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うまく届かなかった願い

ハイスペ志向で結婚したが今離婚に向かっている人が、忘れた頃に「ん〜〜」としか言いようのない話を持ってくる。


遠くに住んでいるし、しつこく話をされたり何かを要求されるわけじゃなく「現状報告」程度なので実害はそれほどない、のだけれど。


この人は前から私に「夫には魅力を感じない」とか「働くしか能がない」とか「稼いでくれるから結婚した」と言っていて、私はもう嫌になっておりました。



夜夫と、「夫婦で楽しく会話したりでかけたりするのって良いよね幸せなことだよね〜」と喋ってたタイミングですげぇ悲しい話を持ってきたりするのは何なんでしょう。レーダーでもついてるのかな。




私はしがない店員をやっていて、夫婦で来店する場合、あまり会話がなかったり夫はさっさと店を出て妻が1人で商品を選んでいたり、軽く言い争いながら選んだりと様々なんだけど

2人で商品や店内のポスターなんかを見ながら、なんじゃかんじゃと言い合ってゆっくり商品をカゴに入れたりしている姿を見るのがとてもスキなのです。


夫婦に限ったことではないけれど、どうせなら友人にしても知り合いにしても、仲良く楽しげに話してる方がいいじゃないですか?


中でも夫婦は一緒に過ごす時間が他の人より圧倒的に長いわけです。
そういう相手とちょっとした買い物を楽しく会話しながら出来るっていうのは、日頃からそういう何でもないけど楽しいやりとりをしてるはずで

そういう夫婦を見ると、ああ、そういうのって本当にいいね!と嬉しくなるのです。


ちなみにこの「楽しげな夫婦」は年齢は全く関係ないのが面白い。
中年は倦怠期とか言うけど、高齢の御夫婦でもニコニコ喋りながら買い物するし、若い夫婦でもお互いにムスッとしながら黙って買い物してたりもする。

こういうのって年齢じゃなくて結局人間性なんだなーと、とても勉強になります。



なーんていう話を夫と喋ってる時にピンコンとラインが来て、何だかすげぇ悲しい話が綴られていたりする。読んでるだけで沈んで、不幸に落ちていきそうな話が。


今まではそういう話に内心「自業自得としか言いようがないよなぁ…」と思いつつ、まぁ実際に大変で消耗して気の毒なのと
あとはやっぱり楽しく元気に暮らしていてほしいんで、自分なりに色々考えて励ましたりしていた。

いつもならそうしてたけど、今回はもういいやと思って、適当に済ませた。



だって、よくよく考えたら知り合って20年くらい、ずっとこんな感じなんだもの。
常にトラブって、いつも消耗してるんだもの。


この人は流行りの病系も大好きで、歴代でいうと

アダルトチルドレン
うつ
リストカット
hsp
巫病

あとは夫婦関係でいうと

モラハラ夫
カサンドラ症候群
自己愛性人格障害

とかね。

これは全部この人から聞いて初めて知った言葉。

私はこういう、現象が先にあって言葉が生まれるのか、言葉が先にあって現象が生まれるのかよくわからん病系は関与しないようにしているけど、コレクターのようにこういう言葉を集めてる人がいるんですね。


こういう言葉がそういう現象を呼ぶ気がするので、使わない方がいいと思ってますが。



あとは、元々自分には霊感があるとか
前世がなんちゃらとか
言ってた人ではあったんだけど、直近の連絡では私には龍神がついてるとか、先祖のご加護とか、今の悪い状況は学びだとか、何かが加速しているようで…。

霊感や加護が何かの優れた特殊能力で、それが自分の特異性や能力を証明すると思っているフシがある気がするが、霊感とか加護ってそんなものだろーか。

確かにそういう世界はあるとは思うけど、何でそこに突っ込んで行きたいのか私にはわからん。

そもそも我々は3次元の人間界に生きてるんだから、霊や龍やご先祖を大切にする前にまずは周りの人間を大切にしなきゃいけないんじゃないの?

周りの人を粗末に扱う人が、本当の意味で霊や龍やご先祖を大切にできるものなのか?

