安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(9) 都知事立候補問題とそれを応援する議員

1.え、都知事に立候補するの?

■え、都知事に出るの?
 
安芸高田市をかき回すだけかき回して、1期で市長を辞め、今度は、東京都知事に出るという。
 むろん、自分のゆく道は自分で決めるのだから、それは自由であるが、どう贔屓目に見ても、地方自治に対する見識はなく、実現した独自の施策が、お好み焼き「職員の子どもの職場参観」くらいのものばかりなので、泡まつ候補扱いだろうと思っていた。

■え、応援する人がいた!
 せいぜい応援する人がいても、切り取り動画で、判断や評価をする人くらいだろうと思っていたら、若手の議員やオピニオンリーダーの人も応援しているのに驚いた。その一人が、江東区長選挙に出た、さんのへ あや (三戸 安弥)さんである。

■え、三戸安弥さんが
 
むろん、三戸さんとは、知り合いでも、友だちでもないが、「社会福祉士/保育士/精神保健福祉士/防災士/店舗経営者/2児の母/剣道三段/きょうだい児/無所属無会派で改革実績多数/こどもにツケを回しません」という経歴に、江東区の区長選挙のときから、期待というか、魅力を感じていた。寄り添うことができる人だと思っていたからである。

■え、「石丸市長は改革を実行してきた」
 その三戸さんが、ツィッターに書いている。
 石丸市長は、「明確なデータによる根拠を示して政策を提案しても、既得権益層への忖度が優先されまともな議論がなされない旧態依然の議会」に対し、情報公開を通して世間に注目してもらうことで改革を実行してきました。

■え、と思って、思わず返信を書いた
 え、と思って思わず、返信を書いてしまった。ツィッターで知らない人に返信を書いたのは生まれて初めてである。
 「応援していたのに残念です。別にnoteにも書きましたが、石丸市長の政策をいくら探しても見つかりません。具体的に、どんな政策を提案して議会の理不尽の反対を受けたと考えているのでしょうか」

■私の関心は、ポピュリズムの時代
 
noteにもすでに書いたが、私の関心は、ポピュリズムである。石丸市長は、内実がほとんどないので、彼がポピュリズムのリーダーになるとは心配していない。
 いっとき、時代の寵児になるかもしれないが、その「個性的」な性格と社会性の乏しさで、トラブルを起こし、いずれ社会から退場することになると思っている。

■再び、え、三戸安弥さんまで
 問題は、そんな石丸市長に乗せられる人たちである。そんな人は、切り取り動画を見て、判断する人くらいだろうと思っていた。ところが、議員でもあり、「寄り添うことができる」と思っていた三戸安弥さんも、乗せられているのに驚いた。
 「カモられるひとたち」というのを書いたが、その広がりに正直、戸惑っている。
「カモられる人たち」安芸高田市石丸市長を応援する人たち(8)ポピュリズムの時代|右往左往 (note.com)

■真贋のリトマス試験紙
 
今回の石丸都知事候補を応援するかどうか、あるいは、どのような理由で応援するのかは、その人の真贋のリトマス試験紙になると思っている。
 ここで分かるのは、民主主義の理解や社会への洞察力、言い換えれば、その人の力量や深みが分かるように思う。

■再び、安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代を考えてみよう
 
これまで1~8まで「安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代」を書いた。私も忙しいので、このテーマは、終わりにしようかと思っていたが、三戸さんのコメントに触発されて、図らずも、再び書くことになった。幸い、今日は土曜日。明日がんばれば、たまった仕事は片が付くだろう。

2.安芸高田市民の評価と市外の人たちの評判の落差があまりに大きい

■そのまま選挙に出たら
 もし、石丸市長が2期目に挑戦したらどうなるか。
 以前は、「ダブルスコアで石丸市長の負け」と書いた。しかし、最近では、「対立候補の5分の1も取れないだろう」と考えている。
 「灯台もと暗らし」とはよく言ったもので、地元の評価は厳しく、もし出ても勝負にならないだろう。

