Hidehal

日常思いついた事や読んだ本,自然について書きます。

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最近の記事

人間がいまそうなるのは結果

治安が悪いとか、民度が問題だとか、働き方がどうだとか、問題になる。 しかし、よく考えてみれば分かるが、結構、海外からの考えや、やり方が入って来ているから、何も新しいことはなく、それに対応できないだけではないか? いや、新しいことというか、それが数年前にやって来たとしても、そこから数えるわけだから、それも結果である。 微細な変化でさえ大元が牛耳るのが因果にある。 頂き女子に、大騒ぎしているなら、もっと為政者が何をしているか?に目を向けないといけない。 考えるプロがいる

    • 雑記や帰り道

      ギボウシの花が咲いていた。 可憐な見た目に果実はネットりと、綺麗で使えて、何でもありだ。 相変わらず、気候変動の問題はあちこち言われており、レジ袋削減から、自動車など、問題は果たして解決に向かうのか? いや、SDGsですら胡散臭いという先生方もいるが、専門家が企業につくと、炭酸ガスキャンペーンなど、環境にやさしいこととビジネスに繋げる橋渡しになるらしい。 環境にやさしい人間が、ナマの自然を全く知らなくて、ミミズなど触れないと来たら、笑いものになる。 池田さんなどは、

      • 自然主義または厭世主義

        どうも、世の中ではちょっと綺麗にした言葉で、事件や問題を語ることがある。 とくに事件などでは、加害者の凄さが語られるが、一般論ゆえ、それ以上深く言われることはない。 もし、深く知りたいなら週刊誌やドキュメントなどを見ていればいい。 だけど、それがあまりにもいきすぎると、どこかで操作的になることもある。 問題の本質を見せないため、当たり障りないように、振る舞うのが都合の悪い事実を隠す良い方法である。 擁護的な意見が強いと、何でも心のケアに走りやすい。 ホントは叱らなけ

        • 理想は言いたくないが現実も痛い

          最近、オブラートに包まれた理想を見る機会がある。 それは、言うのが無理あるだろう、というシーンだ。 明らかにおかしいことが、美談や美しく塗り直されていくのを見ると、お上だけが管理支配の装置ではなく、市井もまた同じことをしているのだろう、と思うことがある。 現実…というか、真実というのは知ると痛い。 従って、騙されていたり、目を覆っていた方が楽だし、考えなくてもいい。 それに、自身のエネルギー削減にもなれば、コスパがいい。 だけど、私のように執拗に、現実を見るのがいる

        人間がいまそうなるのは結果

          サイコパスの濃度とサイコパス製造

          サイコパスは遺伝か? 遺伝である、性格や精神病は遺伝だ、という話もある。 座敷牢や神隠し、知恵遅れなど、昏い歴史もあったようだが、昔の方がその点わかっていて、四半世紀のオブラートに包む表現はしない。 むしろ、その部分は察しなさい!という雰囲気は強かった。 柳田国男など、神隠しに遭いやすい体質だと言っていたが、昔で言うなら、天然ボケや不思議ちゃんのようなものか? あまりにノホホンとしすぎるのはよくない。 不思議ちゃんや精薄として、意図的な神隠しという待遇にあう可能性

          サイコパスの濃度とサイコパス製造

          婚活、推し活、パパ活

          「パパ活」は変換で出てくる、あまり品が良くないものだ。 援助交際や売春など、生々しい言葉もあったが、いまだにその手の商売が成り立つのは、人間の持つSaGaの強さがあるからだ。 要は、近寄らなければいい話だ。 だけど、需要はあるし、海外(海外売春)に行けば買ってくれるし、相手の要求は満たせるから、ウィンウィンになる。 デカダンスや退廃主義ではないが、快楽を求めて何が悪い?と、ならないのは、もう言葉に出す前に、当たり前だろう、という前提があるからだ。 なにも、一部の退廃

          婚活、推し活、パパ活

          経験と創作

          なにか創作したいなら、なにか習わなければならない。 「なにか」などと言っても、その道、そのジャンルのものに従って、モノにするのだ。 オリジナルで、何かを生み出そうにも、種となるなにかがなければ、話にならない。 いちからなにかを生み出すのは大変だから、誰かに習って…時間をかけながら、自分のものにしてゆく。 世の中には、綺麗な作品を出すから、自分はできないのだ!と思ってしまう。 そこに欠けているのは、時間、経過であり、いきなり出来るはずがないという、約束が抜けている。

          経験と創作

          本は不要か?

          ネットもあるし、SNSもあるのなら、本は不要か? 現代文や古文漢文じゃあるまいし、高校くらいで文章は卒業だ、と冗談のひとつでも言いたくなる。 しかし、ネットやツイッタがあるから、文章は上手くなるだろうと言う人間がいるが、実は彼らは高学歴である。 高学歴というか、ハイレベル大卒からの視点で、全てを語るのはおかしいのは、自分の感覚が世の中の全てでは無いからだ。 私だって本は読まないとマズイと思った過去はある。 大学という文化を知らず、教養として本は読まないと無知蒙昧にな

          本は不要か?

