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罪の軽重 臆病罪人 多妻 弱者免罪 脳チップ悪魔崇拝 変節人 偽ファン 自己中援助 結婚制限

1、罪の軽重
背教者同士では罪の重い軽いはあるみたいだ。新約聖書の外典に、地獄へ落ちても刑罰の重い軽いがあるようだ。どこまで本当か判らないけど。
しかし、神の信者同士は優劣がなく平等である。

2、臆病な背教者
背教者は他人を背教へ引き摺り込もうとする。
背教者は臆病だから自分1人で背教へ堕ちられない。
神の信者なら、この時代で自分1人だけ天国へ行こうと、天国を目指す。
神が他の人たちを天国へ誘いなさいと命令しているから、誘っているだけである。

3、多妻

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

創世記 2章24節 新共同訳

「男は父母を離れて女と結ばれ」とあるけど、女の方は書いてない。
「女は父母を離れて男と結ばれ」とは書かれていないから、多分、一夫多妻だからだろう。
聖書は、性別指定がないと、たいていの場合は男に関して守るべきルールとして書かれる。
女に関して定めているなら、キチンと「女」という文言が出てくる。
片方の性に対してしか書いていないなら、その片方の案件となる。
聖書の文章構成が、もしかしたら「男は〇〇で女は」という風に書いてあったら、両性に関する事かもしれないけど。
モーセが3000年以上前に書いた時の文章構成の方法がどうなのか判らないから、確証はない。

4、弱者免罪
弱者だろうと悪人は悪人である。

出エジプト記 23:3 (新共同訳)
また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
レビ記 19:15 (新共同訳)
あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。

弱者は免罪符ではない。

5、制度と脳チップと悪魔崇拝
制度には従うけど、悪魔崇拝の制度には、ダニエル書の3人のように従わない。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、

ペトロの手紙一 2:13 (新共同訳)

制度には従うけど、悪魔崇拝の制度にはダニエル書3のように従わない。
ダニエル書 3 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

脳チップは悪魔崇拝である。
悪魔崇拝には従わない。

聖書で人間の定義は、自力で神に立ち帰る能力が有る事だと解釈した。
脳チップによって、自力で神に立ち帰る能力を失うのは、神に逆らう悪魔崇拝だから、法律化されても従ってはならない。
「自力で神に立ち帰る能力」を失う行為そのものが悪魔崇拝の定義だ。

6、不安を煽る
緊急事態条項などで法律化されたら従わなければならないなどという言い回しをしている陰謀論者は、結局は権力者側の走狗である。
所詮は、陰謀論者も人々の不安を煽って惑わす悪人である。
神の信者なら、神に立ち帰ればサタン側の悪人が逃げると教えて、人々の不安を解消する。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

ヤコブの手紙 4章7節 新共同訳

サタン側の悪行から、神は信者を守ってくれる。
サタン側の虐殺から、神は信者を守ってくれる。
なぜ、サタン側が恐れるのか。それは、信者を殺すと神が激怒して、擬人が居なくなったソドムとゴモラのようにこの世を滅ぼして、サタン側を地獄で焼き続けるか魂を消すからだ。

7、コロコロ変える人間
人は、ルールをコロコロ変える。
神は、ルールをコロコロ変えない。
神の攻撃命令に背いた世代が死に絶えるまで、40年間カナンの地へ入れさせなかった。
人間のルールは、その世代が生きている間に何回も変える。定年をその世代が生きている間に約束した事をコロコロ変える。
せめて、その世代が死に絶えるまで変えない事はできないのか。
だから、人間のルールを守ってはいけない。制度に従えと神が言うから従うけど、悪魔崇拝の法律には従わない。

人間がルールをコロコロ変えるのは、無責任だからだ。
ルールを変えられる内は逃げないけど、帰られなくなると逃げる。
誤魔化し続けて誤魔化しが通用しなくなると逃げる。
神は逃げも隠れもしない。イエス・キリストは、冤罪で死刑しに来た連中に対して、逃げも隠れもしなかった。

それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。
イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。
彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。
イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。
すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

ヨハネ福音書 18章3節から8節 新共同訳

神は逃げも隠れもしないから、ルールをコロコロ変えない。
人間がコロコロとルールを変えるのは、行き詰まったら逃げればいいと思っているから、行き当たりばったりでルールを決めるのである。
行き当たりばったりでルールを決めるから行き詰まる。でも、行き詰まったら逃げればいいと思っているから、キチンと考えないでルールを決める。

8、権力

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

何らかの権力や繁栄のある人間は、サタンの支配下の危険性があるから、スポーツ選手や芸能人に対して、俺は疑ってかかる。
好きだから疑わないとかいう自己中な考え方はしない。
偽ファンみたいな自分の都合で擁護しない。
聖書で、サタンが神から権力と繁栄を与えるのを任されていると書いてあるから、俺は自分の好みや都合に関係なく権力のある者を疑う。
自分の好き嫌いで疑ったり信じたりするのは、未だに自分の人間の自己中で物事の善悪を考えている。
神の考える善悪で物事を考える必要がある。

9、偽ファン
前から、偽ファンの悪行について書いているけど、整理する。
偽ファンの変な擁護は、相手が1つ悪ければ自分の100の悪行が赦されると思い違いをしている。
偽ファンを追放していない時点でタレントも性根が同じである。
キチンとした性根のスポーツ選手なら、こんなふざけた擁護で相手を攻撃する偽ファンを訴訟して刑務所に入れる。
訴訟しない時点で同罪である。
自分の快楽のために犯罪者を擁護して被害者を言論封殺するような性根の偽ファンである。
ファンが勝手に相手を攻撃しているのを放置している時点で、攻撃を命令しているのと同じである。
相手のファンが誹謗中傷してくるなら、相手のファンを訴訟すればいい。
相手のファンが誹謗中傷するから、自分もファンに相手を誹謗中傷させるのは、筋違いである。
そもそも、相手のファンが自分を誹謗中傷するのも、タダのマッチポンプではないのか。
相手が攻撃してきたから、自分も攻撃して良いという大義名分を手に入れるために、偽ファンに相手のファンの偽装をさせたのだろう。
だから、自分のファンだろうと、相手のファンだろうと、誹謗中傷をしたら人間を訴訟したら、自分の潔白を証明できる。
訴訟しないで放置している時点で、相手に誹謗中傷をしろとファンに命令しているも同然である。

所詮はサタンに魂を売るようなタレントだから、それに引っ付く連中も似たようなのが集まってくるのだろう。類は友を呼ぶ。
そういうふざけた生き方をしていると地獄へ落ちるから、この章の目的は、その警告をするためである。
警告しろとエゼキエル書33章で神に命令されているから、警告する。

スポンサーも異常な偽ファンが集っている業界に金を払いたくない。
自分が働いて稼いだ金を何で自己中な偽ファンを楽しませるためにドブに捨てないといけないのか。
偽ファンによる誹謗中傷がスポンサー離れの原因ではないだろうか。
偽ファンは離れるスポンサーを金の亡者と悪口を言うから、恩を仇で返す異常者である。何で金を払って悪口を言われないといけないのか。こういう異常者が業界を衰退させる。生き方を改めた方がいい。こんな恩を仇で返す生き方をしていたら破滅が待っている。
異常者の多い業界のスポンサーになるとリスクが大きいから、リスクマネジメントを考えると、関わらないのがベターという判断になる。
裏でコソコソ手下をけしかけるような事をする。
自分の頭で考えないで、けしかけられたら、その通りにする手下のような生き方をしたら、獣と同じである。
偽ファンは、自分の犯罪を正当化したくて、同じ犯罪をするタレントを持ち上げる。そして、スポンサーに対して逆恨みで難癖を付ける。
そんな連中を相手にしないといけないのだから、スポンサーになるのはリスクでしかない。
何で金を払って罰ゲームをしないといけないのか、偽ファンは考えた事もないのだろうか。
ワザワザその業界のスポンサーにならないと事業ができないわけでもないからだ。
もしかしたら、抜け出す機会を狙っていて、今回の事件で好都合だと思ってスポンサーから降りようとしたのではないか。
新興の企業が売り逃げの勝ち逃げ狙いをするならスポンサーになるかもしれないけど。

