自分がどうして教師になったのかをよく考える
この記事を書き始めたのは去年の12月。
下書きに残したまま丸一年経ってしまった。
ルワンダに来て現地の小学校で活動を始めて、日本との働き方の違いに驚いた。そこから、教師という仕事について、また、なぜ自分が教師になったのかを考えるようになった。
どうして教師になった?そう聞かれると
一番に出てくる理由は、「青年海外協力隊に行きたかったから」
国際協力に興味を持っていた自分は、高校生のとき、青年海外協力隊のHPをよく見ていた。
要請に挙がっている職種や内容を見て、「小学校・子ども」の分野で途上国に関わりたいと思い、小学校教員の免許がとれる大学に行くことにした。
少し曲がった理由で小学校教員になった。このことは教育界で大きい声では言えない。
ただ、理由はそれだけではない。
自分が小学生のとき、学校が好きだったこと。
父親が教員で、生徒や保護者と深くつながっている姿を見て憧れたこと。
人と関わる仕事がしたいと思ったこと。
自分の得意(歌や図工)を活かせると思ったこと。
そして一番は
仕事において「やりがい」を最重要視したい
そう思ったから。
某有名衣類企業でアルバイトをしていた大学時代
メンバーのよさもあり、その仕事自体はすごく楽しかった。
そこでは、毎日朝礼で「本日の売上目標」を共有しなければならない。
「基本姿勢でお願いしますっ
昨日の売り上げは…○○円
達成率は…○○%
本日の売り上げ目標は…○○円
本日もよろしくお願いしますっ
(一同)よろしくお願いしますっ」
これを聞き、日によっては自分が共有し、
まじでどうでもいい〜〜〜
利益とかどうでもいい〜〜〜
内心そう思っていた。
私は接客業がやりたくてこの仕事を選んだだけだ。服が何枚売れようが、売り上げがいくらだろうが、目標の達成率が何%だろうがどうでもいい。
自分がアルバイトという責任のない立場だったらからこんなことが言えるのだが。当時これを言っていたら間違いなく干されていた。
そして、このアルバイトを通して思った。
「わたしゃ、利益のために働けないわ。」
せっかく一生懸命働くなら「人の成長」のために頑張りたい。
だから、教師になろうと決めた。
大学の講義でよくこう言われた。
「教員の仕事は、99%のしんどさと1%の喜び。
でも、その1%の喜びがあまりにも大きいから続けられる。」
しんどいとは分かっていた。教師である親にもおすすめはしないと言われた。
でも、その喜びを自分も経験してみたかった。
確かに、とてもやりがいのある仕事だと思う。
1日約8時間、1日の3分の1の時間を子どもたちと一緒に過ごすため、
彼らの成長を近くで見ることができる。
できないことができるようになったとき
友達に優しく接しているとき
クラスがよくなっていくとき
とても嬉しく、温かい気持ちになる。
心が大きく動かされる。
他の仕事では味わうことのできない気持ちだろう。
年度末、一年間担任したクラスが終わるときは特に報われる瞬間だ。
子どもたちからの手紙や保護者の方々からの感謝の言葉。
1年間頑張ってよかった。
心からそう思う。
(ここまで書いて一年間ほったらかした)
ただ、やっぱり忙しすぎる。
私のルワンダの活動先の先生は、8時半に出勤して17時に退勤する。子どもたちと同じ時間に学校に来て、同じ時間に帰っていく。
勤務時間は8時間半。
お昼は1時間20分の休みがあるし、その時間は日本の給食指導と違って完全に自分の時間なので、勤務時間は実質7時間10分だ。
残業なんてものはない。
給食指導、掃除指導、登校指導、下校指導、生徒指導、教材研究、事務作業、職員会議…
全てない。(当然教育の質は下がるのだが)
それに比べて日本はどう?
朝は教室で子どもたちを迎えるため、7時半には出勤する。
定時は8:10分なのに。
すでに40分の超過勤務。
そして、15時半に子どもたちを見送ってようやく自分の仕事。
19時ごろ退勤。
18時過ぎに帰れたときには「早く退勤♪」
と喜ぶ。
定時は16:40なのに。
定時とは?
勤務時間は11時間半くらいか。(一応休憩時間が定められているが、それを取っている先生は見たことがない)
体調を崩していても出勤し
家族や自分の時間を犠牲にして働く。
消化しきれずリセットされていく有給。
みんなそれが当たり前でやっている。
なんとなく嫌だな、おかしいなと思いながらも、それを続けている。
もちろん、忙しいのは教師の仕事だけではない。そして、今はもっと働き方が改善されているかもしれないし、人によってはホワイティに働いているかもしれない。
私も、まあこんなもんかと思って続けてきた。
「教師は世間知らず」とばかにされることも多い。
確かにそれは否めない。世界が狭いのは事実だ。
「優秀な人ほど教師という仕事は選ばない」
そう言われたこともある。
それも本当だろう。
それでも私は教育界で素敵な先生方に出会い、教師として、人として尊敬している方もいる。
確かにクセつよの人もいる。でも、圧倒的にいい人が多い。人間的に優れた人が多い。少なくとも、私が今まで見てきた先生方はそうだ。
そして、子どもたちとの思い出や保護者からいただいた言葉は私にとって宝物だ。
だから、教師という道を選んだことは全く後悔していない。
でも、こっちにきて働き方の違いを目の当たりにして、日本の教師の異常さに気づいてしまった。
それから、教師という仕事についてよく考えるようになった。
この一年間、よく考えた。
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