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推しに注いでた愛情を自分に注ぐことにした

推しの代わりに「自分」を推す

推しが昨年末に活動休止した。
この時点で多くの人が思い浮かべるだろう、あのグループだ。
10代後半から彼らを好きになって、気がつけば10数年が経とうとしていた。
活動休止に至った経緯や休止前の約2年間に及ぶ彼らの活動を通して、彼らへの愛情は募るばかりだ。

そうして迎えた2021年の今、率直に寂しい。
なぜなら箱推しだった為、5人一緒の姿を見るのが何よりも好きだったからだ。

しかし、今一番問題なのはそこでは無い。
一番の問題は、私のこの愛情を注ぐ対象がなくなってしまったことだ。

今までの私は仕事<恋人<推しだった。
木曜日の残業は極力しないし、お給料の何割かはCDやDVDやその他グッズに変わった。
そしてコンサートに行くことになれば、仕事の休みをもぎ取り、美容院へ行き、服を買い、ネイルもメイクもバチバチに決めて臨んだ。正直デートの為にそこまでしたことは無い。
彼らが活動休止した今、私は「自分を最高に可愛くする」機会を失ってしまったのだ。
他に推しを見つけられたら良かったのかもしれない。しかし元来芸能界への興味が無い為、それも叶わなかった。

私は今、何の為に働き、何の為に可愛くありたいと思うのか分からなくなってしまった。

だから私は、自分に愛情を注ぐことにした。

この際自分を推してみることにしたのだ。

一生懸命働く。なぜなら推し(私)にお金を使えるから。
ダイエットを頑張り、食事に気を配る。なぜなら推し(私)に、スタイルのいい私を見てもらいたいから。
美容院へ行き、ネイルもメイクも練習する。なぜなら推し(私)に、かわいいと思って欲しいから。

「自分を推す」ということ

そうして過ごすうちに”私を推す”というのは、最強のライフハックであることに気が付いた。

”完璧じゃない私”も愛せるようになったのだ。

今までは仕事でも私生活でも、うまくいかないことがあると「なんてだめなんだ」と自分を責めていた。

しかし自分を推してみると、たとえ失敗したしても、一生懸命にやれば「かっこいい」のだ。
そして、ささいなミスは「かわいい」に変わる。
もちろん反省はするが、自己否定することがなくなった。

むしろ「完璧な人間(仮想生物)はつまらない。少しダメな部分があるからこそ、推しを愛せるし、応援できるのだ。」とすら思う。
その点が、「自分を推すこと」と「ナルシスト」との違いでもある。

彼らは活動休止を通して、大切なことを私に教えてくれた。

いつかこの道の先でまた会えることを願い、それまでは全力で自分を推していきたいと思う。


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