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古代中国の宰相0005

安平君田単

 孟嘗君が宰相でいた間はまだよかったのですが、永眠したあとには、暗愚な斉の湣王は増長してとどまるところがありませんでした。
燕の国は、たまたま燕王が不出来なこともあって、湣王による被害の直撃をうけていました。
 北の燕国は戦国の七雄のなかでも、もともと弱小であって、強大な南の隣国の斉国にはしばしば侵略をうけてしまうという状況がつづいていました。
燕の国の昭王は、このような状況をたいへん憂えて、何とか国力を強化できないものかと、当時賢人として知られていた郭隗先生に助言を求めました。郭隗先生は、「自分はたいした才能もない凡人ですが、そのような私を王様が師として敬っているという評判がたてば、諸国からそのうわさをきいて人材が必ず集まってきますよ」とさとしました。
 燕の昭王はなるほどとうなずいて、郭隗先生の待遇を最高級のものにして、師事しました。そのうわさが諸国にきこえると、楽毅将軍をはじめとして、諸国から優秀な人材が集まり、燕国の国力は充実していったのです。この故事は「先づ隗よりはじめよ」として有名になりました。
 楽毅将軍はその天才的な戦略と外交の才能を発揮しました。ほかの戦国諸国と同盟を結び、連合軍を率いて、燕の昭王の悲願であった、南の隣国である、強国の斉国に、攻め込みました。これにはさすがの強国の斉もたまりません。70あまりもあったといわれている斉の国の城がつぎつぎ落とされていき、最終的には莒と即墨の2城を残すだけになってしまいました。この滅亡寸前までいった斉の国を救った斉の将軍が田単です。
 なお、もともと強国であった斉をここまで追い詰めた楽毅という人材の非凡さは、将軍としての資質はもちろん、為政者としてすぐれた手腕を発揮したらしいことからも、うかがうことができます。まず、弱国の燕の君主であった昭王が英明であったことが第一のメリットでしょう。その君主に、楽毅は「燕は弱国で、斉は強大ですから、燕単独の軍隊で攻撃しても限界があります。まずほかの戦国諸国と同盟をむすんでから、連合軍であたりましょう」
 燕国の君主も同意しましたが、諸国も楽毅を総大将にして連合したことから、楽毅の非凡さと、斉国君主が他国にうとまれていたことが推察されます。連合軍が勝利してから、斉の国境近くで他国の軍はひきあげたようですが、楽毅ひきいる燕の軍は5年かけてさらに斉の国の70あまりの城を落として、莒と即墨だけがかろうじて存続した状態だったらしい。しかも燕の軍が征服した町村で、楽毅の為政者としてのすぐれた政策によって悪評がたたなかっとというこいとがすごい。
その風前の灯であった斉を救ったのが、田単による間諜をつかった楽毅の罷免(タイミングとして丁度英明な昭王の崩御と暗愚な太子による王位の継承がありました)と少人数の軍による奇襲などの戦略でした。結果的に燕の勢力を斉の国から一掃してしまいます。楽毅は燕から趙の重臣としてその後は生きていく道を選択します。暗愚な新燕王も今度は趙から楽毅に攻撃されるかも、と危惧して、「自分には将軍に対して他意はなかった。長期戦であったため休息してもらおうと思っただけだ」と手紙をかきます。
楽毅の返事はすばらしい。
 「なんのとりえもないような自分を先代の昭王さまは、重用してくださった。その恩はわすれないし、燕を攻撃したりするつもりはない」という内容の文書を返しました。燕王はこれをみて安心したことでしょう。
そのような逸材の楽毅の攻撃から斉を救済した、田単については、いくつか逸話が残されています。
 滅亡寸前までいったものの、田単将軍のおかげで息をふきかえし、無事に領土を回復することができた斉の国のことです。戦国時代には、それ以前の古代チャイナのような固定した厳しい身分制度がくずれてきて、諸侯が実力主義を採用して、競うようにすぐれた人材を登用するようになってきていました。「先づ隗よりはじめよ」の故事には、このようなバックグラウンドがあったのです。斉の国に貂勃という若者がいました。かれは、特別身分の高い家柄の出ではありませんでしたが、戦国時代には、代々の王様の家来の身分という家系ではなくても、能力があれば、諸侯の臣下として仕えることができるようになりつつありましたから、貂勃も野心のある若者の常として、斉の国の家臣として登用してもらえるべく学問をこころざし、師のもとで、五経といわれている、易経」「書経」「詩経」「礼記」などの書物をはじめとして、歴史や哲学、政治経済、弁論術などを学びました。同時に若者の常として、同時に美しい娘を見初め、猛烈にアタックして、めでたくゴールインしたのです。
