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天国の描写が薄いのは幸福が共通しないから 時限カルト 理性 日本国はない 努力は代用品

1、天国の描写が薄いのは幸福が共通しないから
天国のディティールが薄いなんて言っている人間は、他の人間の事を何も考えていない。
一人一人の幸福が共通しないため、天国は描写を明確にするわけにはいかない。
人によってはポストアポカリプスの崩壊世界で一人の力で生き残るのが幸せと考える人も存在する。
しかし、そういう崩壊世界を嫌だと言う人も存在する。
もし、崩壊世界が天国だとしたら、そんな崩壊世界は嫌だと考える人は天国を目指さなくなるし、神に立ち帰らなくなる。
何でそんなのが幸福なんだと思うような幸福感も存在する。
銃で撃たれるのが好きという人も存在する。
人によって幸福感が違うから、天国に入った場合の幸福を明確にすると、人によって好き嫌いが判れて、平等な条件のチャンスではなくなる。
聖書の神は平等にチャンスを与えている。
だから、天国の描写は薄くするしかない。

聖書は、いつの時代の、どの国の人でも平等な条件で理解できるように書いてある。
全ての人に平等にチャンスを与えているからだ。
それなのに天国は人によって受け入れやすさが違っていたら、平等ではなくなるからダメに決まっている。
平等の性根がないと、天国の描写が薄い理由が判らない。

不幸はだいたい共通するから、地獄の描写は明確になる。
地獄は全身と魂を焼かれ続けてるか、魂を消されるから、誰でも共通して苦しい。

他人の事を考える能力が有れば、天国の描写が薄い理由も判る。
他人の事を考えない性根だと、天国の描写が薄い理由が判らない。
他人に配慮する人だけが判る事柄が存在する。
余計な事を言うと性根がバレる。

神は、本人にとっての幸福を与える。
神は、神に従う人に対して、死後は永遠の幸せを与える。

申命記 8:16
あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。
歴代誌下 6:41
神なる主よ、立ち上がって、あなたの安息所にお入りください。あなた御自身も御力を示す神の箱も。神なる主よ、あなたに仕える祭司らは救いを衣としてまとい、あなたの慈しみに生きる人々は幸福に浸って喜び祝うでしょう。
ヤコブの手紙 1:25
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
ヤコブの手紙 5:11
忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

神に立ち帰る人が、死後に永遠の命を得られると書いてある。
神は幸福を与えると書いてあるけど、一人一人の幸福感は別々だから、死後の幸福がどのようなものか説明はできない。
天国へ入れば、一人一人の自分が思う幸せを得られる。

この世の幸せと、死後の天国の幸せでは、どちらの方が良いか。
それは、死後の天国の幸せである。
「この世の幸せ」よりも「死後の永遠の命」の方が大事である。

イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。

マルコ福音書 10章29節30節 新共同訳

この世でも「後の世」でも永遠の命を得る。命とは幸せの事だろう。
サタン側の用意する幸福を捨てれば、この世と後の世で幸せに成る。

死後に天国に入れば、この世で得られる幸せを越える幸せに成る。
この世では得られない幸せを得られる。
権力・大金・才能では手に入らない幸せが手に入るから、権力・大金・才能など何の意味もない。
権力・大金・才能を私物化すると、死後は天国へ入れない。

天国に入れば、自分が思う幸せを得られる。
自分が楽しいと思う人生や夢を思い描いてみたら、それが天国で与えてくれるのだろう。

聖書を読む時は、「神が、どんな時代のどんな国のどんな人でも平等にチャンスを与えている」という観点で解釈する必要がある。
今の時代の自分に植え付けられた価値観で読んでいたら、絶対に読み間違える。
チャンスの平等であって、結果の平等は与えない。

2、時限カルト
神は平等だけど、偽装キリスト教団のカトリック・プロテスタント・ギリシャ正教・その他キリスト教系は平等ではない。
偽装キリスト教団は、時代の変化に合わせて教義を変えるため、全ての時代の人に平等にチャンスを与えていない。
偽装キリスト教団は、今の時代の人間を騙して金と人生を盗む事しか頭にない。
人種限定・民族限定・国家限定・時代限定のカルトである。
本当の教えは、時代や人種などで限定されない。
一国でしか通用しない教義の神道はカルトであり悪魔崇拝である。完全に一国の集団に特化しているから、特化のカルトである。
聖書の神は、どんな時代でも、どの国の人でも、平等にチャンスを与えている。
最近の偽装キリスト教団は男色を公認するから、完全に神に背いた悪魔崇拝であり、時限カルトである。時代の流れに迎合するのは時限カルトだ。その時その時に特化するのは時限カルトだ。
時限カルトが前任者の看板を勝手に悪用するから、そのカルト集団が何百年も続いている様に見えるだけで、中身は全くの別物である。
実際は、前任者もサタン側の捨て駒だから、前任者も判った上で後任者に看板を渡して、中身をすり替えるのを千数百年も繰り返す。