          格差的な〇〇

          気になることがある。 格差が広がったというが、なにも資産だけではなく、教育、知性まであると言うのだから、うつになる。 詳しく言えば、知能格差というのもある。 知性、体力含めれば、生命力という逞しさが指標になっているのだろうけど、知性があっても、世の中への戦略が上手くなければ躓くし、戦略だけあっても、体力がもたなければ、息切れする。 知能格差というが、何のための学校か? 学校じたい建前としての装置である、というのは暗黙の了解ではないか? 塾に行けば、(とりあえずの)

          格差的な〇〇

          生命倫理とか

          関西の大学が生殖細胞を作ったという。 この手の生命倫理は昔からあるが、世界は、肯定的に進めている感じがある。 というのは、カネになるし、外資が猛烈な競走…特に製薬企業などは、倫理どころではないからだ。 従って、倫理など考えていたら、競争に遅れる。 どうも、太平洋戦争とか、そこらの始末をしなかった部分と似ているのは、未解決のまま、ズルズル考えてしまっているような気がする。 要は、解決させないことが物事を進ませない。 誰かにとって都合が良かったり、悪かったりするのだから

          生命倫理とか

          文科は不要か?そうでもない

          文学…もっといえば、小説や哲学は不要か?というと、そうではない。 考えることがメジャーな時代なら必要かもしれないか、必要なくなれば、個人でやってるしかない。 根暗、根明などが言われていた時代には、彼らのポジションは用意されていただろう。 しかし、いまはSNSはあるし情報やAIもある。 流れは、文章より、伝えるための文字、使えるための文字になっている。 従って、文学や哲学は、作品の傾向がある、ともいえる。 ゴッホのひまわりを見て感嘆するように、ある考えに触れて感激する

          文科は不要か?そうでもない

          非専門家が考えられるか?

          アマチュアは専門家に比べ小回りが効くみたいなことを前に書いた。 プロは確実に仕留めなければ信用されないし、金にもならない。 アマチュアだからこそ、適当な…ある程度歩き回り、実験的な言動、働きが緩やかなのだ。 しかし、強くものを言うのでは無い。 強く、効果的な発表はプロの仕事だし、それなりに世の中に影響する部分にいるから、プロなのだ。 じゃあ、アマチュアがそんなに適当なことをして、なにも考えていないか?というと、そうでもなく歩き回るだけでなく、思考も感覚も、実験的に、

          非専門家が考えられるか?

          鈍感、心理、文科ほか

          脳科学がいま強いというが本当か? いや、人が頼る教養や文化というのはある。 新しい言説もそうだが、新しい説明や解釈をしながら、アプローチしなくては、見えないことが出てくるのだ。 心理学については収まり、情報技術が何だか強くなった感じはある。 心理が、解明できない点を脳科学…精神医学でいう、思考や精神の働きを飛ばし、機能的に脳を見るやり方だ。 考えてみれば分かるが脳だって、臓器だ。 胃や腸に性質やクセがあるように、可能性があるだけ求めるのではなく、99%でも良い、確定

          鈍感、心理、文科ほか

          創作、雑記、その他

          考えがまとまらないことがある。 むかしより、脳の働きが落ちたように感じる。 若い頃のなんにでも、興味が向かうではないが、現実のモノでも、抽象的なモノでも、情熱が薄れた感はある。 では、何もしたくないか?というのとは違い、ひとつ考えを進めなければ、頭が働かないという具合なのだ。 というのも、まえも言ったが新し考えのは一つは頭に入れないと、アウトプットが出てこない。 要は、いくら古いインプットを入れても、もう分かりきっているから、今更なんだ?となる。 それに、上手い説

          創作、雑記、その他

          パラダイムシフト再び❷

          しつこいが、いまはどうすればいいか?というのを、自分から分からなければ、進めない時代ではないか?と感じる。 失敗は、相変わらずすれば嫌がられるが、個人的な経験値は上がるからしないより、した方が良い。 まえに、自分を進めなくては云々…と書いた。 世の中をよく見なくては、その動向は分からない。 いや、単にニュースだけ知っていれば、いいか?というのではなく、頭のいい人間の知恵を見なければ、理解できないことがある。 そのための頭だ。 もし、いままで頭の回転がいい人間の意見が、好

          パラダイムシフト再び❷

          伝えること新しいスタンダードなど

          説明の上手いのは、それなりの技術が必要だ。 理科では、探求を深めることが出来るが、ときに傍から見ると何をしているのか?分からないことがある。 たぶん、そのまま説明されても、分からないこともあり、この世に還元された言葉が要る。 文科などは、言葉の学問であり言葉にならない非言語を言葉にしたり、説明の難しいことを言葉で表す。 文理中間のものが役立つとき、理科では説明不足なことや、痒いとこに手が届くような解説が上手いことがある。 行きすぎた学問は、解説が上手くなければ一般に

          伝えること新しいスタンダードなど