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ど素人テレビ批評①〜インターネット普及以前より実はゆるやかに終わり始めていた娯楽の王様〜

少し関係のない前置きをさせてもらうと、最近、僕の記事に「スキ」をしてくれた方が、テレビ批評をされていた。
なかなかに興味深かったけれど、僕は他にも色々思うところがあるな、と思ったし、そもそもテレビ批評記事を書くという発想すらなかったので、目から鱗で触発されて早速自分でも書いてみようと思った。

まずはじめに、最近テレビの凋落の原因としてインターネットがよく語られるけど、そこが少し不思議だ。

なぜなら
インターネットの登場以前、昭和の頃からテレビの視聴率というものはずっと下がり続けているからだ

その証拠としてまず日本人に最も馴染み深い番組を例に挙げようと思う。


視聴率の下落推移


①紅白歌合戦



年末恒例の紅白歌合戦を例にあげてみる。こちらは現在も年末最大の視聴率を記録する長寿番組だが、

1部、2部と分かれるようになった頃、1962年の視聴率はなんと平均視聴率80.2%だったのだけど、

1970年代には平均視聴率は70%台前半が目立つようになり、1980年代に入るとなんと60%を大幅に割るようになっている。

平成に入る前から視聴率はかなり下がってきているのだ。

右肩下がりの紅白視聴率推移

上のデータからもわかる通り多少の変動はあっても、
紅白の視聴率は順調にさがりつづけている

紅白を例に挙げたけど、バラエティ番組の視聴率も同じことだ。

②バラエティ・お笑い番組

伝説のドリフターズのコント番組、8時だヨ!全員集合
も1973年には最高視聴率50.5%を記録するものの、それ以降は視聴率を下げ続け

次の人気お笑い番組、オレたちひょうきん族
と1980年代に熾烈な視聴率争いを繰り広げる頃には平均視聴率は10%台後半にまで落ちている。

そのひょうきん族にしても最高視聴率は1985年の29.1%であり、ドリフの最高視聴率にはとても及ばない。
そのさらに後継の平成最大のお笑い番組、めちゃめちゃイケてる!も最高視聴率は33.1%で、やはりドリフには敵わない。
めちゃイケの場合はインターネット普及の時期とかぶり、例外的に昭和末期クラスかそれ以上の視聴率を獲得できてはいたものの、全盛期は90年代後期〜00年代初期であり、末期には一桁も普通だった。

以降のお笑い・バラエティ番組もやはり最高・平均視聴率どちらにおいても基本的には時代が進むにつれ下げている。

③テレビドラマ

テレビドラマにしても同じことだ、昭和の頃はドラマ全体の平均視聴率は20〜30%が普通だったが、平成に入り10%代が普通となり、令和の今では一桁台が普通となっている。

勿論、やはり例外もある。比較的記憶に新しい2013年の半沢直樹は「倍返しだ!」の決め台詞も話題となり、平成のドラマにして破格の平均視聴率は20%台前半、42.2%の最高視聴率を記録した。

ただしやはりそれは例外で、他にも2011年の家政婦のミタも高視聴率を記録するものの、やはりドラマ全体の視聴率は90年代以降は通常10%台が普通だ。

(そもそも家政婦のミタという名前はサスペンスドラマ家政婦は見た!のパロディだが、本家より人気が出てさらに家政夫のミタゾノへと名前がパロられていくのは面白い)

こういったテレビ全体の視聴率の低下を番組、コンテンツの魅力だけのせいにするのには無理がある。


つまりインターネット関係なく昭和の時代からテレビの終焉はゆるやかに始まっていたといえる。

インターネットが登場し、普及する頃には娯楽の王様とは言えなくなっていただけであり、
インターネットが徐々に普及し始めた90年代後半以前から、もともと

王様はずーっと王様として君臨してはいたものの、その影響力をゆっくりと落とし続けていた

インターネットの登場によりとどめが刺されただけだ。

つまりテレビが視聴率を取れなくなったのをインターネットだけのせいにするのは全くのお門違いなわけだ。

そもそもテレビは娯楽の王様と言われていたけど、戦後しばらくは映画が娯楽の王様だったし、主要メディアというのは時代や技術の革新と共に移り変わるものだ。

では、インターネット以前の昭和〜平成から何がテレビを蝕んでいったのか

それを語る前に、テレビが娯楽の王様であったのはなぜか語ろうと思う。

テレビが王様たりえた理由


向かうところ敵なしの無双だった王様、テレビ



そもそも戦後間もない昭和の頃は娯楽施設自体が少なかった。今では考えられないけど、現代のように24時間営業、深夜営業の店もほぼなく、当時から劇場やスポーツ観戦はあったものの、自分たちで「遊べる」施設や個人のデバイスはほぼなかった。

