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Contemporary Piano Showcase #1

プログラム
◯オルガ・ノイヴィルト:Trurl-Tichy-Tinkle (2016)*
◯ベアト・フラー:Phasma (2002)*
◯稲森安太己:不完全音階、下行形(2013)、3声のシンフォニア(2010/15)
◯稲森安太己:ピアノ・エチュード集第1集(委嘱新作) (2023)
第1番 アレクサンドル・スクリャービンへのオマージュ
第2番 ギョーム・デュファイへのオマージュ
第3番
第4番 ロジャー・スモーリーヘのオマージュ
◯モーリッツ・エッゲルト:HammerklavierIX "Jerusalem" (1995)*
◯ベルンハルト・ラング:MonadologieXXXh "Hammer" (2014~15)*
*日本初演

出演者
ピアノ:篠田昌伸 / ゲストコンポーザー:稲森安太己

主催
Contemporary Piano Showcase(篠田昌伸・台信遼)

中ほどのトークで篠田氏は、まだ日本ではあまり演奏されていないピアノ作品で、「自分が聴きたい」ものを弾くという趣旨のコンサートですと語っていた。今回はドイツ・オーストリアの作家たちに加え、ドイツで学んだ稲森氏の作品を加えたプログラム。技巧を要するだけでなく、それぞれの作家の持ち味がよくわかる、意欲的な演奏会で、篠田氏の力演を堪能した。

ノイヴィルト作品… 万華鏡を覗いているかのごとくにどんどん景色が変わっていく。ごく短い小品の連なりのようでもある。いずれもそれまでの作品にあらわれる楽想だという。この作家らしい、ジャズ風の一節も飛び出す。この曲自体がノイヴィルト作品の showcase になっているといえようか。

フラー作品…冒頭のクラスタによるモチーフのリズムが曲全体を貫いているように感じられる。その不規則な拍動が、曲の推進力となる。打鍵、内部奏法が交互にしかも不規則に続き、難度が極めて高そうである。最後まで程よい緊張感が途切れない。篠田氏の力量に感服する。

稲森作品(2013)…「ピアノの全音域から選ばれた58の音高が周期的にパルスを刻む音楽」(作曲者によるプログラム・ノート)。多数の声部で下降音型が不規則にあらわれては消えるかのように聴こえる。単音の連なりに対して人間の耳によって絶えず意味づけがなされていく。

稲森作品(2010/15)…三声の構造が減速に伴ってだんだん明らかになる。

稲森作品(2023)…1・2・4曲はいずれも非常に複雑なポリリズムによる作。ナンカロウを一人で弾けるようにした、高難度の練習曲といった感じか。3曲目は内部奏法のエチュード。

稲森氏は、非常にドライな感触の筆致の作家だと感じた。ドイツふうというのが妥当なのか否かよくわからないけれど、同世代の邦人作家とは明らかに書きぶりが異なるように思う。また聴いてみたい。

エッゲルト作品…奏者は蓋を外したピアノの周りを反時計回りに周回しつつ、何ヶ所かで演奏を展開する(打鍵したり、口笛を吹いたり、さまざまな内部奏法を行なったり)。ピアノには一部簡易なプリパレイションも施されている。各所での演奏は徐々に短縮されていくので、周回のスピードが上がり、最後はピアノの周りを走り回るだけになってしまう。何かの罰ゲームを見ているかのようで、客席から笑いが漏れる。内部奏法の超絶技巧練習曲のように見えなくもない。

ラング作品…ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「ハンマークラヴィーア」からごく短く切り取られた断片を素材とする作品。素材を変えつつ、激しいサンプリングが連続するかのようである。これならば、機械でやってもいいのではと何度か思った。作家の名の通り"lang(長大)"な作品である。果てしなく続く人力サンプリングは、ベートーヴェンの音楽の粘着性を極端に誇張し、これでもかこれでもかと聴く者に迫ってくる。短い断片たちは徹底的に変形されていくのだけれど、ベートーヴェンらしい響きがしぶとく残存することに驚かされる。どこまでも原曲の呪縛から逃れることは叶わず、かの楽聖の存在の大きさを見せつけられる。

否、ラング氏は逃れようとしているのではない。むしろそこに没入することで、いかなる景色が見えるのかを探究せんとするかのようである。そして、粘着の沼に分け入るには、機械ではなく奏者自らが演奏することが不可欠と結論したのかもしれない。

公演タイトルに「#1」とあるので、定期的に開催ということと思われる。今後の展開が楽しみ。(2023年11月11日 両国門天ホール)

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