■私の石丸市長歴は最初からである
 
なぜそう思うか。
 石丸市長の登場は、河井事件が端緒である。ふるさとを立て直さないといけない。銀行を辞めて、故郷に戻ってきて、市長選挙に出る。大いに応援したくなるではないか。
 私の石丸市長歴は、その時からである。ブームになって、にわか石丸市長ファンになった人とは、歴史が違う。だから最初からよく知っている。

私の石丸市長歴はここに詳しい
安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(1)|右往左往 (note.com)

■当選後、いくつもの応援団が生まれた
 
同じように感じた人が安芸高田市にものいたのだろう。石丸市長になって、いくつもの安芸高田市の未来を考える会が生まれた。石丸市長の応援団である。
 河井事件で傷ついたまちをどう再生するか、石丸市長とともに、まちの未来を考えたいと思ったのだろう。

■しかし、1年でほとんどなくなった
 しかし、それもすぐに動きが悪くなり、1年で、そのほとんどがなくなってしまった。その理由を聞きたいと思っているが、今では、ネットで探すのも難しいくらいになってしまった。ただ、石丸市長のこの4年間を見ると、分かるような気がする。

■選挙は仲間を固めヒートアップしてこそ強い選挙になる・応援団はよそ者のネット民
 選挙は仲間を集め、仲間同士でまとまって、ヒートアップしてこそ、それが強い選挙になる。石丸市長には、こういう仲間がいないのだろう。いるのは、政治のエンタメを楽しんでいるネット民である。これではとても選挙にならない。だからダブルスコアで石丸市長の負けを5対1で石丸市長の負けに訂正した。

■石丸市長やめないでという声があるのか
 
地域の人に慕われていれば、「やめないで」という声が上がる。さんざんに言われた静岡県知事も、やめた後は、「もう一度出て」という市民団体が現れた。ただ、安芸高田市では、みな素知らぬ顔である。
 選挙を見たかったが、大本営発表の「転進」してしまった。

*最近の記事では、市政ネットワークは「本会は、石丸君が市長選に出れば、供託金没収、再起不能という状況まで追込むつもりでいましたから」と言っている。
 供託金の没収は、いろいろ計算方法もあるようであるが、10分の1が目安らしい。
 私も実は他の人には、「石丸市長は選挙に出ても10分の1くらいしか取れないんじゃなの」と言っていたが、現職市長としては、あんまりの数なので、文章で書くときは、多少、下駄をはかせて「5分の1」とした。
 ただいくら言っても、水掛け論なので、本当に選挙を見たかった。
安芸高田市政刷新ネットワーク通信 (ameblo.jp) 石丸市政の不毛な4年間(7)

3.石丸市長に政策あったのか

■明確なデータによる根拠を示して政策を提案した?
 三戸さんは、「明確なデータによる根拠を示して政策を提案しても、既得権益層への忖度が優先されまともな議論がなされない」といっている。これを何を指しているのだろう。
 4年間、安芸高田市をフォローしてきた私であるが、「明確な根拠を示しての政策」とは何か、皆目見当がつかない。決して嫌みでなく、それは何を指しているのか、本当に教えてほしい。

■市長の提案実現した政策「あきたかた焼き」
 
一時、石丸市長の応援団の人たちに、石丸市長が提案・実現した政策は何かと、しつこく聞いて回った。
 たいていはスルーされるが、「あきたかた焼き」という回答が多かった。
 あきたかた焼きと聞いて、最初は、秩父の火祭りのような伝統的な文化行事をイメージし、これが石丸市長の手で発掘されて、復活するのかと思った。
 たしかに火は人の気持ちを揺さぶる。安芸高田市は毛利元就の町である。なるほどである。ところが、お好み焼きと知って、「がくっ」ときた。
 新たな商品を開発するのはもちろんいいし、それがお好み焼きでもいい。ただ、多くのまちでは、これは担当者かせいぜい係長の仕事である。これが市長の実績と言われては、「がくっ」とくる。