 そのいきさつはというと、あるとき、貂勃は師の私塾で学んだあと帰宅の途中、街中で、ハッとするような麗しい娘の姿を一瞬認めましたが、彼女はすぐに人ごみのなかにのみこまれていってしまいました。彼はその娘のことがどうしてもわすれられず、悶々として毎日を過ごしていましたが、ある日遠い親戚の婦人から、お嫁さん候補を紹介したいといわれたのです。この女性は身分の高い人であったため、気がすすまないまま、とうとうお相手の娘さんと会うということになってしまいました。世の中には偶然ということがたしかにあります。お相手の顔をみて貂勃はびっくり。先日街中でみかけた、まさにその娘さんだったのですから。さいわいただちに二人は意気投合して、はなしはとんとん拍子にすすみました。
「じつは街で、このまえに君のことを見たんだよ」
「あら、買い物に行こうとしていたときかしら」
「人ごみのなかに、あっという間にまぎれてしまって」
「急いでいたから」
「そのあと、忘れられなくて」
「ほんとに?」
「そうしたら、おばさんからいわれて、今日でかけてきたんだけど、まったくおもいがけず、あなたにお会いすることができるなんて」
「偶然ね」
「ぜひ、わたしと結婚してほしい!!」
「ずいぶん急ね。でも、いいわ」
「ありがとう」
こうしてその後、貂勃は恋女房と何年も幸せに暮らしていましたが、肝腎の仕官の途はなかなかひらけてきませんでした。そうこうしているうちに数年の年月を重ねて、貂勃も、もはや若輩とはいえない年齢になってきています。
 貂勃の細君は、その容貌が美しいだけではなく、じつはとても聡明な女性でした。彼が自分自身の見識には自信をもっていて、それにもかかわらずなかなか仕官の途がひらけないことを内心悩んでいることを、良く理解していたのです。
「あなたはすぐれた師のもとで、いつもとってもよく勉強しているわ」
「でも、わたしは身分が高い家柄の出ではないから、なかなか王様の^家来になるような機会がこないんだ」
「おばかさんね、あなたは学問はおありですけど、就職のための作戦をたてるのが苦手なのよ」
「そうかい?」
「そうよ。王様にお目にかかることなんて、普通の身分のひとには、なかなかできっこないし」
「君には何かいい考えがあるのかい?」
「そうね。たぶんあなたみたいになんでも正攻法でいくばかりが、良いとは限らないと思うわ」
「というと?」
「斉の国でいちばんえらいのは王様よね」
「そうだよ」
「その王様を補佐している宰相はどなたかしら」
「そりゃ、なんたって安平君(田単将軍のこと)さ」
「それだったら、まず田単様の目にとまることよ!」
「でも、どうやって?」
「むずかしいわね。田単様は賢人としてつとに有名な方よね」
「そりゃもう・・・・わが斉国がいまもこうして存続しているのは安平君のお手柄さ」
「そんな田単様のような立派なかたには、へつらいやお世辞、お追従などは通用しないと思うの」
「というと?」
 細君は貂勃の耳もとに口を寄せて、ひそひそと助言をしたのでした。
「なるほど!」と思わず貂勃は感嘆して、叫びました。
「やってみるよ。もしうまくいかなくたって、それはそれで駄目でもともとのことだもの」
「そうよ。だまされたと思ってぜひおやりなさい」
 斉国の宰相である安平君は、とてもすぐれた見識をおもちでしたが、じつは自分の評判について、ほんとうのところは一体どうなのかということを案外いつも気にしていました。そのため、常日頃から自らの言動を厳しく律していたのです。巷間では、だいたいにおいては、安平君のことを批判がましくいうような声はきこえてきませんでしたが、最近になって、朝廷の学問所で議論が行われているときに、貂勃という男が「あのひとはくだらん!」といっているという噂がしばしば耳に入ってきます。とくに自分がその男の恨みを買うようなことは、頭に思い浮かばないため、ついに貂勃自身に、なぜそんなに自分のことを批判をするのか、きいてみることにしました・・・・
「貂勃先生、本日は先生に是非教えを請いたいと思いまして、このような酒宴をもうけまして、先生をご招待いたしました」
「そうなんですか。安平君のような立派なかたじきじきのお招きにあずかるなんて、まことに光栄の至りと思っております」
