投資をすることは定年後や老後の選択肢が広がるということ
少し前になるが4/8の日本経済新聞の社会面に「部長職外れ58歳で再挑戦」という記事が掲載されていた。大手製薬会社で出世街道を驀進し部長になったが50歳手前で部長職を解任された人のハナシだ。
一兵卒に戻されてくさっていたものの、学びなおしで英語を学んだり研修を受け社内公募で希望部署への配属を勝ち取ったという内容だ。
その部署では年下上司のもとで自分の子供と同じ年齢の外国人スタッフと肩を並べて働いているというものだった。この年齢で新たなことにチャレンジする姿勢は素晴らしいし、同じ年代の自分としては心からエールを送りたい。
自らの境遇を他責にせず、自分で未来を切り開く姿は新入社員に負けず清々しいし、機会を提供した企業も先進的だと思う。
しかし、現実的にこの年齢でこの人のように気力、体力、能力に優れ、かつ所属する企業がチャンスを提供するケースは多くないのではないかと思う(今後高齢化が進めば増えていくかもしれない)
実際に自分の所属する企業では、提供するリスキリングメニューの対象は50代半ばまでだし、周囲の知人に聞く限り中高年社員を積極的に再育成する企業はそれほど多くない。
逆に閑職へ追いやったり、早期退職を促したり、合理的な理由もなく雇用条件を下げたり、アルバイトがやるような体力勝負の現場仕事に送り込んだりというケースが聞こえてくる。
つい先日も来年に定年を迎える先輩(部長)から悩みを打ち明けられた。
彼は定年後65歳までの再雇用を選択するか転職するかで迷っていた。再雇用になると家賃補助が打ち切られたうえにサラリーは半分以下、肩書のない1年更新の契約社員として年下上司どころか中堅社員の下で働くことになる。
一方で転職市場で求められるのは、サラリーは良いが全国転勤や海外転勤があってバリバリ働く管理職か、再雇用より遥かにサラリーの落ちるマンション管理人や警備員など極端な選択肢しかないそうだ。
そこそこ働けて、そこそこサラリーをもらえてプライドを満たすポジションの職場を探している彼のお眼鏡にかなう職場はないらしい。
再雇用ではるかに年下の部下に契約社員として顎で使われるのも癪だし、かと言って仕事も人間関係も新たな場所で管理職として働くには体力・気力もないというワケだ。
ましてやホワイトカラーの部長職から警備員になるという選択肢もプライドが邪魔をする・・・
といって無職になって悠々自適で暮らせるほど余裕はない。
本人的には八方塞の袋小路に入った気分らしい。
彼のようになるのは特別なことではなく、これまでに何人もの人が同じように悩み、答えを出せずに「とりあえず少し休憩」と言って退職し失業手当で食いつないでいる。
大手と言われる企業のホワイトカラーで中途半端に部長や課長になった人ほどギャップに悩むことになる。反対に平社員のまま定年を迎える人の方が迷いなく再雇用を選択するのは皮肉な話だ。
彼ら共通しているのは定年後も「どこかで雇われて働く」という発想しかない。
そして今と同じような職場、同じようなポジションを求めて彷徨い続ける。
絶対見つからない自分の都合のよい夢のような理想郷の職場を探し続け、夢破れてしぶしぶ妥協点を探すのだ。
しかし、自分の知っている中で一人だけそんな彼らとは違う人がいた。
再雇用にならずスパっと定年退職し、知り合いの居酒屋で少し修業した後でカウンターだけの自分の店を出すそうだ。儲けはなくてよいので知り合いだけに安くお酒を提供する、自分の居場所つくりも兼ねての店らしい。
そしてそんな彼は在職中から不動産投資に励み、数棟の物件のオーナーとなりレクサスを自分の作った会社の経費で乗り回していた。
資本主義社会では多くの人にとって「労働」と「投資」が生きる糧を得る2大手段であるが、「労働」一本足だけよりも両方を使いこなせば将来の選択肢は広がる。
なにせ「投資」に体力はほとんど不要だし、長くやっていてコツを掴んでいれば「気力」「知力」も労働ほど必要としないのだ。
社会に出る前の君には遠い先の話のように思えるかもしれないが、よく考えておくと良いと思うし、投資のスキルを身に着けておくことで第二の人生の選択肢が広がることは知っておいた方がよい。
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