安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(4)石丸市長が成し遂げた仕事はあるのか・私が石丸市長だったら|右往左往 (note.com)

■銀行の小さな体験をベースにした「政策」

 私は、4年間フォローしているので、私なりに、石丸市長の独自の政策を思いつく。ただ、いずれも、銀行(支店)の小さな体験を基づく「政策」というのが総括である。

安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(5)石丸市長が成し遂げた仕事はあるのか・銀行の小さな体験に基づく「政策」|右往左往 (note.com)

■職員のこどもの職場参観
 
石丸市長肝いりの独自政策のひとつが、市役所職員の子どもの職場参観である。銀行での経験をベースに思いついたということである。これについては、すでに書いたので省略するが、このnoteの読者は、子どもの職場参観をどう評価するだろう。
 職員の気持ちは分からないが、それぞれの家庭で嫌がる子どもを「お父さんのため」と説得してなければよいと思った。
 ここでのポイントは、これは市民との合意形成がいらない仕事ということである。

■勤務時間は8時半からであるが、窓口の受付時間を9時からにする
 
石丸市長の「政策」で私が唯一、評価しているのが、勤務時間は8時半から、窓口の受付時間を9時からに変更する「政策」である。
 これも銀行の支店のやり方である。9時開店に向けて、8時半から準備作業や打ち合わせを行う。
 この結論はいいが、問題なのは理念がないことである。私ならば、働き方改革から考えていき、役所だけの問題ではなく、安芸高田市全体に広げていけば、政策になっていくが、銀行支店の延長では、職員が楽をするだけの話になってしまう。

■市民との合意が置き去りになっている
 この窓口の受付時間問題が典型例であるが、石丸市長は、市民との話し合いや調整が苦手である。苦手というよりも、市民と向き合って、声を拾い上げ、妥協点をみつけながら、話を詰めていく作業が、できないのではないかというのが、4年間見ての感想である。
 また、窓口時間の変更にあたっては、他の町では、市民生活への影響を緩和するため、駅前でサービスが受けられるといった対応策がとられているが安芸高田市ではそれがない。 
 三戸さんは、「明確なデータによる根拠を示して政策を提案しても、既得権益層への忖度が優先されまともな議論がなされない」といっているが、「まともな議論をしていないのは誰なのか」という疑問を呈さざるをえない。

4.高い評価を受ける「政治改革」?
■4年もやって進展なし・人事評価はD査定
 
石丸市長のウリは、議会改革である。ただし、実際は、議会がダメだというばかりで、4年やっても、一向に改革は進まない。
 会社もそうだが、政治も結果責任で、成果を出してなんぼである。
 議員が問題だ、何とかしようという問題提起は分かる。1年目は最初なので、人事評価査定はBでもいいと思う。2年目は、先に進めないといけないが、相変わらず膠着状態ではC査定だろう。3年目になっても一向に解決しなかったら、これはもうD査定である。
■これにSやAを付けたら、こっちがD評価を受けてしまう
 今回、石丸都知事候補の4年という長期間に及ぶ、「問題提起のみで、一向に進捗しない議員改革」にS評価をつけている人がいる。
 興味深いことに、その応援者は、改革派と言われる人たちが全体に多いように感じるが、これにどういう判断基準をしているのだろう。
 ちなみに私が勤めていたところでは、こんな仕事ぶりにSを付けたら、こっちがD評価を受けてしまい、私が飛ばされてしまう。

 安芸高田市石丸市長を応援する人たち(6)ポピュリズムの時代・簡単である議員対応をなぜ難しくするのか|右往左往 (note.com)

■一回の居眠りを3年も4年も云い続けたらパワハラ
 
もともとの発端は、議員の居眠りである。この居眠りは病気が原因ということで診断書の写しを市長に出したが、市長は裁断機にかけたという。議会としては、病気だとしても、誤解を受けてはいけないので、今後の注意事項をまとめた。その後選挙があり、議員が再選されてきた。
 それを3年も4年もいい続けているのが居眠り問題である。今後気をつけるようにと注意すれば済む話を3年も云い続けたら、会社なら、確実にパワハラ認定されて左遷である。
 いつまでも云い続けることは、おかしいと思わないのだろうか。