「さっそくですが、じつは先生が、常日頃わたくしのことについて、批判的に論評されていることは存じあげております。自分は、浅学菲才の身であり、王様の補佐役としても特別に有能な人間であるとは決して思っておりませんが、いったいどこがとくによくないのか、自分の落ち度がよくわかりません。改めるべきところを是非お教えください」
「田単様、よろしいですか。たとえば、どろぼうに飼われている犬が、古代の聖王である帝堯に対してばうばうと吠えたとしましょう。その場合、それはたまたまその犬の飼い主がかのどろぼうであったからそうなってしまったわけです。犬は飼い主に向かった吠えたりしませんね。また、飼い主であるどろぼうが賢人のほまれたかい人と闘えば、たとえ相手が賢人であっても、どろぼうの飼い犬は賢人のふくらはぎにガブッと咬みつくことでしょう」
「なるほど、よくわかりました」

 後日、田単は宰相として、当時の斉国の王様の襄王に面会したときに、貂勃を臣下に召抱えるよう推薦しました。
「王様、朝廷の学問所に、貂勃という賢人がいます」
「さようか。いままでわたしは知らなかったが・・・・」
「実はかくいう私めも、貂勃という人物を知ったのはごく最近のことです」
「いったいどんなヤツなんだ?」
「はじめは、宰相である私のことをくだらん人物だと批判している者がいるという噂をききまして、かえって興味をもったんです」
「ほほう?」
「それで、先日酒宴の席をもうけまして、貂勃に会ってはなしをきいてみると、これはなかなかの人材と思われました」
「そうか。単自身がそこまでいうのであれば、仕官してもらって、召しかかえることにしよう」
 そんなこんなのすったもんだで、朝廷でつぎつぎに事件が推移しているうちに、ようやく楚の国から使者の貂勃が帰国しました。
貂勃はさっそく愛妻のもとにかけつけます。
「いやー、楚の国では、大歓迎で、毎日毎日パーティだったんだよ」
「あら、それでこんなに帰国がおくれたのね」
「そうなんだ。使者のお役目はきちんと果たすことができたのだが」
「待ちくたびれちゃったわ」
「わたしも早く帰国したい気持ちはやまやまだったんだよ」
「こっちでは、たいへんだったのよ」
「というと?」
「田単様に王様に対する謀反の疑いがかかって、取調べがあったらしいのよ」
「そりゃまた、いったいどうして?」
「それが、そもそもあなたが楚の国で歓迎されたのは、バックに田単様がいらっしゃるからだということらしいの」
「なんだって!?」
「それほどの強大な力を田単様がお持ちである、ということになったらしいのよ」
「わたしを楚の国へ使者として送り出すように、九人のお気に入りたちが推薦してくれたのは、そういう考えからだったのかもしれないな」
「そうね。だから、王様にこれからお会いになって報告するときには、ぜひこんなふうにしたらいいと思うのよ」
細君がそういって、またまた貂勃の耳元にそっとささやいて作戦をさずけました。
 その翌日、斉の襄王が、帰国した貂勃の歓迎会を開いて、このたびの朝廷の騒動についてことの経緯を伝えながら、宴もたけなわになって、「単をここへ呼べ」と従者に命令したところ、貂勃は身を正して、頭を下げて、王様に助言をしたのでした。
「陛下はなぜそのような亡国のことばをくちにされるのでしょうか」
「というと?いったいどういうことか?」
「おそれながら、お尋ねいたしたく存じます」
「ああ、なんだね」
「あえてお伺いいたしますが、陛下は、ご自身と周の文王と比べられて、どちらがすぐれているとお考えでしょうか?」
「いうまでもない。わたしごときが、周の文王にとうてい及ぶはずがないではないか」
「それでは、ご自分を斉の桓公とくらべてごらんになった場合、どちらが偉いとお考えになりますか?」
「あたりまえだが、わたしごときは覇王であらせられる斉の桓公には、はるかにおよばないさ」
「そのとおりです。周の文王や斉の桓公の偉業を考えますと、陛下はこれらの偉大な主君たちにはかなわない、とおっしゃるのは当然のことかと存じます」
「で、そのことが、いったいどのように今度のことにむすびつくのか?」
「このような偉大な周の文王や、斉の桓公も、それぞれ、太公望や管仲というきわめてすぐれた補佐役の助言と指導とをよくきいてそれに従ってことを行ったからこそ、成功したのだといわれています」
「それはそのとおりだ」
「ところが、あなたは、安平君を、『単、単』と呼び捨てになされておられます。なぜそのような亡国のことばを口になさるのですか!
