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共同親権について思う事 〜当事者(子供の立場)として考えてみた話〜

私、音声配信のVoicyをちょくちょく聞いております。推しパーソナリティの一人である近藤弥生子さんの放送を聞いていたら、共同親権についての放送がありました。

この放送を聞いて、いろいろ思うところがありました。

何故なら、私が離婚した家庭の子供という立場の当事者だから。

今日は、子供の立場から、共同親権について思う事をツラツラと書いてみようと思います。

私の両親が離婚したのは私が高校一年生の時でした。それから20年以上、私は父親と会っていません。もうすぐ30年くらい会ってないことになります。

私は法律の専門家でもないし、両親の離婚の話も30年近く前の話なので、現在とはだいぶ事情も違うと思います。
それでも、現在子供の立場の皆様は、恐らく言語化は難しいと思いますので、子供の立場で思う事を40代の私が書いてみようかなと思いました。

ちなみに、30年近くたった今でも、心の傷は癒えていません。だから、今までちゃんと言えなかったし、書く事が出来ませんでした。

今回も全ては書けないと思います。
でも、共同親権については、もっと議論されるべき問題だと思うので、ちょっと書いてみようと思いました。

もしかしたら、しばらくしたら非公開にしちゃうかもしれないです。また気持ちの整理がついたらちゃんと公開しようかな、とか、私自身、まだ迷いがあります。

言えない。言いたくない。怖い。そういう気持ちがあるからです。

でも、きっと、言語化できないであろう、かつての私と同じ立場で苦しんでいる子ども達が、これ以上辛い目に合わないように、書いてみようと思いました。


離婚のドタバタを長年見ている子供は既にとても傷付いている

弥生子さんのVoicyで知った「ちょっと待って共同親権」というプロジェクト。

私、弥生子さんの放送とこちらのHPを見て、「マズいのではないか」と思いました。

共同親権の問題点については、弥生子さんの放送やこちらのHPにもまとまっておりますので、詳しくはそちらをご参考になさって下さい。

私は当事者(子供)の立場から、この共同親権が子供の権利や安全について、子供の立場になって考えられたものなのか、とても疑問に思いました。

いろいろ言いたい事はありますが、まず何よりも大人達に言いたいのは

子供は離婚について何も考えていないわけではありません。

意見がないわけでもありません。

言えないだけです。
言葉に出来ないだけです。

幼くて言語化出来ないか、
「大人の事に口出しするな」と言われているか
「言ってもムダだ」と思っているか
だと思います。

離婚って、今日ケンカして明日お別れしましょう、っていう訳にはいきませんよね。
「何とか頑張って修復しよう」とか「この問題を解決したら大丈夫だ」と試行錯誤する期間があると思います。

その試行錯誤期間の大人達の行動を、子供は見ています。

私の場合は、その期間、ずっと傷付いてきました。

30年近く前ですので「離婚はかわいそう」「世間体が悪い」という価値観がもっと強かった時代です。

毎日ケンカをしている両親を見て、傷つかない子供がいるでしょうか。離婚に至る迄の過程を、ずっと見ているのです。

場合によっては、私の様に何年も。

子どもの目の前で配偶者や家族に暴力を振るうのは、児童虐待に当たるそうです。大人になってから知りました。

私や、私の姉妹は、そういう精神的な児童虐待を何年も受け続け、現在もトラウマを抱えています。

子供は、両親が離婚に至る迄の間に、既に充分傷付いているのです。
傷付いて傷付いて、泣く事すら出来なくなって、諦め、何も言えなくなっている子ども達がいるのです。

DVから逃げられなくなる

本当にギリギリの精神状態に追い込まれている家庭を、この共同親権は考えていない様に思います。

我が家の場合、離婚後の親権は母親になりました。ですが、離婚後にもいろいろあって、私は母親とも今は疎遠になってしまいました。
母とも10年くらい会っていません。

母はDVの被害者なので、いろいろ思う事もあります。私がもっと母に歩み寄れば良かったのかな、と思う事もありました。

でも、
私が「自分の人生」を生きる為に、
自分の子ども達を守る為に、
母にも「会わない」という決断をするしかありませんでした。

それについては、いつか気持ちの整理がついたらnoteに書くかもしれません。

話を元に戻しますが

母は長年に渡る身体的・精神的DVの被害者でした。離婚を切り出すのも勇気が必要だったと思います。母が頑張って大きな決断をしてくれたおかげで、私の人生は大きく大きく前進しました。
その事は母にとても感謝しています。

私は父に会いたくありません。
今後一生会わなくて良いと思っています。

父とは絶対に関わりたくないです。

何故なら、
母が父に暴力を振るわれ救急車で運ばれていくのを、私は何度も見てきたから。
常に父親の怒鳴り声に怯ていたから。
夜中に姉妹で布団を被って身を寄せ合いながら、夫婦喧嘩が収まるのをずっと待っていたから。

