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3月のいちばん長い日

今思うと首をぎっくりやって3月の仕事を日曜日まで全部キャンセルして休みにしたのも見えない力の何かだったのかもしれない。
土曜日の昼、首が曲がらないし軽く痛いしで遅めに起きて朝とも昼とも言えない朝食を採っていた時のこと。
普段着信音をサイレントにしてるスマホがポコンと鳴った。そういや首やってから連絡用で音出るようにしてたんだった。着信見るとどうやらツイッターのDMの音だった。

「ミレーさん!今ソワレに来ましたが明日でお店閉めちゃうって!ギリギリ間に合ったけど寂しい!」

え?


昔々より好きなミュージシャンが居るのだが、そのバンドが丁度現在東北をツアーで回っていた。その繋がりもあってツイッターで相互さんになった方が、静岡から東北にライブ観に行くから岩手の喫茶店を教えてと乞われて何件か教えていたのだ。その彼からのリアル現地ライブ報告だった。

ドアの内側にお知らせ
閉店の一週間前の告知文だったので
ほぼ常連さんに向けてといった所

マスターと彼がお話してる中で明日閉店だよーと告げられて急いで連絡してくれたらしい。もう静岡に足向けて寝られない。
動揺しまくったまま何はともあれ現地の彼にマスターに伝言と私の連絡先を託したものの、頭の中は明日しか無いなら9割5分現地に行くしかない、の強い気持ちで占められていた。後は首の調子と伴侶の説得。流石に数日前まで熱海で遊んでたのでバツが悪い…

日曜日の朝、北へ向かうやまびこの中に居た。3月も終わりの、しかも日曜日の割にはそんなに混んではいない印象だった。やまびこだと停車駅が多くてピンポイントで仙台や盛岡に行く人には移動時間掛かるもんね。前日2時間程度しか寝られなかったから寝て移動するには都合は良かった。
通路挟んで隣の席の親子連れが椅子を回転させて向かい合って座っていた。小さな女の子が2人で並んで絵本を読んでいたのだが、おねえちゃんの声がなかなかに元気で大きくてママがしょっちゅう注意していた。けど車内が静かな分響く。読んでる絵本は見なくても分かった。しろくまちゃんのほっとけーきだ。ぐりとぐら、ちびくろサンボと並ぶホットケーキ絵本の金字塔。私も小さい頃は大変お世話になりました。ぐりぐら派だけど。
親子は郡山駅で降りて行ったけど、朝ご飯を買わない食べないまま新幹線乗ってしまった私の頭の中が、ソワレ半分ホットケーキ半分になってしまっていた。このタイミングであんな絵本読まれるともう混んでなければその気分じゃ無かったけどあそこに行くしかないか。


一ノ関で在来線に乗り継いで、12時ちょっと前に水沢駅に降り立った。駅前も大通りも本当に人の姿が見えない。

喫茶カナリア
日曜日も営業日なのは水沢じゃ珍しい

大通りのアーケードを歩いて東町側の通りに目をやると看板が出てるのが分かった。ドアの前のランプが着いてると確実に営業中。

やっぱりカナリア何もかも全て良いな


日曜日は近頃混んでると聞いてたので今日は外す気だったけど、新幹線での出来事もきっとこれは行っとけと云う暗示だろうと勝手に解釈してドアを開けた。カナリアはドア開けた瞬間からポテンシャルが鼻血が出そうな程高揚するのは喫茶店好きでこちらに行った人なら分かってくれると思う。何度ドア開けても胸キュンがやっぱり変わらない。最近測ってないけど血圧高いんだろうな私。

カナリアホットケーキ
10月〜4月末まで

私の他に1組程だったのでタイミングも良かったのかもしれないが、ワンオペでナポリタン3人前作ってるママさん見ると普段の混み具合は大変だろうな。今はお孫さんがホールでお手伝いされていてより明るい雰囲気になってた。カナリアで幼少期過ごしたの純粋に羨ましい。
3年ぶりのカナリアホットケーキが食べられて自分の中のお通夜モードは随分解消された。私的日本一のむちゃうまホットケーキだ。どうやったらあの安定のサクフワ食感出せるのか。大谷翔平と並ぶ奥州の七不思議である。
帰り掛けに少しママさんとお話してソワレの件を話すと水沢で一番古かったのに…と驚かれてたが実際はカナリアの方が最古でしたママさん。

カナリアを出て市役所方面へ向かう。駅前に残っていた元イオンのビルもとっくにテナント撤退して中身はがらんどうの淋しい駅前。繁華街だった時代知ってる人も少なくなったろう。

昼ソワレ

駅前通りから少し外れた地域にソワレはある。市役所や合同庁舎、市立病院も近いのでこの付近なりの需要はある立地の喫茶店。
二階上ル形式の喫茶店は多々あるけど、一棟建てで古代出雲大社本殿式の形状は他でも出逢ったこと無いし、遠方から喫茶アカウントの錚々たる方々が来られてる様だが建物にまず驚かれてるのでやはり珍しいんでしょう相当に。

古代出雲大社本殿はこれ(参照)

お馴染みの怖い階段を上ってドアを開ける。いらっしゃーいとマスターの元気な声。カウンターに目をやると毎回お会いする見慣れた常連さんが居る。何時もの日常のソワレじゃないか。「電話したらいやー水沢来てるって言うからビックリしたよー、いつ来たのー」「いやさっきですよ。ソワレ閉店するって教えて貰ったので新幹線で…」本当に閉店するのかこの感じ?カウンターに座りとりあえずコーヒーを注文。此処に来るまで一服もしてなかったのでスッと出てきた灰皿を借りて煙草に火を点ける。