安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(7)人々は市長の仕事という面では「空洞」の石丸市長をなぜ信奉するのか・まとめ|右往左往 (note.com)

■政治のエンタメ化
 政治のエンタメ化で、政治が身近になったという。それは本当だろうか。ならば、以降、地元の議会について傍聴したり、インターネットで見るようになったという人がどれくらいいるのか。
 結局、傍観者として、エンタメを楽しんでいるだけではないか。

■脅迫事件も起こっている・民主主義の脅威までなっている。
 エンタメ化の問題はもっと深刻である。脅迫事件なども起こっている。
 石丸市政の不毛な4年間(3) | 安芸高田市政刷新ネットワーク通信 (ameblo.jp)によると、次のようなことが起こっている。

 Twitterを使った誹謗中傷や殺害をちらつかせる投稿、嫌がらせの電話、注文をしていない着払いの商品の配達まで起こり、昨年からは切り抜き動画の爆発的な流行によってこうした傾向はますます強まっています。
 こうした状況の中で、市長によって悪役に仕立て上げられた本人はもとより家族まで身の危険を覚え、中には病気になった者さえいます。
 本会の役員も、「1000人規模のデモ隊で自宅を包囲してやる」と脅迫されています。
 市長の「政治のエンタメ化」によって、安芸高田市内ではこうしたことが日常化しています。異常な状況だと言えるでしょう。

 民主主義社会に暮らす、私たちの社会の存続可能性にも及ぶようなことが起こっているのに、「エンタメ結構」と平気でいられる神経が分からない。

5.財政健全化

■唯一の実績を上げた成果?
 石丸市長があげた成果は、何ですかと聞くと、大概、スルーされてしまう。その中で、一番もっともらしいのが、経常収支の改善である。
 「カットすれば市民は疲弊しますが、カットしなければ、いつもの暮らしから一転、死刑宣告を食らって」しまうところだったのを石丸市長は、まちを救ったという。
 
 この財政健全化についても、そもそもから詳しく書いた。
安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(2)石丸市長が成し遂げた仕事はあるのか|右往左往 (note.com)
 要点は次の通りである。

■税金は銀行の預金とは違う・支払ってくれた人に100%返すのが基本
 銀行の預金ならば、切り詰めて浮かしてニヤニヤするのもいいが、こちらは税金である。税金では税金を支払ってくれた市民に対して、100%返すのが基本である。貯めたというのは、見積もりが甘かったか、税金を取りすぎたということである。
 あえて浮かす場合は、浮かして何をやるかが重要である。

■浮かして何をやりたいかが見えてこない
 家庭ならば、生活を切り詰めて、家を買おうと考える。
 それには、新しい家で暮らす楽しい未来や、何年がんばろうというスケジュールの共有、そして家族みんなの協力が必要になる。
 安芸高田市の経常収支の取り組みでは、この未来への夢が、ちっとも見えてこない。だから、いつまでがんばったらいいのかわからない。
 切り詰めてどうするか、未来の希望を示すのが政策である。それがまるでない。

■役場は身軽になるが、市民は疲弊してしまう
 どうみても、今、行われているのは、未来への展望やまちの人たちとの連携のない経常収支比率の削減である。これでは、「役場は身軽になるが、市民は疲弊してしまう」。何のための経常収支の改善なのか、まちの人は困惑するばかりだろう。
 これでは銀行は助かるが、銀行を頼る中小企業はつぶれるというかつての様子に、ダブって見える。

