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16 五条の家と乳母と乳母子

惟光の手腕で事件が秘密裏に処理された為に、後に、五条の家の人間関係が剥き出しな感じになります。
下町の怪しい小家と見えた、その五条の家の人々の素性です。


・ 五条の家の人々の素性 右近

🌺夕顔の乳兄弟でもあり、なにがしの院にも同行し、後に初瀬参りの椿市での再会でも重要な役を担う右近という女房がいます。

🌺夕顔には少なくとも乳母が2人います。
右近の母 と、西の京の乳母 と呼ばれ、後に玉鬘を九州から連れ帰る人です。

恐らく右近の母は先に亡くなったけれど、🌺夕顔の父の 三位の中将 が 🌺夕顔の乳兄弟である右近 を可愛がってくれてその後も中将家に居続け、🌺夕顔姫の女房となったということなのでしょう。

・ 五条の家の人々の素性 西の京の乳母の娘たち

右近も🌺夕顔と乳兄弟ですが、西の京の乳母にも娘が3人います。
後に九州で息子が3人いることも明らかになります。
息子も同母であれば、🌺夕顔から見れば7人の乳兄弟がいることになりますが、
右近には血の繋がりのある人はいません

夕顔周辺の関係図

・ 右近の孤独

右近は、秘密を守るために🌺夕顔の突然の死と共に源氏に拉致されます。
一度に二人の行方がわからなくなった 西の京の乳母方 では、
「右近は血が繋がっていないから気心が知れない」「どこかの色好みの受領の息子辺りに🌺姫様を取り持って、男は頭中将様を怖れて父親について地方に行方をくらましてしまったのかもしれない」などと言われています。
右近も、よくよく読むと人生の陰影の濃い人です。

・ 西の京の乳母の夫

惟光情報では、西の京の乳母の夫は揚名介(ようめいのすけ)だったといいます。
📌 揚名介… 名誉職としての在京のままの国司の次官。裕福な者が金で買う官位。

しかし、後に、乳母の夫は任期が過ぎても格別の財力もない人なのでなかなか帰京できなかった、とあります。
清廉の人となると、金満家の地方官という惟光情報は口さがない世間の噂であって、現実とは違うということになるのでしょうか。
娘たちの宮仕えの話も出てきませんし。

それからなにがしの院の事件があって、🌺夕顔の消息を案じながら、太宰少弐として筑紫に下り、西の京の乳母娘たちも、🌺夕顔の遺児、後に玉鬘と呼ばれる美しい女児を連れて同行しています。
下向時、玉鬘は4歳だったそうです。

・ 忠義? 乳母の一家のこと

西の京の乳母一家は、父三位中将亡き後も孤児の🌺夕顔を主人として大切に守り仕え、更にその遺児玉鬘も主筋として、九州に下った後も命がけで守りながら帰京してきました。
三位中将への恩義の心なのか、隆盛の父君の褒賞を期待しているのか。

🌺夕顔の行方が知れなくなって夫が任地大宰府に赴くことが決まった時に、「🌺母君の御形見としてお仕えしたいが、田舎にお連れするのもおいたわしい」
「しかし、内大臣様(頭中将)にお知らせしたいが伝手もないし、🌺母君のことを尋ねられたらお答えのしようもない」
「馴染みのない子を急に我が子と言われてもお困りだろうし、いきなり見知らぬ人の中では幼い人が可哀相で心配だ」
「御自分の御子と知ったら九州への下向などお許しになるまい」
など迷いながら、結局、
今から既に気高く美しい方なので、任地にお連れして大切にかしずくことを生き甲斐にしました。

などと書いてあって、旧主三位中将への恩義は語られていないようです。
後から来た西の京の乳母は三位中将との関係が薄かったのか。
美しい姫一人で一族の運命が変わる時代、貴種の姫君には絶対的な価値があったのか。
「こんな田舎でお育てして申し訳なかった」「父君にお引き合わせして後のことは御運に任せてくれ」「我が身の仏事などよいから、必ず都で父君にお知らせしてくれ」と乳母の夫の太宰少弐は、10歳ばかりの玉鬘のことを遺言します。
世渡り上手とは言えない少弐の実直な人柄が語られています。

後に同じ源氏物語の中で、女王の身分でありながら親を亡くした末摘花を、受領の妻となった母方の叔母が娘たちの使用人にしようと躍起になる場面もありますし、
歴史上、内親王宣下を受けた方が女房勤めに出られた事実もあるようです。

望み高く人に隠して、大切に大切にかしずかれた孤児玉鬘とは特別に幸運な人だったのでしょうか。

                         眞斗通つぐ美
 


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