安芸高田市石丸市長を応援する人たち・ポピュリズムの時代(1)
1.興味と仮説
(1)私の石丸市長歴は結構古い
■安芸高田市は行ってみたい町だった
安芸高田は毛利元就を代表する毛利氏の本拠地である。歴史に興味にある私とすると、ぜひ行ってみたい町である(これが、にもかかわらずどうして観光協会を追い出すようなことをするのか、大きな疑問(小さな怒り)につながっている)。
■河井事件
行ってみたい町が、河井事件の流れで市長が金をもらい辞職した。今、自民党の元安倍派を中心に、キックバックが刑事事件になっているが、そのひとつだろう。
その醜聞を打破するような若者の登場に、私は注目した。ネットで話題になり、それでにわかファンになった人よりも、私の石丸市長歴はずっと古い。
(2)noteを書くにあたって。私の仮説
■市長になって、自分は市長に向いてないとすぐに分かった
勢いで市長になったが、どうも違う、自分は、市長に向いてないとすぐに分かったと思う。
地方自治は今ではだいぶ良くなったが、3割自治と言われ、自分でできることはあまり多くない。国や県にお願いし、市民や地域団体にお願いしてやってもらう仕事が多い。
つまり、市長は、あちこちに頭を下げ、誰とでもフレンドリーに話せる人でないと務まらない。これは石丸市長の苦手とするところだろう。
■ひろゆき的位置を目指そうと考えた
市長記者会見を見たことがあるが、相手の言葉を遮り、話をすり替え、相手を見下し、嘲笑する。とても聞いていられない。
民主主義は、聴き合うことと習ったではないか。
本来、強い議論とは、相互の議論を深め、止揚できることではないか。言い負かして、そこから何が生まれてくるのか。
ただ、ネット世界では、相手を言い負かすことが議論に強いと思われて、自分の論破力に自信を持ち、そこに活路を見出したのではないかというのが私の仮説である。
■「ひろきゆ」的地位を目指す・この視点で見るとにつじつまが合う
ネット世界で世に出るには、とにかく目立つことである。政策は実現するよりも、対立型にした方が目立つ。そこで、
1.実際はさほど難しくない議会対応を、なぜ、さも悪の権化のように言うのか
2.通そうと思えば簡単な無印誘致を、なぜ反対せざるを得ない専決処分で行うのか
これらの行為は、私の仮説だとよく説明できるのではないか。
(3)私の関心は、石丸市長に同調する(信奉する)ポピュリズムである
どう考えてみても、石丸市長の議論や仕事は、創造性とは程遠く、建設的とはいえない。記者会見などは、とても聞いてはいられないが、それなのに、人はなぜ共感するのか。しかも大量の人たちが。
「石丸市長は、ポピュリズムや反知性主義の風を捕まえて、ネット市民をエスタブリッシュメント(議会や新聞社)への異議申し立てに向かせたことが、「成功」の秘訣なのだ」と私でも解説することは簡単である。
では、その風に乗せられたのは、どんな人たちで、その心情はどんなものなのか。これが私の興味であり、知りたいところである。
そこで、石丸市長の応援団のブログに参加させてもらうことにした。
2.応援ブログに参加する
(1)安芸高田市応援!市政刷新ネットワークの誤りを正す通信
■誤りを正す!ブログ
私が、参加したのは、「安芸高田市応援!市政刷新ネットワークの誤りを正す通信」という名のブログである。反石丸派には、「市政刷新ネットワーク」というブログがあり、そのカウンターブログになる。
私の参加は、2023年の12月一杯であった。
■どうしても守りに入る
「市政刷新ネットワーク」の記事は、実務を踏まえたものが多く、それに対して、このブログは、「その誤りを正す」というスタンスであることから、どうしても、その投稿は守りに入り、揚げ足取りになる。
しかも、もとの素材(石丸市長の行動)がスジ悪なので、真正面からの議論が難しく嫌みに走ることになる。
それでも罵詈雑言は少なく、私はさほど居心地が悪い感じがしなかった。
■私は反市長派!
