伝えたい笑

加えて、大学の授業だけでは、自分自身の成長の面で何か(足りないなあ)と思っていたところがあったから、2年生では、1年を通し、授業の他にも課外活動に2つほど取り組んだ。

その課外活動については、以下の記事(見出しの「大学2年生」の部分)に詳しく書かれています。

語弊がないように補足するけど、別に私が課外活動に取り組んだ理由は、「授業がつまらなかったから」とか、そういうマイナスな理由ではない。先生方の熱量は伝わってきた。だから私もそれに応えるべく、文字通り死ぬ気で取り組んだ。

そして、3年生はオープンキャンパスの手伝いに精を出した。
秋学期は、学生3人に対して教員4人もいらっしゃるとかいう、鬼のように少数精鋭だった、自由選択の科目もやった。クリスマスイヴの日に、地域住民とともにシンポジウムを行ったことが、懐かしい。学祭のリーダーを努めたのもこの時期だったっけ。

有り余るようなエネルギーは、いったいどこから

今になって思う。
当時の私の、あの有り余っていたようなエネルギーは、いったいどこからきていたのだろう。たぶんそこには、ごちゃごちゃとした色々な感情が混ざっている。当時の私が異常なほど感じていた、「他人から認められたい」という、承認欲求。高3の時、心身ぼろぼろだった私を指定校推薦で受け入れてくれた学科に対する恩返しの意味や、学科に貢献したい!という気持ち
後は、自分自身が純粋にそれらをやりたかったから。
とまあこんな風に、過去の私は、私利私欲溢れまくっていたなあ~。

私は、客観的に自分の人生を捉えられている

~らしい、とか、~だったっけ、とか私のこのnoteに、他人事のような記述が多いのは、どこか私自身、「自分の人生を生きていると思っていない」部分があるのかもしれない

まあこれは、今に始まったことじゃないけど。
中高生の頃から思っていたことだし。

そしてそれは、「他人の人生を生きている」というのとも、また違う。

私という人間の上に、鳥の目を持った私がいて、「私の人生を生きている私」を、その上からもう一人の私が見ている

といったような感覚と言えばいいのだろうか。うーん説明が難しいぞ笑

まあでも私自身、これをそんなに深刻だとは思っていない。
裏を返せば、客観的に自分の人生を捉えられているってことだと思うし。

というよりも、これまでが明らかに主観的過ぎただけかもしれないけど…笑

私と同じような苦しみやつらさを味わって欲しくないから、私は書く

私は悲劇のヒロインになりたいわけではない。
決して、自分がこんなに大変だった、とマウントを取りたいわけでもない。

ただ事実として、こんな経験が私にはあって、それを共有することで、私のこのnoteを読んでくださる人が、

私と同じような苦しみやつらさを味わって欲しくない

と私が思っている、ということ。

そして何より、

あなたはあなたのままで、そこにいていいんだよ

と私が思っている、ということ。


本当に、ただそれだけ、なんだよな。

別に隠すことでもないと思うし、このnoteを知っている人に見られたとしても、私は何とも思わない。もう過去のこととして割り切れていることがほとんどだから、別に何とも思わない。

まあ時折、いろいろなことがフラッシュバックみたいになって、苦しくなることや泣いちゃうことはあるけれど…。

でも頻度としては確実に減ってきているし、きっと今の私なら大丈夫!って思っている強い私がいるから。

だからきっと大丈夫。

最近の私のnoteの結びを見てもらえると分かると思うんだけど、ほとんどこんな感じなんだよなあ~笑

明るくなってきた、強くなってきたってことなのかな。

そういうふうにしておこうかな。


読んでくださってありがとうございます。


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