後輩達の前でこんなこと言うのは、面目ないけれど。

ただやるべきことを淡々とこなした先に、目標としていた、夢だった「大学卒業」と言う欲しい学歴を手に入れたのが、運の尽き。私は大学なんて、卒業しなきゃよかったのか。あれだけ固執していたのが、本当に馬鹿みたい。










何度死にたいと思っても、在学中に遺書を書いても、大学卒業は絶対にやり遂げたかった。4年間、死を考えない日は一度足りとて無かった。2.3年は常に、希死念慮に襲われていた。

4年はほぼしんどかった。だけど、あれはなんかもう、最後の意地と根性で、通学し続けたかなって感じ。あとは、私は絶対、あの代で友達と一緒に卒業したかったから、それだけのために卒必の単位取った。そう英語ね英語。医療英語なんてどうでもよかった。

私の、大学を4年で絶対卒業してやるって気持ちはもう、執念だったし、友達を見送って(仮にね、私が休学とか留年して)まで大学に居る意味は、私には無くて。

金銭面でこれ以上親に迷惑かけたくなくて。って言いつつ今も頼っているけど。結局思い上がりなんだよ。至極くだらない、私のエゴ。

周りから、無理するなって言われたけど、結局最後まで無理したんだと思う。でもこれは、意味のある必要な無理。それをしたまで。

いやまあ、唯一、卒論書くのは楽しかったけども。

友達のこと大好きなはずなのに、話したいはずなのに、誰かといることが煩わしくて、結局4年次は、ほとんど孤高でいた。だからそれで離れた人も、多分多い。

終いには、美咲って言う人間が、何を考えているのか分からない怖い、って、もし当時、周囲に思われていたとしても、仕方がない。余裕が無かった。

各方面に謝罪案件。

私が在学中、呪いに憑りつかれたように勉強に励んでいたの理由。それは暇な時間があると、当時の私は病んですぐに死にたくなるから。その時に、(ああ私は休んじゃダメなんだ)と悟って、1~3年は、常に、ペンとノートかパソコンと向き合っていた。

月1の頻度ではあったけれど、日曜日には欠かさず、オープンキャンパスの手伝いに名乗り出て、1日働き倒した(ボランティアだから、勿論無給だけど)。

次の日1限から授業があったけれど、そんなの知ったことかと。希死念慮で悶え苦しむよりはいいだろと。多分怖かった。暇していると、自殺してしまうかもしれない自分が、怖かった。だったら身体動かしていた方がいいと思って名乗り出ていたのか。

あれ、でもそしたら今の状況も、それと似ているのか?

ん?結局今の私は、怠けなのか???

オーキャン、やりたい意思はあったけど、暇つぶしでもあったのかも。いやでも、それでつながって、今も仲いい後輩もいるから、当時の行動で得られた財産は確実にある…と信じたい。

精神科通院していたのにもかかわらず、結局医師にさえ「死にたい」を言い出せなかったのは、私の弱さでしかない。なんのための診察だよって。

その代わりに在学中、私が弱音を零せたのは、大学の友達と先生だった。私は環境に恵まれていたと思う。本当、感謝してもしきれない。

なんかもうあの頃を乗り越えたから、もうなんでもこいやって感じなんだよね。今は、"自分から死ぬことはしないようにしよう"って強く思えているから、あの頃よりは遥かに、状態がいいと思う。なんの報告だよってね笑 まあどうせ、あの頃も死ぬ勇気なんてなかったけど。

私は医師に、うつだと診断されているわけではないのに、状態と言うか症状はもろにそれだし、それなのにこういう思想しているし、一応日常生活はできているから、それってもう怠けなんじゃないのって思うことも、多々ある。でもほぼ4年間、この状態で大学生活送ってきたの。ずっとこんなんだけど、私はちゃんと4年で大学を卒業できたし、できるように行動した。自分が頑張った?のかは、もうわからない。

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