不幸な人間とは、「あなたでいてはダメよ」と言われた人間である。
社会に自身の価値を見出す人は、決まって「あなたでいてはダメよ」と言われた人間である。
「あなたでいてはダメよ」と言われた人間しか、社会の成功者になろうとはしていない。
少なくとも私の周りは。
私の近くには、あなたでいてはダメよと言われて育った人間が何人かいて、その人たちは社会の通念に捉われている。
でもこれらの人が行き着く先はなんだろうか。
一体全体、「俺は今まで生を削って仕事をしてきたが、あれは一体なんだったのだろう。」
この虚無感しかないではないか!
親は愛せ。子どもを愛せ。
さもないとあなたの子どもは社会通念に捉われることになる。
社会通念に捉われた人間は、その死の目前、"俺の人生は一体なんだったのだ"と言って死んでいく。
こういう人が大勢いたのだ。
「自身に価値がないから、自身の価値を外の何かで埋めよう」
これが名誉の人の特徴である。
これがおそらくうつの元凶である。
うつはそれを伝えてくれたメッセージである。
本当は、深々と降り積もる雪、クリスマスのベルが鳴り響く中行き交う群衆の交差、労働を終えた後の一息、透明な朝日、白い息を吐きながら配る新聞、スーパーの中で野菜に触れる時、激安の手袋、同じく病理に悩む友人と行く焼肉、店頭で売られている楽器。
こういうので幸せを感じれるじゃないか!
こういうのが幸せではないか!
結局は私を育てた大人自体が、幸せとは何かを知らなかったのではないか?
幸せとは何かを知らないから、目に見える何かを子どもに追わせるのではないか?
教えよう、幸せとは感じるものである。
何かをつかむものではない。
日々に宿る小さな感覚のことである。
それでいて大きな喜びをもたらすものである。
小さくて、大きいもの。
それが幸せの感覚である。
最早もう、私に手垢のまみれた既存の価値観を教えようとしても、
それは意味をなさない。
あなたはあなたのままでいい!
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