 わが国の宰相であらせられる安平君の功績は、歴史上でも、類をみないほどのものです。そもそも、陛下の治めておられる斉は、今でこそ安定して強大な国ですが、ついさきごろ、北の燕国に攻め込まれてしまったときには、王様は先代からあずかった国土を守りきれず、斉の国は滅亡寸前まで追い込まれて、ご自身は城陽の山中に逃れました」
「たしかにそうだった」
「このときには、斉の国では70余りの城が攻め落とされて、のこされたのは莒と即墨の2城だけになってしまいました。その間孤立無援の城をもちこたえたのはどなたです?籠城のあとに戦い疲れた七千の兵卒を率いて敵の将軍を虜にしたのはどなたです?最後に斉の国土を奪回したのはどなたです?すべて安平君のお手柄ですぞ」
「そのとおりだった」
「あのとき、陛下を城陽の山の中においたまま、安平君みずからが王位についたとしても誰も反対しなかったはずです。しかしそれでは道にはずれ、義に反します。安平君は路をつくり宮殿をたてて陛下をお迎えしたのです。こうして陛下が王位につくことができ、いまや国は安定して、人心もおちついています。そのような功績著しい安平君に対して、さきほどのように『単、単』と呼び捨てになさるのですか?たとえ、幼子であってもそんなことはしません。
 陛下はすみやかにお追従と讒言とを口にしていた九人の家来たちを殺して、安平君に心からあやまるべきです」
襄王は、九人の寵臣を殺して、その一族を追放するとともに、安平君には、丁重におわびを言って、さらに加増することで王様としての態度を改めたことを表明したのでした。
 貂勃は愛妻に報告しました。
「帰国歓迎パーティで王様に申し上げたよ」
「あたりまえよね。田単様の功績を考えれば」
「安平君もこれで安泰かな」
「当然の権利よ」
後日安平君が淄水という大河を渡ったときのことです。一人の老人に会いました。この老人は淄水を渡ったばかりで、寒さに震えあがっていて、動くこともできません。安平君が老人を憐れんで、自分の服を脱いでその老人に着せてあげました。
 お城にいて、それを知った、斉の襄王が、また悪いクセをだして、「田単のやつめ、ひとに施しを行ったのは、わたしの国を奪おうとしているからだろう。はやいところ何か手を打たないと」と思わず声に出しました。
たまたま近くの休憩所にいてこれをきいていた貂勃は、ヤレヤレまたまた襄王の悪いクセがでてきたな、とひそかに心のなかでつぶやきました。襄王が周りをみまわすと、だれもいませんでしたが、休憩所に貂勃がいるのをみとがめて、
「なんじは、わたしの言をきいたのか?」
「おそれながら、聞こえてしまいました」
「わたしはどうすればいいとおもうか?」
「陛下としては、安平君の善行を御自分の善行にしてしまえばよろしい」
「というと?」
「陛下が安平君の善行を表彰するのです。『わたしが民の飢餓を憂いたから、単が民を収容して食事を与えた。わたしが民の寒冷を憂いたから、単が自分の服を脱いで民に着せた。単はわたしの意にかなっている』
と発表するのです。そうすれば、安平君の善行が陛下の善行になります」
 「なるほど」
襄王は納得して、安平君に牛や酒を賜りました。
 こうして、安平君は今回も襄王の逆鱗にふれることなく、無事でした。
貂勃は愛妻に報告しました。
「襄王がまた安平君に対してご立腹だったよ」
「またなの?」
「そうさ」
「こんどは?」
「老人をいたわってあげた安平君には謀反の意図があるかもって」
「それで?」
「安平君の善行は、王様の意志をくんでのことだと、民に知らせなさいといっておいた」
「王様は?」
「さいわい納得してくれたよ」
「それじゃ、今度はあなたから王様に助言することよ」
「なんて?」
賢明な細君から貂勃の耳元にささやきが今度もありました

 数日して、貂勃がさらに襄王に助言しました。
「陛下は朝会のときに安平君をお招きしてください」
「というと?」
「そこで朝礼のあとに、御自分の口から安平君をねぎらうことが肝腎です」
「それで?」
