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サタンは昔は複数カルトで騙す 看破ヒント 自分の破滅で親を喜ばせる 不安の道連れ

1、昔は複数カルトで騙す
サタン側は、昔は複数のカルトで人々を騙していた。
神道・仏教・偽装キリスト教団・その他色々を用意して、それぞれにも色々な派閥や宗派が存在する。
こういうのは分断工作だ。
なぜ、昔は、こんな方法をするのか。多分、基本的に暇で、他にやる事がないから、色んなカルトで人々を惑わしたのだろう。
今の人々は忙しいから、イチイチ比較検討なんかしていられないから、二者択一の「思考の節約の選択」で騙す。

今は、エセ左翼・エセ右翼を作って、二分するやり方になっている。
賛成か反対かの分断工作をする。
色んな事柄で二分する。
しかし、二つに分かれているからと言って、どちらかが正しいとは限らない。むしろ、両方が間違っているものだ。
サタン側は、どちらを選んでも悪魔崇拝になるように工作する。

サタン側は、こういう色んな騙し方をするから、聖書で特定の手口を見破るように指摘するのは不可能である。
だから、おおざっぱに「神を信じたら真理が判る」とか「戦争のうわさに惑わされてはならない」とか言うしかない。

サタン側の手口を具体的に聖書で書いてしまうと、サタン側は、その指摘を避けるように騙し文句を作って人々を騙す。
ヘタに網羅すると、どれだけの文章量になるか判らない。
サタン側の手口を具体的に書くと、何千万字、何億字も書く必要がある。そんな文章量を暗記できる人しか助からないから、記憶力の無い人は救われない事になるため、平等なチャンスではない。
神は平等にチャンスを与えるから、信じて掟を守る人が助かるように平等にチャンスを与えている。信じて掟を守るのは誰でもできる。
天国へ入るのは、能力主義ではない。

2、看破ヒント
前に書いたけど補足のために書く。
偽装キリスト教団に家を奪われた人は、聖書をキチンと読まないから騙される。

優先順位を考えると家を与える神は、普段の状況では、家を与える。
しかし、迫害されたり、神の名を出す必要が出た時は家を捨てる。

マタイによる福音書 19:29
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。

マルコによる福音書 10:29と30
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。

「わたしの名のために、家  捨てた者  百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」
「わたしのためまた福音のために、家  捨てた者  百倍受け、後の世では永遠の命を受ける」
とある。
「わたしの名のため」と書いてあるのだから、普段の状況なら家を捨てる必要はない。
この言葉は、普段は家を持っているけど、実際に家を捨てるのは、イエス・キリストの名のため福音のために家を捨てるのであって、偽装キリスト教団のために家を渡すと悪魔崇拝になるから地獄へ落ちる。
偽装キリスト教団のためではなく、神以外のためではなく、神のために家を捨てる必要がある。

父と呼ばれてはならないから、父と呼ばせているのは偽装キリスト教団である。

また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。

マタイによる福音書 23:9 (新共同訳)

キチンと聖書を読めば、父と呼ばせるような集団は偽装キリスト教団だと判る。読まないから騙される。
家を盗られた人は、その偽装キリスト教団が聖典にしている聖書をキチンと読まないから騙されるのである。

天の主は家を盗るどころか与える。

神は孤独な人に身を寄せる家を与え
捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない。

詩編 68:6

孤独な人には家を与えるのが神である。
さっき書いたように、神の名を唱える必要がある事態になった時だけ、家を捨てるのである。

サタン側は、聖書をキチンと読めば騙されないようにヒントを出す。
父と呼ばせる集団は偽装キリスト教団だと一発で判るようにヒントを出す。

3、自分の破滅で親を喜ばせる
その偽装キリスト教団に財産を奪われた人は、親にも執着している。
多分、親が子供の心配をして、子供を精神的に支配している。
子供は親の心配な過干渉・過保護で洗脳される。

この親の心配は、単に自分が不安なだけである。
自分の不安の正体を「子供を心配しているから」と思い込みたいだけ。
自分の不安を解消する代償行為として子供の心配をする。
しかし、代償行為だから、不安は解消されないため、永遠に代償行為を続けることになる。

不安になるのは、大抵は臆病だからだ。
しかし、自分が臆病だと思いたくない人間は、自分の不安の原因を他人の心配・会社の心配・国家の心配で代償行為をする。
愛国主義者は、国を心配している様に見えて、実際は自分の臆病から出る不安を認めたくないから、国士を気取っている。
「自分が不安なのは、自分が臆病ではなく、国が心配な国士だからだ」というストーリーが頭の中で出来上がってしまう。
会社でサービス残業をするのも、働いている時だけ不安を忘れられるから、不安を忘れるためにサービス残業する。

この愛国者やサビ残は親の立場だと、不安を忘れるために子供の心配をして不安を忘れるのである。
こういう親は、子供が暴走して破滅していくと、自分の役割がさらに重要になるため、不安を忘れるための心配の口実が増えて喜ぶ。
「自分が不安なのは、自分が臆病だからではなくて、子供の心配をする良い親だからだ」というストーリーが頭の中で出来上がってしまう。
そして、子供はそんな親の喜ぶ気持ちを読み取って、さらに破滅行動をするようになる。
特に人の世話をするのが好きなタイプだと、親の世話をしてしまって、親が望む通りに破滅的な言動や思考をする。
他人の世話がメンドウなタイプだと、破滅へ向かわないけど、自堕落な生活で、親に心配の口実を与える。

破滅すれば親が喜ぶからさらに破滅するような生き方をする。
破滅から脱出したいなら、天の主を信じて聖書を読めば可能である。

破滅で親を喜ばせるような家族関係があるから、他人の家に口出しをしてはいけないと昔から言われている。
巻き込まれてしまう。
親が、溺れている子供を心配して、子供を助けようと飛び込むと、子供が救助されるのに対して抵抗して引き摺り込もうとする。
子供自身も親に依存しているから、他人がホイホイやってきたら破滅人生に引き摺り込んで親を喜ばせる。
親は「他人では助けられない、私が助けないと」と子供を心配する自分を正当化できる。
もしくは、子が破滅すれば、親は「不安なのは子が破滅したからであって、自分が臆病だからではない」と思い込めて喜ぶ。親に依存している子供は、そんな親を喜ばせるために自分から破滅する。

オレオレ詐欺に騙される親は、子供の不祥事で自分の手助けが必要だから喜んで、全く疑わないのだろう。

神の信者なら、勇気を持つように神が言うから勇気を持つ。そのため、不安にならないし、不安がないから他人の心配をする演技もしない。
臆病の不安を心配で代償行為しなくなる。

不安をなくすには、絶対神に立ち帰るしかない。
この親は偽装キリスト教団のエセ神を悪魔崇拝していたから、不安が解消されなかった。
聖書を読んで、神を信じて、神の掟に従えば、不安がなくなって、こんな偽装キリスト教団には騙されなかった。

4、不安の道連れ
不安はたいていが臆病から来るとは言ったけど、自分に勇気があっても周りが臆病だと引きずり込まれる危険性はある。
士師記でギブオンに臆病な者を帰らせろと言ったし、神の掟を携えていない者は受け入れてはならないし挨拶してもならないと言っている。

士師記 7:3
それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。
ヨハネの手紙二 1:10
この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

勇気があっても、臆病者に引きずり込まれると神は考えているのだろう。

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