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新聞の向こうにあるのは、私の見知らぬ広い世界

いつからか、私は新聞を読むようになった。小学生高学年の時、自宅にはいつも新聞があった。父親が読んでいたから。

親の影響なのか自身の興味なのか。休日になれば新聞を開き、父親の真似事を始めるようになった。小学生の当時、新聞社毎に異なる社会面の連載漫画と、天気予報をチェックするのがルーティーンだった私。

中学生になると、平日帰宅後、お菓子を食べながら新聞を読むのがいつからか唯一の息抜きの時間になっていた。

学校と言う社会が当時の私には窮屈すぎて、その狭い世界がすべてだと思い込んでいたけれど、この紙の向こうにはだだっ広い世界があるー。そう思うことで、私は壊れた心をそれ以上ただれないように保っていたし、現実逃避をしていたと思う。

語彙力も、平均よりはあった方だと思う。一面から始まって社会面、社説は欠かさずチェックして、後はパラパラと開いて、その日その日で気になった記事を読み流すような。そんな日々を過ごしていたと思う。

いつからか、私は新聞を読まなくなった。父親が読むのをやめたから。

いつかの家族会議で、新聞に割くだけのお金を払えないとなって、購読を打ち切った。それだけではなくて、私自身、今思えば、精神的なストレスからか、あれだけ好きだった活字が読めなくなっていたように思う。

読む意欲が失せた高校生時代の私は、文字を文字として認識できなくなった。国語の授業で、教科書の文章を読むのもしんどかった。いつも目眩のような、集中力が保てない状態に陥っていた。終いには今、自分がどこを読んでいるのかすらも分からなくなる始末。こんな状態になるのは初めてで、私は困惑するしかなかった。

好きだったはずの国語の授業。これまでの経験上、もっと取れるはずだった成績。先生との相性もあったかもしれないけれど、どれだけ必死に努力しても満足した成績にはならないのが、もどかしいと思った。

時は経て、大学生になった。気付けば以前のように、活字を追うことができるようになっていた。学生時代には、授業でレポートを課された時、趣味でとか、小中生の頃と比べたら頻度は落ちたけれど、高校生のあの時よりかは読めるようになっていたと思う。

卒業して、無職になって。今も、得体のしれない怠さに付きまとわれて、身体は思うように動かなくて。それでも頭は動くから、知識を得よう、教養を深めようと、それまで以上に、私は読書に没頭するようになった。

ここ一カ月、二週に一度図書館へ行って、満たされるまで本を借りて、読み耽る日々を過ごしている。心が動いたり、知らなかったことを知れた時には、ノートに文章を書き留めたりしている。

そして私はまた、新聞を読むようになった。日経新聞電子版。先日まで春割で二カ月無料と謳っていたそれに、半ば勢いで加入した。

本音を言えば、オードリーの若林さんの広告にまんまと釣られただけとも言えるが、きっかけなんて何でもいい。それにここ数日は、読む習慣ができてきて、お気に入りの連載面も見つけた。

それと、新聞によって思想が違うのは、新聞の長所でもあり短所でもある。それは例えば左右の違いとか、政府に賛同的・否定的だとか。

その違いを理解して、まず事実を知った上で、今度はその情報を自分なりに解釈する必要がある。

その中でも日経新聞は割と中立で、事実と意見を分けて書かれているように私は思う。安心して読めるなあって素人ながらに思う。

今日は新聞と読書の話がごちゃまぜになっちゃったけれども、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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