よくわからない。



あと最近何か悪いことがあるたびに、亡くなった祖父母や先祖に祈ったとか、夢に出てきた祖父母の言葉をご宣託のように私に語ったりするんだけども

亡くなった祖父母やご先祖って、ホイホイ都合よく願いを叶えたりご宣託をくれる便利屋みたいなものなんだろうか。
ていうか亡くなった祖父母なんて最近まで生きてた人間なのに、そんな神様みたいな能力があるんだろうか?


よくわからない。

よくわかららないが私は、


自分ができる範囲で人に優しくして

周りの人と力を合わせて楽しく元気に暮らすこと以上に先祖が喜ぶことはないと思っている。


子孫が楽しく仲良くつつがなく暮らし、静かに家系が発展していくのを見ることが、ご先祖は一番うれしいんじゃないか?
私がご先祖ならそう思うし、そういう人を見守っていたいと思う。


自分がご先祖なら、いつもトラブルを引き起こして助けてくださいと頼ってくるやつなんか、自分の子孫だろうが絶対に助けない。
なんぼお鈴を鳴らされようが墓参りに来ようが、お供えものをされようが、絶対に助けない。

そんなもんは周りと助け合っての自分で何とかすればいい。

手合わせようが心の中で呼びかけようが、絶対助けないからな!

と、まだ生きてるうちからカリカリ怒ってる。


だけどこの「楽しく仲良くつつがなく暮らし、静かに発展する」っていうのは言うほど簡単じゃない、というか実は大変な努力や忍耐、そして人間性がなくては叶わない、めちゃくちゃハードルが高いことである。




普段努力と忍耐で頑張り、謙虚を忘れず人間性を高めていても、時に本当にどうしようもない不幸は起こるかもしれない。

そんな時、先祖としてまるっと全て解決してあげるのは無理だが、小さな風を吹かせ一瞬だけ霧を払ってあげることはできるかもしれない。

人事を尽くして天命を待つってこういうことでしょ?


安易に神や先祖に頼る前に、本当に自分に出来ることは残されていないか?自分に省みるところはないか?考えるべきだと思う。

もう死んでる先祖を、つまらないことで呼ぶんじゃないよ!と、まだ呼ばれていないうちから息巻いている。




…とまぁ、こういう人の話を20年近く聞いてきて
この人の言う事や悪い状況の中味はガンガン入れ替わってきたんだけど、昔から私がこの人に言ってたことはすっごくシンプルで
「とにかく、楽しく元気に暮らしていてほしい」
ってことだけ。


この人がどんな選択をしてもどんな状況でも、たとえ世間から見てあんまり…に見えても、この人が楽しく元気に暮らせているのであれば、それは良いことじゃないですか?
満ちたりているってことじゃないですか?


「幸せ」でいてほしいと言ったとして、私はその「幸せ」という言葉の中味がよくわからないんで

だったら、「楽しく元気に暮らせてる」ならば、お金や地位などがアレでも、周りの人とも仲良く出来て、順調にいく。

それが一番良いことだと思うから、私は友人だった人にずっとそうなるように願って言ってたんですがね。


どうも、友人だった人にとっての良いことと
私が思う良いことが違うらしいぞ?
この人は、「楽しく元気に暮らす」以外の願いや理想があるんじゃないか?


と気づいたのですよ。



それはもう仕方ないですね。
人それぞれ願いは違うので。


だとしても、私は今まで出来る限り、この人に私の気持ちを注いできたので、私がやれることは十分やったと思う。

この人はこの人なりの苦しさがあって
たくさん考えて、頑張っているんだとは思う。
だけどもう私には、この人が本当のところ何を望んでいるかがよくわからないんだ。

もう私も若くないし、昔みたいにいつまでも生きて当たり前とは思えないから、

私はもうこの人ではなく「楽しく元気に暮らす」ことを願う人に向けてこの言葉を使おうと思います。

そっちの方が、願う方も願われる方もお互いのためになる気がするから。




これからはこの人になんて言おうか。

「あなたの望むとおりにすればいいと思うよ」が一番いいかな、と今思ってます。

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