無理にポジティブにならなくてもいい


人間、なぜポジティブを語るのか?

どうも、商売根性が染みているかららしい。

生きて、何か仕事をするなら、ポジティブにして自分を売らなければならない。

自営業ならまだしも、組織に居ても上司によい顔をしなければ、生き残れないというのはある。

現場の嫌なことというのは、大抵は喰わない。

自己責任論というのが湧くのは、このせいではないか?と思うことがある。

ビジネスマンが会社にいるだけならいいが、これをインフラや教育に行くとおかしなことになる、という話もある。

要は悪いことは無いものにしてしまえ、というAIの考えに似ている。

悪いもの、悪いことが起きる可能性があるのが日常である。

では、そんなネガティブなことが欲しくないときは、現場や、そこの人間に投げた方が得策だ、とするから福祉のビジネス汚染による、質や体質の劣化であろう。

要は悪事を隠すのではなく、隠した方が利益になるから、そちらを選ぶ。
無機質で短期的見方もまた自分の保身にも繋がる。

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しかし、単に「間」を無くしたとも言える。

間の分まで、生産に神経を注いでいるから、悪事やリスクが、より現場に流れ、そこの負担が増すのである。

それでも、ポジティブにポジティブシンキングに考え、自己啓発に染まった考えで行くならば、できないをできるにする工夫など語りたがるのが、昨今だろう。

克服できず、足掻いても無理なのは時間である。

時間内に終わらせようとか、タスクが増えて仕方がない、というが人間と時間を鑑みて無理なことを、ポジティブに見るからおかしくなる。

変な気を利かすから、余計な仕事が増え、やらなくてもいいことをしなくてはならない。

物事は本来単純なはずだが、増えた決まりや、安易なやり方の変更で現場が混乱したり疲弊してゆくのだ。

優秀な管理職なら、現場にある程度は任せるのだが、あれこれいいたがる場合は、細部まで決めたがり、本来の仕事以外に神経を使い(使わせ)、現場や管理職でさえ、疲弊していく。

キャリアが現場に派遣されると、使えずデスクに置かれる始末がコレである。

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