恩を仇で返すような人間は、神の恩恵も仇で返している。
平等に恵みの雨を降らせているのに、感謝しないし逆恨みする。

偽ファンが生き方を改めて一緒に天国へ入れるように、警告する。
神は敵を愛するように命令しているから、警告も手段の一つだ。
聖書の愛するは、一緒に天国へ入れるように諭す事だ。
敵を愛するとは、敵・嫌な奴・悪い奴が天国へ入れるように、神の教えを諭して改心させる事だ。
この部分を追加したくて、今回、整理して書いた。

10、個人差
エゼキエル書33章で警告しなさいと言われたから、立ち帰る努力として警告している。
説得という個人差の大きい要求をされたら、立ち帰ろうと思わなかった。
警告は、言い捨てるだけでいい。
偽装キリスト教団のカトリック・プロテスタント・ギリシャ正教・ほか色々な自称キリスト教団に配慮して、日本人の変な誤訳で警告なんて言い回しているのだろう。

11、自己中な助け方
聖書の放蕩息子と同じで、自棄で散財する人間はほっとけ。
神の教えを警告として言い捨てるだけでいい。
最後に神に立ち帰れば良いだけ。
放蕩息子は最後に神に立ち帰ったから赦された。

変に助けると、かまってちゃんの性格をこじらせる。
自棄な人間は、自分自身を人質にして他人を脅しているだけ。警察か精神病院か福祉が担当する問題である。
人間の勝手な基準で他人を助けても自分が助かるわけではない。
神の基準で助ける必要がある。
施しをする時は、人に知られないようにしろと聖書にある。
目立つ人を助ければ目立てるから、目立つために助けるのだろう。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている

マタイ福音書 6章1節2節 新共同訳

助ける時に目立てるようになるまで問題を放置するようになるから、目立つ援助をしてはいけないという意味もあるのだろう。

かまってちゃんは、社会の成功の道を自分から壊しているから、未だに社会に執着している。
神は世間を捨てろと言っている。しかし、イチイチ意図的に破滅しろとは言っていない。
イチイチ意図的に破滅している時点で社会に未練がある。出世に未練がある人間は、異常に社会に執着するか、異常に社会を敵視する。底なしで社会を敵視するから、妥協点がない。
多分、イチイチ意図的に破滅する人間は、ワザワザ出世を捨てて破滅する事で、出世は価値がないと当てつけている。
神の信者が世間や出世を捨てるのは、神が世間に迎合しないように命令しているからだ。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙一 2:15 (新共同訳)

世間に飲み込まれるのは危険だから諭してくれて守ろうとしているから、信者は世間に迎合しない。
神の信者は、一応は妥協点はある。制度として成立するなら従うから、こういう妥協はする。しかし、悪魔崇拝の制度・法律には従わない。

12、未練
青春をドブに捨ててサタン側が用意した勉強漬けで、人生も無駄な仕事で9割を捨てて、最後は地獄へ道連れにされる。
いったい、何がよくて世間に未練を抱いているのか。