「誤りを正す」というスタンスゆえ、もっぱら投稿するのは、市長応援派である。つかみになるが、8割は応援派、残りが中立派、反市長派というのが、私の実感である。このメンバーから、私は反市長派に分類された。
■違う。私はがっかり派だ
私は反市長派に分類されたが、しかしそれは違う。私は「がっかり派」である。すでに述べたように、安芸高田市そして石丸市長は、選挙の時から注目し、「応援」していた。
若者が、銀行の職をなげうって、まちのために、奮闘するという。これは応援しなくてどうしよう。最初は、のちに対立する地元の新聞も、裁判で争う議員も、若者に期待し応援した。そして当選した。
(2)1年でなくなった地元の応援団
■今、応援しているのは市外の人?
正確には分からないが、このブログで発言している人は、市外の人ばかりだった。一回、近隣の町の住民だという投稿があったが、私が参加した1カ月では、安芸高田市内の人という投稿はなかった。ただし、発言はしないが、見ている安芸高田市市民は、それなりにいるのではないか。
■1年で消えた地元応援団
初期からの石丸歴の私は、スタート時の地域の盛り上がりを知っている。いくつかの市民応援グループが生まれ、盛んにまちづくりのための活動をやっていた。
しかし、どこも、ほぼ1年くらいで停止し、地元の応援団は、ネットを見てもほぼ見かけなくなった。
やめた理由は、私と同じ「がっかり」ではないかというのが私の推測であるが、やめた理由をメールで聞いてみようと、ネットで探してみた。
2年前には、すぐに見つかったが、今は、安芸高田市の記事が満載で、どこかにまぎれてしまって見つからない。
■本当なら、今ごろは、応援団が活発に活躍しているはずだ
選挙まであと7か月になった。地元に盛り上がりがあるのならば、今ごろ熱心に活動を始めているころだ。それが普通の動きである。だから、ネットでちょっと見れば、応援団の活動が大きく出ていて、すぐに見つかるはずである。
でも、あるのは切り取り動画のサイトばかりである。選挙も近いのに石丸市長を応援する市民団体は見つからない。
■選挙になれば、石丸市長はダブルスコアで負けるのでは
選挙になれば、石丸市長はダブルスコアで負けるのではないかというのが私の意見である。
ネット全体では、選挙に出れば、石丸市長の圧勝という説が有力である。ただ、この「誤りを正す」ブログでは、もうちょっと慎重のようだった。だから私の意見もひとつの意見としてありという位置づけだった。
ただ、私が、石丸市長の負けた後に安芸高田市民に与えるダメージへの心配を書いたら、「負けるのを前提に書いている」と、やや怒気を感じさせる書き方で反論されたのが、印象的だった(ダブルスコアで負けるなどと書く私を苦々しいと思っていたが、それでも自制が効いているブログということだと思う)。
■ブログでは、若者が奮起すれば、老人支配を打破できると論じている
ブログでは、田舎のまちなので、老人は変化を嫌うので、若者が選挙に行ってもらいたいという意見が、支持されていた。
石丸歴3年に及ぶ私は、そういう若者もいるかもしれないが、まちづくりに熱心な若者の多くは、私と同じように、「がっかり」してしまって、石丸市長には投票しないと感じていたからである。それがダブルスコアの根拠であるが、ただ、これは水掛け論であるし、エンドレスになるので、私も特に意見も出さなかった。選挙になれば、私の推論が正しいか誤りかは、すぐに分かる。
(3)石丸市長について
このブログは、石丸市長の応援者に光を当てて、ポピュリズムの正体を垣間見てみようというものであるが、話の展開上、石丸市長にも触れておこう。
■若者ではなくて、おっさんではないか
私は、がっかり派であるが、それでも、1年くらいは、何とか応援した。しかし、あまりに期待外れなのである。その理由は、いろいろあるが、ともかくセンスがおっさんなのである。行政改革一辺倒は、この10年で、失敗だったと総括されている手法である。簡単に言うとカットで「役所は身軽になるが、肝心の住民は縮むばかり」である。いまは、住民の力を発揮させる時代である。
若者ならば、いくらでも面白い発想が出てくるはずであるが、待てど暮らせどである。ならば、毎日のように街に出て、いろんな人と話したら政策のヒントも生まれてくると思うが、役所に閉じこもり、ネットばかり見ているのだろうか。
■本当に銀行員だったのか
そのうち、本当に銀行員だったのかと思うようになった。何人もの銀行員を知っているが、みな気配りに秀でていて、人と話すときのほほえみも忘れない。銀行ではそうやって鍛えられるのだろうと思っていた。本当に銀行員だったのだろうか。
■ニューヨーク初代駐在員?