■令和3年は、国のかさ上げで、「黙っていても」経常収支比率は改善した
 地方財政白書によると、石丸市長が市長になった令和2年の全国の経常収支比率は93.8%になっている。
 興味深いのは、翌年の令和3年になると、経常収支比率は全国軒並み改善していることである(5.7%も改善された。経常収支比率88.1%)。
 これは「臨時財政対策債償還基金費の創設を含む普通交付税の再算定による増加や地方税の増加等」が理由である。つまり、国が経常収支計算の分母をかさ上げしたので、全国一律に経常収支比率が良くなっているのである。
 要するに、令和3年は、どこの自治体も、黙っていても経常収支比率は改善している。

■市長は本当に財政調整基金を増やしたのか
 
安芸高田市政改革刷新ネットワークは、興味深い記事をあげている。
 要するに、市長は財政調整基金を増やしたというが、何のことはない、地域振興基金を取り崩して財政調整基金に積み直したというのである。

(参考)石丸財政改革の虚像(1) | 安芸高田市政刷新ネットワーク通信 (ameblo.jp)石丸財政改革の虚像(2) | 安芸高田市政刷新ネットワーク通信 (ameblo.jp)

安芸高田市には、自由度の高い二つの基金があります。
それは、「財政調整基金」と「地域振興基金」です。

財政調整基金は、年度間の財源の不均衡を調整するための積立金で、財源に余裕がある年度に積み立てを行い、大規模災害の発生や大幅な税収減などがあった時に取り崩しを行います。

また、地域振興基金は、合併時に地域住民の連携の強化や地域振興のために設けた基金で、当時「安芸高田市の非常時に使う基金として取り崩しを避ける」と約束をした基金です。

市長は「私は財政調整基金を増やした」と自画自賛していますが、この2つの基金を使って小細工をしていることがわかりました。

財政調整基金と地域振興基金の最近の推移を見てみましょう(単位百万円)
       R 2年度    R 3年度     R 4年度     増減額計
財政調整基金    604     675(+71)   921(+246)  +317
地域振興基金   3,260    3,131(-129) 2,938(-193)  -322

市長が「財政調整基金を増やした額」は、「地域振興基金を取り崩した額」に相当します。


6.石丸市長は、なぜ政策ができないのか

■市民に寄り添えないからだと思う
 
役所の予算、人員の約半分は、福祉の関係である。高齢者、障がい者など、弱い人に寄り添えないと、基礎自治体では仕事にならない。
 したがって、市民と水平な関係で向かい合い、その話を聞き、答え、市民の思いに寄り寄り添っていくことができないと、政策も見えてこない。
 高校生などに、上から目線で話すことは得意でも、市民と対等の関係で話を詰めていくのが苦手な石丸市長は、なかなか新しい政策に出会うことが難しい。

■民の力を信じない
 
石丸市長の発想は、二項対立型である。だから、簡単に善と悪にきりわけることができる。二項対立の思考が、仕事で表れるのが公私を二分する発想である。公共課題は役所がやるという発想になる。
 だからこれまで地域の住民が頑張っていた仕事の意味が理解できず、予算カットになる。しかし、これでは地域の問題は解決できない。公私二分論は、これは20年前にすでに克服されている。

■公と私の峻別論では時代をとらえることができない
 たとえば孤立死であるが、3世代家族が普通だった時代は、孤立死など極めて例外だった。今は、3世代家族は4%になり、家族形態のメインは、単身高齢者世帯、高齢者二人世帯になった。今までなら、私的世界で解決したことが公共課題になってきた。
 公共性を帯びた私的領域は、その他、あらゆる分野で大きく広がっている。

■公共性を帯びた私的領域の課題には、市民の力を引き出すしかない
 公私を峻別し、それは私的世界だからと切り捨てては、もはや地方自治が成り立たないということである。 
 民の活動をカットして、私的世界に公務員が踏み込めば、公権力による権利侵害と言われてしまう。手続的公正が求められる行政は、臨機応変な対応ができない。
 結局、残された方法は、隣近所、自治会・町内会、NPOといった地域の身近な民間の力をどう引き出すかである。

