Living proof

気持ちは若い40代オジサンデザイナー。 性格上いろんな人の話を聞きすぎて苦労するタイプ…

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気持ちは若い40代オジサンデザイナー。 性格上いろんな人の話を聞きすぎて苦労するタイプ。 楽しいんだけどね。 なんでこんな性格になったのかなって事を思い出して、いろいろ書こうかと思います。 車好き バイク好き キャンプ好き 呑み好き

最近の記事

どうするフリーター 18歳

高校を辞めてアルバイトをしながらもダラダラ過ごしていた日々。スケーターの先輩に憧れたり、原付バイクでいろんなところに行ったり、自分は病気じゃない。普通の人間だと言い聞かせるように気を使って生きていた。 1年くらい経った頃、流石にこのままでいいのか?自分は何になりたいのか?就職?このままフリーター?色々悩んだ時期があった。 中学から筋金入りの悪だったツレが一人いた。私に比べると彼の素行は最悪で犯罪的なこともたくさんしていた。そんな彼が人生を考え直そうと思ったのか、高校の卒業

    • 高校を辞めてからの生活 17歳

      とうとう高校を辞めてしまった私は、何をすればいいのか分からないまま毎日をダラダラ過ごしていた。ただ面白かったのが、中学校からの悪友たちが次々と高校を辞めていき、みんながフリーターとなって毎日ダラダラ過ごすことになる。 スケボーをやっていた仲間。バイクや暴走族ちっくな事ををやっていた仲間。いろんな仲間たちがそれぞれの遊び方で、日々を過ごしていた。 今の時代、すぐにSNSで晒されることが多いが、当時その機能があったらと思うとゾッとする。 二回目の入院生活を経て、症状的には少し

      • 音楽と記憶 17歳

        高校に復活してしばらく普通に生活はできたが、ちょうど2年生に上がる前 またしてもアトピーの症状が悪化することになる。 この時が一番酷かったかもしれない。部屋中カサブタだらけ。傷口から出る汁はもう抑えることができなかった。そして2度目の入院を決断することになる。前回と同じように田舎の病院に再入院。なんと表現したらいいのかわからないが、傷口が大きな芯というかシコリというか、そんな状態の部分がたくさんあり、ある日主治医の先生から「もしかしたら癌かもしれないから一度切り取って調べま

        • 超重症アトピー入院から戻って 16歳

          1ヶ月の入院を終えて、大阪に戻った私は再度高校へ復帰する。 見た目が綺麗になったこともあり、心機一転学生生活を楽しもうと復学したのだが、サボり癖が治らず、すぐに学校へ行かなくなる。 中学校当時から遊んでいた仲間たちもだんだん学校に行かなくなり、いわゆるストリートで遊ぶことに楽しみを覚えていく。スケボーしたり、ダンスしたり、ストリート文化が盛んだったわが町は魅力的な遊びがたくさんあった。 中学校でバスケットボールをしていた時からハマった音楽がある。当時マイケルジョーダン率い

        どうするフリーター 18歳

          制御不能で入院 16歳

          もはや自分で制御できない状態が続き、部屋から一歩も出れない状態になってしまった。この辛さはなかなか理解できないかもしれないが、耐え難い苦痛が続く。 地と体液とかさぶたと、そしてなんとも言えない匂いと激痛。風呂に入るのも辛い。 わかる人にはわかると思うが、全身のかわがめくれている状態でシャワーを浴びるのは地獄だか、一つ禁断の浴び方がある。 高温のシャワーである。しみる、痛いなどの部位には熱湯をかけることで快感へ帰ることができる。 しかしこのやり方は本当に危険で必ず悪化します。最

          制御不能で入院 16歳

          地獄のつづき 15歳

          かなりランクの低い地元の高校へ進学する事が決まった。この頃になるとスポーツができて勉強ができて,怖いものなんてなかった小学校の勢いはほとんどなく、影を歩く人間になっていた。 ただ、スケボーをやっていた中学校の仲間達も同じ高校に進学した事が救いだった。 最初はちゃんと通っていた高校も、見られたくない、目立ちたくない、という気持ちが大きく徐々に行かなくなっていく。 家では明るく頑張っているよと、母に嘘をつきながら、行ってきますと朝出ていけば、近所の公園で過ごす日々。まさにリス