でも、銀行のニューヨーク初代駐在員という肩書である。ウソを書いた選挙違反になる。でも違和感も残った。三菱東京UFJ銀行ともあろうものが、今頃になって、ニューヨークに駐在員を置くのだろうか。
そんな折、堀治喜さんという方が、noteを書いて、この初代駐在員の謎に迫っている。簡単に言うと、この銀行には すでに銀行本体にニューヨーク駐在員と言う人がいて、石丸市長は、子会社(今は売却されてないそうだ)のニューヨーク駐在員ということである。なるほど、それなら分かった。
そのほか、いろいろ調べて書いてある。この指摘に、異議、間違いがあるのなら、石丸市長のことだから、訂正を求めるだろう。
3.みんなの誤解
安芸高田市のケースをめぐって、みんな意見を言っているが、基本的なことを誤解している。地方自治の基礎で、高校で習うことを誤解している。
(1)市長は社長ではない
■市長にはCEOではなくCOOである
市長のことを会社で言えば社長だと思っている人が多い。しかし、市長は社長ではない。分かりやすく言うと、市長は、CEOではなくCOOである。
「CEOは企業の経営方針の決定を行う役職であり、COOはCEOが決めた経営方針に沿って実際に業務を執行する役職」
「COOは実際の業務の責任を背負っているので、CEOの経営方針を誰よりも理解することが企業運営には不可欠です」(enworld.comより)
■地方自治法には重要事項は議会が決めると書いてある
地方自治法を見ると第96条で、予算、条例、重要な契約等の権限は、議会が持っていると書かれている。つまり、市長は重要事項は決めることができない。市長は提案するだけである。だから社長ではない。
■COOの石丸市長は、CEOの議会の経営方針を誰より理解することが必要
それを敷衍すると、COOの市長は、決定権を持つCEOの議会に対して、よく理解してもらうように、懇切に説明する責任がある。ここだ第一のポイントである。
COOの石丸市長は、CEOの議会の「経営方針を誰よりもよく理解することが、自治体経営に不可欠」ということになる。
■市長は住民でなくてもよい
たしかに、被選挙権の資格を見ると、議員はその町の住民でなければならないが、市長は、住民でなくてもよい。
要するに、法律の仕組みでは、地域住民の代表である議会が重要事項を決定するが、その執行は、業務執行のプロである市長を連れてきて、自治体の業務執行を任せることを想定しているともいえる。これはアメリカにある理事会制とシティマネージャー制度に似ているが、おそらくそうではなく、中央から県知事が派遣される戦前の地方自治制度に由来するのだろう。
■石丸市長はこの基本を知らない?