若者や主婦、多くの人が「夜はテレビを見る(見ざるをえない)」という選択しかほぼなかったのが大きい。
特にテレビの視聴率がよかったのはやはりみんなが家に帰る夜間帯だった。
若者が夜中に出歩け、遊べる場所などほとんどなかったのだから。

また、昭和の頃は独身の男女自体が非常に珍しく、男性は8割、女性は9割以上が結婚していた時代だった。
ほぼ全ての成人が家庭や子供を持っていた、そんな時代に一家団欒のお供としてテレビが機能していた。

まさに昭和はテレビに勝つ要素しか無かった時代と言える。
テレビしか勝たん

では、なぜそんかテレビが少しずつ影響力を落としていったのか。
今回は原因としてテレビ自体の問題点ではなく外部の要員について語ろうと思う。

何がテレビを蝕んでいったのか?


かつての王は見る影もなく...…


①商業施設の充実


昭和の頃から徐々にゲームセンター、パチンコ屋、ボーリング場、カラオケやジム等スポーツの商業娯楽施設が出来始め、娯楽の場は広がった。
さらにそれが徐々に比較的深夜まで営業するようにもなった。
平成には田舎でもコンビニエンスストアが24時間営業を開始し、ファミレスの深夜営業も始まり、若者が深夜に出かけたりたむろする場所にも困らなくなった。
昭和中期の頃は夜中、都市部以外は今のように街灯も充実しておらず、溜まり場の明かりにも困っていたくらいだった

若者、特にティーンエイジャーは出歩きようがなかった時代だったのだ。
しかし商業施設の充実により成人や若者は夜中に外に出歩くようになり、テレビ離れは進むこととなる。

②技術の進歩



また、ビデオデッキの登場で、録画が可能となり、リアルタイム視聴の縛りはなくなった。これにより、実際に視聴率は下がることになる。視聴率はリアルタイムでしか加算されないから。

さらに、ビデオ登場によりレンタルビデオ店も普及し、映画等が手軽にいつでも観たい時に観れるようになったのも大きい。

映像メディアにしろ、衛星放送等でキー局以外にもユーザー側により選択権や自由が得られるようになってきたのだ。

こうしてリアルタイム視聴の縛りもなくなり、映像メディアの選択の幅も広がり個々の興味が分散することで、

各番組の視聴率が下がる→視聴意欲や義務感が削がれる→見なくなる
というスパイラルが徐々に出来上がりつつあった。

③家庭内娯楽の充実



さらに、家庭用ゲーム機が登場したのも大きいだろう。ファミリーコンピュータ(ファミコン)に始まり、スーパーファミコン、プレイステーションと進化をとげ、
さらにはその間に携帯用ゲーム機ゲームボーイまで登場した。
グラフィックは進化をとげ、内容もアクション、ホラー、スポーツ、サスペンス、RPG、レース、シューティング、シミュレーション、恋愛とバラエティに富むようになっていった。
テレビそっちのけでゲームに打ち込むゲーマーなるものも市民権を得てきた。

④ライフスタイルの多様化


昭和は9時→5時勤務のライフスタイルが当たり前だったが、時代が進むにつれテレビ・ラジオ等のエンタメ業、工場や病院、警備等の仕事では深夜の夜勤労働が必要となり、二交代制や三交代制といった変則的な勤務時間の仕事も当たり前になってきた。

さらに前述の商業施設の深夜営業、24時間営業に伴い、その分の労働力も必要となる。

そうすると一定数の視聴者は定番の、たとえばゴールデン帯の番組視聴率に必然的に加算されなくなり、視聴率が減るというわけだ。

さらに、民衆の趣味嗜好の多種多様化も大きい。

たとえば昭和はスポーツで言うなら野球が王様だったけど、だんだんサッカーもブームになり、そうなると野球派、サッカー派に人気が分散することになり、野球がほぼ独占していた視聴率も分散する

テレビという一方通行型のメディアの特徴上、マス(大衆)を相手にするのは得意だけど、個々人の興味に最適化することは難しい。

昔のテレビはマスを相手に気楽に番組を制作していたものの、社会の変革・変容についていけず、まだ残されたポテンシャルを存分に発揮できることもなく終わりそうなメディアに現在のテレビは成り下がっている。


まとめ

こうして書くと、テレビの視聴率が下がっていったのは当然と思われる。

しかもこうした要因は全て外部要因であり、テレビ自体の問題点や不信感は含まれていない(今回は書かない)。

インターネット以前の昭和〜平成の時期でこうなのだから、インターネットの普及、進歩でさらにテレビ離れが加速するのはもはや当然の結果だろう。

次は(あれば)テレビ凋落の原因としてテレビ自体の数々の問題点、残されたポテンシャル、あるいは社会との関係性について語ろうと思っている。



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