あれは「夫婦喧嘩」ではなく、ただの暴力でした。

そして、それをずっと見せられてきた私も、心理的虐待の被害者だと、今なら分かります。

私のお豆腐メンタルの原因だと思いますね。ホントに。何年経っても、何十年経っても恐怖です。いろんな事にビクビクしてしまう。

他人の顔色をうかがう事を覚え、
自分の感情に蓋をする事が上手になり
やりたい事があっても、心の中の誰かがストップをかけるのです。
「お前にそんな事は無理だ。ムダだ」と。

そこから脱する為に、私は今も足掻いています。

30年近くたった今でも
「大丈夫。あの時の大人達はもういない。やっていいよ。大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせ、心のリハビリをし続けています。

そんな状況に私を追い込んだ父に、離れた後も会わないといけない、口出しされるなんて、想像するだけでゾッとします。恐怖です。

「共同親権」を盾にずっと恐怖にさらされ続けるのだと思うと、絶望しかないです。

DVは隠されるから、外からは分かりにくい

私は絶対に「暴力がある」とは言わなかったです。言ってこなかった。

言えませんよ。
学校で友達や先生に、言えると思いますか。
「お父さんがお母さんの事を殴るんだ」なんて言えますか。

言えません。

近所の大人に言えると思いますか。
「昨日もお父さんとお母さんがケンカして、湯呑がコッチに飛んできた」なんて言えますか。
言えません。

ずっとずっと、隠してきました。

当時はそれが日常化して感覚も麻痺しているので、辛いとも思わなかったです。これが普通だと思っていました。でも、何となく「話してはならない」と思っていて、ずっと隠してきました。

言ったとしても「お父さんとお母さん、ちょっとケンカしちゃった」くらいです。

だから外から見てDVは分からないんだと思います。

でも、だんだん私も成長して、友達の家と比較して「どうやら我が家はおかしいみたいだぞ」と気付くのです。

気付いたら「辛い」という気持ちしかない。

DVに「我慢出来る出来ない」はない

弥生子さんの放送で
「耐えられるDVと耐えられないDVを判断する」という発言を、推進派の議員さんがされていたというのを知ったんですが

DVの何を知ったいるのだ、と言いたくなりました。

DVというのは、DVというだけで怖いものなのです。

例えて言うなら
首にロープを巻かれているか、ナイフを突き付けられているかの差
だと思います。

もう、首元になにかある時点でおかしいですよね。
我慢とかじゃないです。

とにかく、
「今、首になにかある。取らなきゃ(逃げなきゃ)」というのがDVだと思います。

「ナイフまで行かなくても、ゆるーくロープが巻かれているくらいなら大丈夫」とか言いますか?言いませんよね。取りますよね。
生命の危機に、我慢も何もありません。

とにかく関わりたくないし、逃げたいのだ

私はとにかく父と関わりたくないです。
逃げたい。

絶対に会いたくない。

父に何かあったら、恐らく役所を通じて私のところに何か連絡が来るのかな、と思っていますが

全部全部、拒否しようと思っています。

仮に父親が億万長者になっていたとしても、相続も何もかも、全て拒否しようと思っています。

それくらい会いたくないです。

もう私の人生に関わって欲しくないのです。

DVというものは何十年も影響を受けます。ずっとトラウマを抱え続けます。

それは、離婚後も子供の人生にずっと影響し続けるという事です。
子供は、そのトラウマを抱えながら、その後の何十年という人生を生きるのです。

何という爆弾を抱えさせてくれたのだ。
解除が難しくて本当に困っています。30年近くたった今でも、私はまだ解除しきれていません。

共同親権が成立したら
子供の進学や引っ越し等も、両親の同意が必要になるとの事ですが

もうね、コレは絶対イヤです。

私の様な家庭の場合、絶望しか与えないと思います。そもそも、毎日怒鳴って暴力を振るう相手と対等に話し合いが出来るとは思えません。

別れた方の親に会わない事が、
子供の安全を守り、権利を守る事に繋がる、私の様な場合もあるという事を、少しでも知ってほしい。

確かに「会わせないなら養育費は払わない」みたいな事になり、経済的にはとても大変でした。

でも、少なくとも、父親の暴力や怒鳴り声に怯える毎日からは、やっと解放されました。
私は高校一年生の夏休み明けに、初めて家で落ち着いて勉強が出来る様になりました。勉強中、宿題中に、父親の怒鳴り声がしない。父親の暴力で母が怪我をして寝込む事も無い。寝込んだ母の代わりに、姉と協力して家事をしなくても良い。

私はやっと怯えなくて良い環境を、両親の離婚によって手に入れました。

なのに、もし、このまま充分な議論をされずに共同親権が成立したら。

この共同親権は、本当に子供の事を考えているのでしょうか。

やっと怖い思いをしなくて済むと思ったのに、まだ心を殺し続け、我慢し続けないといけないの?

会わないという事が、子どもの安全を守り、権利を守る事にも繋がる場合もあるのです。

そういう家庭もあるという事を知ってほしい。
今、かつての私の様な状況にある子供達が、絶対にいるはずです。

その子達は、誰が守ってくれるの?

共同親権について、もっと充分に議論して、ちゃんと子どもの事を守って欲しいと、子どもの立場から思います。


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