13、結婚制限
アダムの時点で男は責任転嫁をする無責任だから、無責任な男の性関係を制限したのだろう。
聖書のレビ記18章と20章で「いとうべき性関係、新共同訳」に集中して書かれているけど、他の部分でも、それっぽく書かれている。
無責任な男が自分で決めると必ず不幸になるから、神は人が不幸にならないように、父親が結婚相手を決めるように制限する。聖書で父親同士で結婚相手を決めるのも、父親は神の地上での代理人だからだろう。
無責任な人間が責任を背負っても不幸になるだけだから、父親同士で結婚相手を決めた方が不幸になりにくい。
父親から性格が遺伝するから、父親同士で気の合うなら、子供同士でも気の合う確率が高い。100%ではないけど。
むしろ遺伝よりも家庭環境で性格がうつりやすいのではないか。
自分の子供の結婚相手になるから、変な相手を家族に迎えたくないためキチンと選ぶ。
男女が自分で選ぶと情欲に惑わされたり騙されて、変な相手と結婚するハメになる。
幸せなら変な相手と思わなければ良いから反発する必要はない。
変な相手と結婚してしまった失敗と思うなら、サタン側に騙されたと思って反省したらいい。
反発するなら、それまでだ。色んな場面でサタンに騙された人生を捨てる必要があるのに、結婚相手に関して反発するようでは、どの道ほかの事で神に立ち帰れない。
ほかの事とは、出世に囚われて地位を惜しんで神に立ち帰らないとか、好き嫌いで決める利権を捨てたくないとか、善悪を決める利権を捨てたくないとか、色々ある。

人間たちが犯罪をするたびに、神は人間の権限を制限していって、人間が不幸にならないように配慮している。
カナンの地へ攻め上がれという神の命令に、臆病が原因で背いた世代をカナンの地へ入れさせなかったのも、もし入れてしまったら自分の臆病が原因で自責にさいなまれるからだろう。

なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。
彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。

旧約聖書14章 3節4節 口語訳

妻子を口実にして神に逆らう。
この時に「負けたら妻子を奴隷にされる」と家族を口実にしたから、家族を捨てるように新約でルール変更をした。
家族が原因で不幸になるからだ。

マタイによる福音書 19:29 (新共同訳)
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
マルコによる福音書 10章29節30節 (新共同訳)
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
ルカによる福音書 14:26 (新共同訳)
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。


人間が悪行をするたびに、神は人間の幸せを考えて、人間の権限を制限していく。
今この瞬間でも、自分自身の無責任な行動が原因で、来世や未来の自分の権限が制限されたり変更されるかもしれない。
ただ、神に立ち帰ろうと努力すれば、次も同じチャンスや、もっと環境の良いところで更生のチャンスを神が与えるかもしれない。
神は、神に立ち帰る努力をする人を受け入れるからだ。

歴代誌下 30章
18節
民の大多数、エフライム、マナセ、イサカル、ゼブルンの多数の者が身を清めていなかった。それにもかかわらず、彼らは記されていることに違反して、過越のいけにえを食べたので、ヒゼキヤは彼らのために祈って言った。「恵み深い主よ、彼らをお赦しください。
19節
彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです。」

27節
祭司たちとレビ人は立ち上がって、民を祝福した。その声は聞き届けられ、その祈りは主の聖なる住まい、天にまで達した。

神に立ち帰る努力をする人を受け入れるのが神である。

アダムとエヴァのどちらかが創世記3章で責任転嫁をしないで、責任のある言動をしたら、神は結婚の制限をしなかったり、結婚の相手の制限も変わっていたのではないだろうか。

結婚制限について色々と書いたけど、俺の主観でしかないから、根拠はない。
自分で聖書を読んで自分で解釈して欲しい。

14、努力
努力が通用するのは神に立ち帰る努力だけ。
出世の努力は報われない。なぜなら、出世させるかどうかはサタンが決めるからである。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

権力と繁栄のある人は、サタンに魂を売ったから見返りで貰った。

努力が報われるのではない。
成功者は全員が努力しているわけではない。
サタンに魂を売った人間だけが出世できる。
あまりにも努力しない人間を出世させると不自然で人々が怪しんで、サタン側や神の存在に気付いて、神に立ち帰るため、地獄へ道連れにできなくなる。
だから、カバーストーリーが保てる程度に努力する人を出世させる。

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