今日投稿すれば229日連続!もっと見たい!とのこと

『読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?』とのこと。
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ作、内藤濯訳、岩波少年文庫2010)の読書感想文を書く。
 いつも以上に混沌とした内容なので、最初に謝っておく。
 いや、謝るくらいなら書き直せという意見があるだろう。
 だが私の抱く『星の王子さま』の感想が混沌としたものなので、直しようがないというのが実情だ。
 話を続ける。
 まず書くべきなのは訳者の名前の読み方だろう。
 あろう、と読む。
 格好よすぎ。少年漫画の主人公の名前でもおかしくない。
 しかも本名だった。筆名が内藤水翟(すいてき、濯の表示もある)。
 フランス文学者で大学教授で『星の王子さま』の翻訳家に相応しい名だ。
 初見で読める人がいるのかな、とも思った。
 それはさておき本論だ。
 本書には童話の形式を借りた諷刺文学の趣がある。故郷の小惑星、B-612を旅立ってから地球に到着する間に彼が巡った六つの小惑星は、子供の眼から見た大人の社会の諷刺なのだと思う。スウィフト『ガリヴァー旅行記』が思い出される。賢い馬の国から帰還したガリヴァーが人間社会に感じた幻滅と類似した感情がテグジュペリにもあったのではなかろうか。
 大人たちの無理解でやめてしまった作者の絵の話は、それを裏付けていると個人的には考えている。
 本書の特徴の一つは作者が書いた挿絵だと思う。絵描きの道を六歳で断念した作者のヘタウマなイラストが良い。個人的には上手いと思う。一番目の王子様や107頁の狩人らしき男性は感心した。150頁の絵は胸に刺さった。
 王子様のマフラーは作者の本業である操縦士の飛行服と関係しているのだろうか。仮面ライダーと雰囲気が似ている。孤独の証しという気もする。
 そう、読み終えて思うのは孤独感だ。自分独りしかいない星。話をできる花が来たのに故郷の星を去ってしまう。砂漠で遭難した操縦士と友だちになったのに、今度は星に帰ってしまう。花を放っておくわけにはいかないというのだが、新しく友だちになった操縦士とは別れてしまうのだ。去って行く理由は、本当に花なのかと王子様に尋ねたい。ただ孤独を追い求めているだけではないのか、と訊いてみたい。しかし、彼は質問する時は相手が答えるまでしつこく尋ねるのに、自分が答える番になると途端にはぐらかす悪癖の持ち主だ。変なダンスみたいな恰好をして誤魔化そうとするだろう(150頁参照。このポージングで私がうすた京介『ぴゅーと吹く!ジャガー』を連想したのはここだけの秘密だ)。
 そんなんで物事を誤魔化せると思っているのは、王子様が無責任な子供だからだと私は考えた。無責任は言いすぎか。そもそも子供の無責任は許されるべきなのだ。子供が責任を負う社会はディストピアだ。それでは、子供の部分を大量に残した大人に重い責任を負わせる社会は何なのか? その人にとっては、それも暗黒の反理想郷という気がする。いや、周りの人にとっても悪夢の世界かもしれない。Wikipediaに記されている死ぬ前のテグジュペリの軍規違反のエピソードを読む限りでは、近くにいて欲しくない人だと私は思った。大人のルールを守れないなら、その人は子供なのだと思うけれど、それが悪いわけでもないところが世の面白さだとも感じる。体内に未発酵な子供の成分を残した大人も珍重されるのだ。いや、そういう幼若化した人間を取り上げた作品に名作がある、というべきか。
 そんなことを考えた理由は、大人になることを拒否する子供または若者を描いた作品を幾つか思い出したからだ。初稿の『ピーター・パン』では大人になったネバーランドの子供はピーター・パンによって間引かれると聞いたことがある。永遠に年を取らないピーター・パンにとって大人になった少年は敵なのだろう。私もネバーランドにいたら成人を迎える前に殺されていたに違いない。アラン・シリトー『長距離走者の孤独』も思い出した。ゴール前で走るのを止めた彼の気持ちは分かるが、ちょっと世の中に迎合したっていいんじゃね、とも思う。これから戦う敵は滅法強いんだからさ。その足の速さを活かして立ち回らないと勝てる戦も勝てないよ、と若い頃には少しも考えなかった小言を老婆心ながら送りたくなる。向こうはまったく聞く耳を持たないだろうが。サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』も、未読なのに連想した。そしてジョン・レノンを射殺した人のことを考えた。
 私は本書を読んだ理由の一つは『君の膵臓をたべたい』のヒロインが愛読していたと知ったからだ。読む前は、てっきりミーハーで愛読しているのだと思い込んでいたが、実際に読むと中身がヘビーで驚いた(笑い)。彼女の親友が「本当は繊細な子」と言っていたのも頷ける。彼女は一見したところカースト上位の陽キャなのだが、病気を含め重く暗いものを背負って生きていたわけで、それが『星の王子さま』好きに現れているのかもしれない。陰キャで読書好きの語り手より、人間的な深みがあった観がある。人は見かけによらぬ。当たり前のことだが。

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