「その後で、農民に、飢えたり、寒かったりして、困窮しているyものがいないか、確認してください。飢餓や寒冷で困っている民を収養する命令をだすのです」
襄王は貂勃の助言のとおりに、まず群臣の前で田単をねぎらってから、さらに、家来たちに飢餓や寒冷の民を探させました。
それをきいたひとびとは、「安平君が人を愛するのは、じつは王様の教えだったんだなぁ」と、くちぐちにうわさばなしに花をさかせていたそうです。
貂勃も愛妻と談笑していました。
「君がいうようにダメ押しをしておいてよかったよ」
「田単様も安心ね」
「ただ、安平君の善行が王様の意図ということになっちゃったけど」
「そんなこと、田単様は気にしないわ」

 あるとき、安平君みずから、狄(北方の異民族)を攻撃することになりました。出征前に賢人の誉れ高い魯仲連に会って意見をきいてみますと、
「将軍が狄を攻めても、降伏させることはできないでしょう」
「まさか! わたしはかつて莒と即墨の二城だけを残して楽毅将軍が率いる燕郡によって斉国が滅亡寸前になったときに、敗残兵を率いて失地回復したものです。燕の大軍に勝てたわたしに、狄を攻めきれないなんてことはありませんよ」
 ところが、いざ狄を攻めてみると、なんと3ヶ月たっても、いっこうに攻略することができませんでした。この状況をみていた斉の民たちは、あきれてしまい、子どもたちが歌をうたうありさまです。
「安平君の冠はちりとりなみのようで、こおのままだと敗戦の責任をとらされちゃうぞ。狄を攻めても降伏させることができないで、斉兵から多数の犠牲者を出してしまっているだけじゃないか」
安平君はこれはたいへんと、貂勃に相談すると、
「ぜひ、魯仲連どのにお会いになって、先日の予言の意味をおたずねになるべきです」
「そうしよう。先生のおっしゃるとおりだ!」
安平君が魯仲連を訪問して、さっそくその質問をしました。
「先生は単には狄を降伏させることはできないと、先日おっしゃいました。その理由を教えていただけませんか」
「将軍が即墨にいたときには、すわって草の籠を編み、立って農具を持ち、士卒のためには、『逃げてはならぬ。先祖の廟が亡んでしまう。勝敗は最後までわからない。まだ希望はあるのだ』といって激励していました。将軍には決死の覚悟がそなわっていたのです」
「そうだった」
「だからこそ将軍の言をきいて、斉の兵士たちも命をおしむことなく、必死でたたかって、燕の大軍を破ることができたのです」
「いまも単は同じ気持ちだと思っている」
「ちがいます。いまの将軍には立派な官位と財産とがあり、その黄金を
たずさえて、戦場にのぞんでいるようなものです。これでは決死のこころとはいえません。だから勝てないのです」
「わかりました。先生の教えのおかげで決心がつきました」
 安平君は貂勃にことの次第をはなして、どうしようかと相談しました。
「どうやら、単の心構えの問題であったようです」
「それなら、ぜひ、まず斉軍の先頭にたって戦いに臨む覚悟をお示しになることです」
「具体的にはどうしたらよかろうか?」
「まず城をでて城下の矢石の下にたつのです。そしてご自身で戦いの太鼓をたたくようにされてはいかがでしょうか」
 「よかろう」
 こうして、安平君みずから決死の覚悟で戦いに臨むと、士卒もその変化を敏感に感じとって、戦闘をくりひろげ、ついに狄人が投降したのでした。

 安平君の評判が確立されて、最後には、趙の国の恵文王に招かれて、趙国の宰相をつとめることになりました。もちろん貂勃夫妻もついていきたかったところですが、斉の朝廷が許可しませんでした。
「安平君が趙の国で宰相になるらしい」
「わたしたちもいっしょにいければいいけど、もうこの土地に家屋敷もあるし、無理ね」
「今度は将軍ではなく、政治家として手腕を発揮されるはずだ」
「趙の国には、たしかに廉頗様や趙奢様など、将軍の人材は豊富だからなぁ」
「昔の武霊王の時代とは今は比べようもないけど」
「田単様もたいへんね。お見送りのときにぜひ助言してさしあげるといいわ」
例によって貂勃に耳打したのでした
貂勃は、安平君にお別れをするときに、