市長はCOOというのは、地方自治法を読めばすぐに分かる地方自治の基礎である。私だって、ちょっと地方自治法を見ただけですぐに分かった。
しかし、石丸市長は、「地域の声を集めるのが議員の役割」とくらいに思っているようなので、知らないのだと思う。知っていて、わざとやっていたら悪質であるが、一連の行動を見ると本当に「知らない」のだと思う。
(2)専決処分
以上の誤解が、問題となって現れたのが、無印の道の駅への誘致である。
■観光協会を追い出しての無印の誘致
これは地元の観光協会を追い出して、無印の誘致となった。正直、私は?と思った。私の家の近くのスーパーのなかに無印のお店があった。何度か店をのぞいたが、1度くらいしか、ここで買い物をしたことがない(ただ、無印の小さなお茶を飲むコーナーがあり、ここでコーヒーをよく飲んだ)。
地元の人が欲しいのは、ユニクロかドンキホーテではないか。
■撤退防止の特約をやっているのか
安芸高田市では、たくさんの税金を使って、迎い入れる準備した。でも、すぐに撤退されたら踏んだり蹴ったりになる。実際、私の家の近くの無印もあっという間に撤退した。撤退防止の特約は必要だし、そのほか、税金を無駄にしないためのチェックポイントはいくつもある。
専決処分で導入を決めたが、議会にかけて議決すれば、撤退条項はどうなっているなど、さまざまな議論が出る。専決処分では、おそらく、そんな約束はしていないのだろう。
■専決処分は禁じ手
前に述べたように、市長が社長だと思っていると、市長が専決処分して何が悪いという話になる。しかし、市長は、社長ではない。
専決処分は、本来、決定権がない市長が決めるという制度である。だから、適用があるのは、例外中の例外である。たとえば、津波で議員が散り散りになり、でも復興予算を決めなければいけないような時である。
■無印の誘致を専決処分でやった例などないだろう
企業誘致などは、全国どこでもやっている。どこでも普通に議会にかけてやっている。無印に問い合わせたわけではないが、専決処分で出店したなどは例がないだろう。異常なことだからである。
■無印にせかされて専決処分をやったと信じている
ブログのメンバーは、無印にせかされてやったと信じているようだった、なぜ無印はせかせないといけないのか、せかして専決処分になるとどうなるのか、ちょっと考えると「本当か」となるのに、そのまま信じているようだった。
嫌みではなく、ブログのメンバーは、素直で真面目なのだと、思っている。ここが、ポピュリズムを考えるひとつのヒントだろう。
■1週間待てば、普通に議会の議決を得られるのに
1週間待てば、臨時議会を開け、そこで議決できる。1週間くらい待てないのか。そもそも、どこのまちでも、普通に議会にかけて出店している。もし、そこまで切迫しているとしたら、ぎりぎりまで、仕事をさぼっていたということになる。
■無印も専決処分になればダメになることが分かっている
専決処分は禁じ手なので、どんなに内容がいいことでも、手続面で✖とされる。専決処分になれば、出店がダメになることは無印もわかっている。だから専決処分にかけてでもとは言わないだろうし、役所側が議会にかける時間をと頼めば、無印も納得する。
■無印もつぶれてホッとしているのだろう
もし専決処分で無印が出店したら、ルールを破って、強引に出店したという汚名をきることになるだろう。そこまで、強引に出店するメリットはないのに、逆に企業イメージを大きく傷つけることになるだろう。無印は、潰れてホッとしているのではないだろうか。
■政策を実現するよりも劇場型にした方がよい
おそらく事務方は、議会にかけましょうと言っただろう。無印のほうも議会にかけてやってほしいというだろう。これが普通のやり方だからである。
それに対して、石丸市長は、専決処分でいくと決めた。なぜだろう。
ここからは、推論であるが、政策を実現しても大して評価されない。しかし、専決処分にすれば、議会は必ず反対する。せっかくのいい提案を「市長憎し」で否定する議会という劇場をつくれるのではないか。こう考えたのではないか。
■なぜそんなことを。最初の仮説、石丸市長は、ひろゆき的位置をめざしている
なぜそんなことをすると考えるのか。
次の市長を目指すなら、何とか調整して無印の出店を進めるだろう。
最初の仮説に戻ってほしい。2年目くらいから、石丸市長は、ひろゆき的位置を目指すようになったというのが私の仮説である。この立場に立つと、政策実現よりも話題である。実際、抵抗勢力である議会は、ここでも邪魔をしたというネット世論になった。私の仮説が正しいとすると、すごい策士ということである。
■なにが問題なのか
こんな怪しい話に、多くの人が、なぜ共感するのか。
・市長は社長ではない。決定権は議会にある。
・専決処分は禁じ手である。
・1週間待てば普通に議会で議決できる。
高校や大学で習ったことを思い出し、ちょっと考えれば、専決処分という行動はまずいんじゃないのという話になる。
しかし、ネット世界では、果断な措置と評価され、「なんだ議会は」という議会バッシングになった。いくら扇動者がいても、それに乗る人がいなければ、流れはできない。「あほ、ちがうのか」といっても答えにならない。「怖い」といっても恐怖は解消されない。人は流される。その秘密を少しずつ、解きほぐさなければいけない。
ポピュリズムの正体は、なかなかつかみどころがない。
続く
第2部は、「裁判で負けたが情では勝った」の予定
2024年1月3日 誤字訂正、一部表現の訂正