3、理性
理性が正しいかどうかを決める事はできない。
客観的に判定できない。
利害関係が違う人間同士で相手に理性があるかどうかを決めようとしても、必ず貶めて捻じ曲げようとするからだ。
同じ勢力の仲間同士で、どちらの方が仲間内のルールに合致しているかどうかで「理性がある」と褒めるから、結局は馴れ合いでしかない。
それは仲間内の馴れ合いでしかないから、理性ではない。
仲間を褒めるために、理性という単語を使っているだけだ。

4、日本国はない
日本は存在しない。
日本人は日本の領土を領有していない。
所有しているように見えても、いつでも略奪できる。
今回の薬害のように疫病にして治療費を搾取したり、殺して没収できるから、いつでも土地を略奪できる。
前に書いたけど、財産だって、いつでも没収できるから、持っている事にならない。サタン側は一国の経済も、いつでも潰せる。
社会的地位だって、犯罪を捏造したら、いつでもはく奪できるから、地位は持っている事になっていない。

領土はサタン側の捨て駒の天皇・英王室・アメリカ株式会社・日本株式会社が私物化しているだけである。

移民に取られるとか言っている奴らは、自分たちが領土を保有していると妄信している。
実際は領土を領有していない。
いつでも取られるようなモノは保有しているとは言わない。
自分が保有していない領土を守るために戦争へ行くのは、命をドブに捨てて地獄へ落ちる。

旧約の時代は、神が領土を守ってくれた。
しかし、サタン側が悪魔崇拝をするようにイスラエルを唆して、イスラエル人が応じて悪魔崇拝したから、神が怒って領土保護をやめた。
そして、悪魔崇拝の手先が領土を強奪した。

命も同じで、サタン側が非信者をいつでも殺せる状況だから、非信者は命を保有している状況ではない。
今回の薬害でも8割が自分から注射しに行っているから、非信者たちは命を保有している状況ではない。
命を守る方法はある。それは、神に立ち帰る事だ。
サタン側は神の信者を殺したくない。
神の信者が死ぬと神が怒って、ソドムとゴモラのようにこの世を滅ぼして、最後の裁きを前倒しにして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消すからだ。
サタン側は、地獄へ落ちるのが怖いから、神の信者が死なないシステムを作るため、神の信者に成るのが唯一の自分の命を守る方法である。

デモ・籠城・ゲリラ・クーデターなども、それなりに効果は有るけど、サタン側にとっては殺すのに手間が少し掛かる程度の効果だろう。
変にターゲットにされる危険性もあるけど、サタン側の気分なんか知った事ではないから、好みでやるかやらないか決めるしかない。
民主主義はインチキで、支持率も得票数も捏造だから、投票の効果は行動する事を示すぐらい。サタン側にとって少し捏造しづらくなる程度だけど、投票しないよりはマシだろう。

5、努力無罪論
努力は免罪符ではない。
才能を私物化している時点で神に背く悪魔崇拝者だから犯罪者である。
努力無罪論が暴走するのは、努力以外に正当性を証明する事柄がないのだろう。
そもそも、正当性は天の主だけに属するモノだ。
神を捨てた日本人は、正当性を保障するモノがなくなったから、努力とか自己犠牲に正当性があると思い違いをしている。
所詮は代用品でしかないから、何の役にも立たないどころか有害である。

我慢しても泣き寝入りしただけで正しくない。

人助けをしても意味はない。
聖書で助けていい相手は、貧困者と未亡人と孤児だけである。この3者以外を助けても正しくも何ともない。
むしろ、助けるべき3者を助けないで、他の人間を助けるのを優先したら、財産を私物化したと見なされて地獄へ落とされる危険性が非常に高い。
正当性を得るには、キチンと聖書を読んで、神の教えの通りに生きる必要がある。
手前勝手な人助けをしても正当性はない。

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