■今日の公共のとらえ方
 これが新しい公共論である。政治の世界では、今から、10年以上も前、2009年に鳩山首相が施政方針演説で打ち出したのが最初である。
 この新しい公共論は、簡単に言うと、民間が担う公共もあるという考え方である。石丸市長のような公私を二分する考え方ではなく、その中間領域もあり、そこには公共を担う民間が活躍する社会をつくらなければ、日本の未来はないという問題意識とその提案である。

■安芸高田市は、市民による地域まちづくりの先進自治体だった
 その意味では、これまでの安芸高田市は、新しい公共論に依拠して、地域に起こっている課題に果敢に取り組んだ先進自治体だった。
 私が4年前、ほとんどだれも安芸高田市や石丸市長に興味を持たなかったときに、安芸高田市に関心を持った理由の一つである。

■石丸市政は、こうした安芸高田市の強みを壊してしまった
 公私2分論で発想する財政カットの対象は、市民の地域活動である。これで観光協会、地域まちづくり活動などの経費がカットされ、中止しあるいは、直営に変えられていった。
 直営で委託費は安くなったと喧伝されるが、3年で異動する役所の職員は、人の顔を覚えて、気心が知れたころに異動してしまう。
 わずかな補助金をカットして、市民の大きな公共の力をそぐという愚を犯していると言えるし、本当に、もったいない話である。
 
安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(2)石丸市長が成し遂げた仕事はあるのか|右往左往 (note.com)

■市の財政カットをうけて自分たちで資金を持ち寄り運営する安芸高田市民
 最近、いかにも安芸高田市らしい事例が報道されていた。
「広島県安芸高田市向原町の住民有志が、市の財政見直しや施設整理の一環で利用できなくなっていた向原ふるさと河原公園(同町長田)の公衆トイレの管理を始め、1年ぶりに使えるようになった。「困っている」という利用者の思いをくみ、自分たちで資金を持ち寄り「美守(みまも)りグループ」を結成」(中国新聞)という。
 いかにも安芸高田市らしい。こうした市民力に寄り添い、後押しするのが自治経営である。それをつぶしていった石丸市政を、応援する議員さんたちは、どう考えているのだろう。

住民有志、トイレ守る 資金持ち寄り管理 安芸高田市の財政見直しで利用停止の向原ふるさと河原公園 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)

7.真贋のリトマス試験紙

■リーダーたちの社会性の乏しさ
 最初にも書いたが、石丸市長の「発想」は、時代と大きくずれている。したがって、この4年間は、実現された政策らしい政策はなく、せいぜい銀行時代の小さな体験に基づく「政策」が行われたに過ぎない。
 その背景にあるのは、ご本人の社会体験の乏しさだと思う。そのうち、ご本人の大学時代、銀行時代の話が出てくるだろう。
 この市長の4年間は、ご自身の社会性を高めるよい機会であったと思うが、もったいないことをしたと思う。

安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(7)人々は市長の仕事という面では「空洞」の石丸市長をなぜ信奉するのか・まとめ|右往左往 (note.com)
 
■ポピュリズムの広がり・議員にまで
 ポピュリズムの広がりが、議員さんにまで及んでいるという問題意識が、今回、このnoteを書く動機である。民主主義を揺るがす政治のエンタメ化にも「いいんじゃない」という無神経さにはあきれるが、そういう人が首長になり議員になるというのが、わが国の厳しい現実である。
 議員の場合、議院内閣制でも二元代表制でも決定権限を持つため、動画好きのネット民のポピュリズムよりは数倍、問題の根は深いのだろう。
 最後に断っておきたいが、今回は、三戸さんの投稿を発端にポピュリズムを論じてみたが、別に三戸さんに、恨み持っているわけではない。実際はむしろ逆で、まだまだ若いので、これからどんどん成長していくだろうという期待を込めて、三戸さんの話から始めてみた。サイドブレーキに手をかけつつであるが、心ひそかに応援は続けたいと思っている。

2024.5.18 書きかけ
2024.5.19 一部追加

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