          地獄のつづき 15歳

          俺を見ないでくれ 14歳

          アトピー性皮膚炎を強い薬で抑えながら、誤魔化し誤魔化し毎日を過ごしていた私は、スケボーを毎日のように練習するが一定のスキルから上達することは無かった。 ある日一緒にスケボーをやっていた友達が家にあった8ミリカメラを持ってきた。これで滑っているところを撮影しよう!と。 あまり上手くなかった私は、撮影する側になった。どうやったら彼らをかっこよく撮れるだろう?どんなアングルがいいだろう?と考えるのがとても楽しかったのを覚えている。 当時音楽を聴くのはカセットテープ。ウォークマ

          俺を見ないでくれ 14歳

          体の悲鳴、そして心の悲鳴 13歳

          中学2年を迎えた頃、体に異変が起こることになる。ある日突然顔がかゆい・・。体がかゆい・・。まぶたが赤くなったり、体がガサガサになったり。 そう、アトピー性皮膚炎だ。小さい頃から少し症状はあったのだがここへきて症状が大きく出るようになっていく。当時は病院に行けば、強力なステロイドを処方されて抑える日々。 自信たっぷりで迎えた中学校生活で、見た目がどんどん悪くなる自分が本当に嫌で嫌でしょうがなかった。そんな中学校生活からも逃げるようになり、夜な夜なスケボーをし、タバコを吸い、体

          体の悲鳴、そして心の悲鳴 13歳

          中学校でくらった理想と現実 12歳〜

          そんな小学校を過ごした私は、地元の公立中学校へ行くことになる。 2年上に姉が通っている地元の中学校である。 小学校では野球をずっと続けていたが、ちょうどその時期スラムダンクが流行っていたのもあって野球はきっぱりあきらめ、バスケットボール部に入ることとなる。 2歳上の姉が通う学校というのもあり、女子クラスメイトの弟を可愛がることでカッコつけようとする先輩男子にはとても可愛がってもらった。 ただ、野球で調子に乗っていた私はバスケットボールも練習すればスタメンになれると思っ

          中学校でくらった理想と現実 12歳〜

          調子乗りが挫折を味わう 11歳

          野球に、勉強、友人関係、全て良好だった小学校生活。目立ってなんぼの日常生活。充実した毎日を送っていた。 高学年になり、体の変化もぐんぐん現れ身長もクラス内では大きい方になってきた。 そんな中最初に現れたのは、ニキビ問題である。他の子より成長が早かったのか5年生くらいでニキビがたくさんできるようになった。 成長していく中仕方ないことだが当時は本当に嫌だったのを覚えている。 野球チームの低学年からブツブツ先輩みたいなことも言われたり、心無い言葉を言うものも何人かいたような記

          調子乗りが挫折を味わう 11歳

          小学校でたくさん勉強するとこうなった〜11歳

          スポーツは野球を続けていたが、勉強はどうなのか? 両親共とても頭がよく、特に父はいい大学を出て一流企業に勤めなさいと教育されてきた。 我が家の旅行がいつも徒歩と電車だったのは、父が若いころ車の免許を取らせてもらえなかったからである。 野球が楽しくて、学校でも面白いグループにいた私は、父からいつもいい大学に入りなさい。いい企業に入りなさい。と世間のピラミッド構造みたいなものを見せられ勉強しなければ人生が終わると言われてきた。 そんな毎日を過ごしていると勉強しなきゃと思い、

          小学校でたくさん勉強するとこうなった〜11歳

          大阪で生まれた幼少期 0歳〜11歳

          バース、掛布、岡田と阪神タイガースが盛り上がっていたころ大阪の田舎の方で生まれる。 父は製薬会社のサラリーマン、母は音楽好きの家庭ですくすくと育った。 一家揃って阪神タイガースファンの家庭で姉のお下がりの自転車に母がタイガースのロゴを手書きで描いてくれたのをいまだに覚えている。 そんな家庭なら当たり前のように野球好きになり,阪神タイガース大好きなガキは幼稚園でも明るくモテていた。(自分で言うのもアレなんだが) 唯一鮮明に覚えてるのは、阪神タイガースのサンダルで犬のウンコ

          大阪で生まれた幼少期 0歳〜11歳