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【詩】 This is me.

完璧な人など一人もいません。

人があなたをどう思うか、何と言うかに、自分の人生を奪われてはいけません。

他人の不幸や不機嫌は、あなたのせいではありません。

口に出して言ってみてください。

It’s not my problem!

人は人、あなたはあなた。

愛される資格がない人など、一人もいません。

愛されない理由を探しているのはあなた自身です。

自分自身を裁くこと、他の人を裁くこと、それはあなたの仕事ではありません。

私たちの仕事は愛すること。

自分自身を愛すること。

それから自分以外の世界を愛すること。


世界は自分を写す鏡です。

自分自身への理解と尊敬は、そのまま他の人にも反映されます。


自分と世界をよく見て、理解することを続けてください。

そうすれば、愛は既にそこにあるということに気がつくでしょう。


あなたには愛を受け取る資格がある!

あなたには、あなた自身という愛を受け取る準備はできていますか?

口に出して言ってみて下さい。


This is me!


時には、あなたを傷つけようとする人が出てくるかもしれません。

だけど騙されないで。

その人が攻撃しているのは、あなたではなく、あなたに映るその人自身の心の姿だということ。


It’s not your problem!


どうか隠れないで。

自分と世界との間に、これ以上バリケードはいらない。

あなたが隠れてしまったら、その人は少し気分が晴れるかもしれません。

見たくない自分の感情を見なくて済むのだから。


This is me!


あなた自身の愛と魅力を止めないで。

自分自身を生きること。

それはあなたにしかできない奇跡。

あなたはあなた自身という愛を受け取る準備はできていますか?

This is me.


この詩を書いた経緯


The Greatest Showman Cast - This Is Me


この詩は、この歌の歌詞に心うごかされて書いたものです。

これは私自身の歌でもあると思いました。

過去を思い返すと、私はいつも居場所を探していたような気がします。

自分ではない誰か、ここではないどこかに、安らぎと幸せがあると思っていました。


理想が高く、厳しかった父。


「人間は水と一緒だ。油断すれば高いところから低いところに流れ落ちていくように、簡単に堕落してしまう生き物だ。だから常に己を律して、努力を惜しまず、成長していかなければいけない!」

「力だ!勇気だ!信念だ!」

・・・ああ、改めて思い返しても、暑苦しすぎる…向上心に溢れた崇高な言葉だなと思います(笑)

父、哲学が好きで、中村天風を心の師と仰いでおりました。(現在も健在です!)

日曜日になると、東京の護国寺で修練会なるものが開かれていたのですが、幼い頃私も父に連れられて、一緒に体操?のようなことをしていたようです。(覚えてませんが😅)

中村天風というと、近年再び注目集まっているようで、本屋さんでも目立つところで関連書籍を目にすることがあります。インドの山奥でヨーガを習得し、当時不治の病であった結核を治して日本に帰国。そこで得た様々な経験と気づき、悟りを教え広め、松下幸之助やロックフェラー、天皇家など様々な著名人の前でも講演したとか。
詳しくはWikipedia先生をご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/中村天風

私は父から耳にオクトパス🐙な程、その逸話や思想・哲学を聞かされて育ったのですが、なんだかやはり、伝えるということは、必ずそれを伝える人間本人のフィルターを通って耳に入るので、伝える人間のエネルギーによってメッセージ性が微妙に変わってくるのではないかと、感じています。それにさらに、受け取り手のコンディション、心理状態も関わってくる。

“伝えたいこと”が、そのまま”伝わる”というケースは、ひょっとしたら非常に稀なのかも。

一見して、立派なことを教えられているようなのですが、それを聞かされながら育った私が、幸せに育ったか?というと、今は幸せですが、それまでの過程においては父の意図しないところで、その思想とエネルギーが、長年私を苦しめることになりました。


潜在意識に刷り込まれた、そのままの自分でいてはいけない、怠けてはいけないという自己否定感と焦燥感。


本当につい数年前まで、私は自己肯定感が低くて、人と関わること、生きていくのが苦しいと感じていました。

「偉くならなければいけない。立派な人間にならなければいけない。そうでなければ生まれてきた意味がない。」

それはもはや、いつの間にか私が私にかけてしまっていた呪いでした。

厄介なことに、それはほとんど無自覚な呪いです。

自分の生きづらさの理由を、ずっと自分自身の愚かさのせい、未熟さのせいにして生きてきました。

常に自分を責めているのですから、他人からの批判には余計にセンシティブに反応してしまいます。

自分は社会不適合だと、ずっと劣等感を感じていました。

そんな苦しさ、生きづらさをどうにかしたくて、インド哲学や、老師などの東洋哲学、聖書はじめ宗教関連の本、スピリチュアル系、自己啓発系などなど、様々な本に目を通しては、何かを掴み取ろうともがいていました。

最終的には心理学系の本が、私には一番しっくりきたように思います。
心とは何か?何かしらの事象を受けて、心がどう動くのか。それによって人がどのような行動を取るようになるか。心という形のないものの上に明確に存在する、人類共通の一定の法則性。

単純に面白いと思いました。
それらを元に分析することによって、私の生きづらさの理由も、それまで見えていなかった父の苦悩も、全て説明がつくと思いました。

私に足りなかったもの。それはそのままの自分をそのまま受け取る、という自己受容だったようです。(ありの〜♪ままの〜〜〜♪っていう女王が雪山で歌う歌が脳内で自動再生される)

人は、一足飛びには成長できない。様々な経験を通し、学んでこそ、新しい世界が見えてくる。その過程はどんなものでも、全てがかけがえのないものでした。

苦しくなったら、立ち止まって心に聞いてみるといいかもしれません。
・自分を苦しめている理想(像)が自分の中にないか?
・その理想は、本当に自分自身が望んだものであるか?

ひょっとしたら、それは自分が本当に望んでいる理想ではなく、いつの間にか他人や、社会から刷り込まれた理想かもしれません。

他人と比べれば、人は必ず不幸になります。だけれども、比較している他人以前に、自分自身の中にすでに、実在の自分と比べる、もう一人の自分が存在してはいないでしょうか?

それは本当に必要かどうか?

昨今の断捨離ブームに乗っかって、ついでに心の断捨離もしてみるのも良いかもしれません。(良いこと言った風)

だけどこれは真面目な話、自分自身を高める何かを得よう、掴もうと、様々な本を読んだり、行動して、もがいていたことも決して無駄ではなかったけれど、新しい何かをいくつも得ることより、自分の中の不要な想念、意識に気づいてそれをひとつ手放す方が、ずっと実感できる幸福度は高い。

大切なことを学ぶことも大切。だけど、不要なものを手放すことは、もっと大切。

自分自身を本当の意味で幸せにしてくれない考え方(思想)や意識を、いつまでも持ち続けていることはないでしょう。

私は私にしかなれない。
私の一番の応援団、味方は私。
私が私という世界を宇宙を まずは、どこまでも受容して生きようじゃないか。
そうすれば、見える世界は変わりだす。

「あなたはあなた自身という愛を受け取る準備はできていますか?」




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