コーヒー(400円)
メニューは飲み物オンリー

一息付いた所で「今日で閉店するんですか?」と再度聞き直したら「そうだよ!今日!」と明るくあっけらかんと言われてしまってぐうの音も出ない。
一番心配してたマスターの体調は特に問題も無く、身体が元気な内に家族に迷惑掛からない様、お店の片付けを少しずつ初めておきたい事。少し休んで趣味の釣りもやりたい事。お店畳んでもお祭り(4月末に水沢は大きな祭りがある)や飲食店組合の役員やらでやる事いっぱいあって忙しいー、と今後の事を話してくれた。
水沢は昔々から25歳と42歳の厄年の年に同級生が集まって厄年連・年祝連という団体を立ち上げる。祭りや催事の度にこの厄年連が市内に住んでいる内はずっと付き纏うのだけど、マスターも私の父親も同級生だったしカウンターにすうっとやって来る常連さん達もほぼ同級生。冠婚葬祭も選挙活動も出身校関係無くこの同級生の横の繋がりが大変強固な土地柄で、当然誰かがお店をやるとなったら同級生達が盛り上げる。そんなこんなで父親がソワレの立ち上げ時に看板やマッチのデザインをビール数本で引き受けたのもごく自然な流れだったのだろう。
昨今の喫茶店ブームでソワレも北は北海道、南は九州からわざわざ来る人が居てマスターも驚いていた。エッセネエスってスゴイのねーと言いながらそれを利用する等の商売っ気を全く微塵も感じないマスター。受動喫煙防止法を受けてここ数年は20歳以下は入れない様になっていた。来る常連さんはほぼ喫煙者だし何ならMy煙草を店に預けている方々。ソワレを陰日向で見守ってる常連さん達の居心地の良い空間優先だった。それでも遠方から旅人あればマスターのあの人懐こい笑顔と話術で一見さんでも和んで帰っていくから、端から見ていて生まれもっての客商売向きの人柄だなーと感心していたものだった。

トイレ側からカウンターを臨む
Rのドアや壁が美しい

入れ替わり立ち替わり来る常連さん用にカウンターよりボックス席にと移動しようとすると制止されるので僭越ながら並ばせて頂いてコーヒー飲んでいた。店に自分専用のカップとソーサーを預けていて取りに来た人、お菓子持って来て配ってコーヒー飲んで帰る人、大体見掛けた事ある人達だけど皆動きがやっぱり最終日ぽさがあった。当たり前なのだが。そして見送るマスターの挨拶も「また今度!」ではなく「また何処かで!」なのだった。嗚呼…


日が傾いて店中に翳りが出てきてからが一番
ソワレの真骨頂の良さだった

春の高校野球の決勝も阪神競馬場の大阪杯もカウンター端のテレビで見届け、この日の水沢は陽気も良かったが夕方はやはり冷え込んできて、マスターがストーブと店内と外看板の照明を点けていった。日曜日の営業は普段しないので本当に最終日のみの特別営業。常連さん達も日曜日に予定ある中来た方も多く、日中は談笑していたが、夕方ともなると後ろ髪を引かれながらひとりひとり家路に付いていた。
常連さん皆居なくなって流石に私もそろそろ…と思ったらふらりと入って来た女性の方が居て、カウンターで話をしたら近くの合同庁舎の職員の方だった。明日移動になるから職場の後片付けをして帰ろうとしたらお店の看板と電気が点いている、入ったことないし移動前最後にコーヒーでも…と来られたとの事だった。店の閉店をマスターが告げたらこの日一番いい反応で驚いていた。そりゃそうだ。
その後も女性の方が一人来て、最後の時間はソワレの暖色照明の下、名残惜しいと云う空気が全く無い中、明るい会話で私も最後のコーヒーを頂くことが出来た。店内の撮影もほぼ普段しなかったのだけどこの時に初めてカウンターも撮らせて頂いた。自分が座ってると撮れる所ではないのだよね…

その昔は酒類も扱っていた
左側の戸棚には少しその頃の名残がある


18時半前、女性お二人を何故か私も見送ってからマスターにご挨拶をして店を後にした。父親が末期癌で体重が30kg台になっても死ぬ一週間前にあの階段をフラフラ上ってマスターとソワレに逢いに来てた事、最初は考えられないと思っていたのだけど、自分の死期悟ったら、ああ、最後に最高に好きだった店でコーヒー飲みたいよね。今なら解ってあげられる。そのDNA引き継いだ事も。


看板はあげられないけど
お父さんのマッチは持ってってねーとこんなに頂く
看板は流石に持っててください…
ソワレ
夕方、日没後の公演の意
日が暮れて電気が消えてこれにて終幕

件の怖い階段を降りて最後に数枚写真を撮ってから、マスターが営業中の札を下げる所を見て帰った。外看板の電気が消えるのを見ると何か込み上げそうだったので振り返らずに立ち去った。


帰りの東京行きの最終新幹線の中でぼーっとして常連さんから頂いたお菓子食べながら、そういや首の痛いのが良くなってるのと、マスターまだ営業許可証返さないしあのお店もそのままにするって言ってたな…とふと思い出した。次に起きるか起きないかの何かのミラクルに駆け付けられる程度にはこちらも頑張らないと。



45年間大変お疲れ様でした。
父娘共々愛を込めて。



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