「お世話になりました。今度はご一緒できません」
「残念ですが、しかたがありません。先生から何か助言をいただけませんか?」
「趙の国は先代の武霊王の時代には服装まで胡服を採用するなど富国強兵につとめていましたが、その後は西方の隣国である秦がきわめて強大であるため、現君主の恵文王様もこのままではジリ貧になってしまうかもしれないことを心配したのかもしれません」
 「それはそうだ」
「趙王は何よりも国力の充実をのそんでいるはずです」
「まだ趙国にいっていないから、どこを改めるべきかなかなかわからないのだ」
「まず、趙の国に赴任されたら、かの地の将軍として有名な、趙奢様に面会すべきです」
「それは、単もそのように考えておりました」
「そこで、安平君がお考えになっておられることをざっくばらんに腹をわって、お話しになるのがよろしい」
「とにかくやってみよう」
 そのころ趙の国には、名将として有名な趙奢将軍が健在でした。田単は宰相として、この将軍に対して自分の見解を述べました
「将軍の用兵に関してはつねづね感服しております。しかし単からみますと、将軍はあまりに大軍を動員しすぎているように思えてなりません」
「と、おっしゃいますと?」
「大軍を動員しますと、百姓が減ってしまい、軍資金もかかる。そのうえ食料の補給はじめ兵站の任務もむずかしくなります」
「それはたしかにそのとおりです」
「これでは戦争の費用のために国が疲弊してしまいます。将軍は毎回10万人、20万人という数の兵士を動員される、その理由を教えてください」
「宰相閣下は兵法にも暗いし、時勢にも疎いといわざるをえません」
「そうでしょうか」
「いにしえの時代は小国が乱立している状況でした。ですから、3万の軍勢でもおおむねことたりていました」
「それでは、いまはどうなのでしょうか?」
「いまでは戦国の七雄とよばれる大国が最後に残って、たがいにしのぎをけずっている状況です。
このような大国どうしの戦闘ではしばしば10万人~20万人の兵士が動員されています。相手が何十万という多人数の兵士から構成されている軍隊に対戦する場合には、こちらがたった3万人の軍勢ではとても戦いにはなりません」
「単が不明でした」

 有名な『先づ隗よりはじめよ』の逸話のように、昔、弱小の燕国が諸国から賢人を募って、そのときかけつけた天才の一人である楽毅将軍が、戦国諸国の連合軍を編成して、強国の斉国に攻め込んできました。あわや斉は滅亡寸前というときに、比較的少數の斉兵を率いて、国土を奪回した斉の将軍が田単です。しかしながら、このような例外的な用兵による奇襲作戦は必ずしも常にうまくいくとは限らない。田単も趙奢将軍の論理の趣旨を理解して、「単が不明でした」と反省しています。自身の成功体験に甘んじていないところは、さすがに安平君は一味ちがうというべきでしょう。
日本の国の戦国大名のなかでも、戦いが上手な代表選手としては織田信長がまず第一に挙げられるとおもいます。この織田信長も、桶狭間のたたかいにおいて、今川義元の大軍を少人数の奇襲で破ったことが有名ですが、この例外的な成功体験におぼれることなく、その後はどのような合戦でも、かならず相手を圧倒する多人数の軍勢で戦いにのぞんでいます。もしかすると、信長は、この趙奢将軍の故事を知っていたのかもしれませんね。
襄王が即位して、何とか斉は復興しました。しかしながら、国力は激減しており、かつてのように秦と天下を争うのは無理な状況でした。
田単の時代のあとには、斉の国の宰相には、歴史に残るようなすぐれた人材が、登用されることはなかったようです。
 その後、斉は秦によって滅ぼされてゆく他国を傍観する政策を取りました。この政策により束の間の平和を手に入れることができたのですが、最後には孤立無援の状態で秦と向かい合うことになり、秦王政によって斉は滅亡しました。こうして結果的に斉は、秦を除いた「戦国の七雄」のなかで、最後の一国となったのです。

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