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結婚生活、こんなんでいいのかわからないまま・・・

結婚生活これでいいんだろうか・・・?


こんな思いが常に頭の中にある。
私の人生どうすればいいのか、「あなたは大丈夫!夫があなたのパートナーなのは間違いない!」とか「あなたのパートナーは他にいるから、ちょっとめんどくさいけど、早く別れなさい!」とか天からの思し召しがあったらどんなに楽だろうか・・・。

人と人のパートナーシップには良いも悪いもなくて、パートナーシップの数だけその形も様々なものがあるわけだし、本人同士がそれで良ければ、どのような形態の関係性でも良いわけだけど。

私にとって、結婚生活は人生一番の修行とでもいうのがしっくりくるだろうか。

結婚生活が毎日楽しく充実しているひとが持っていて、私が持っていないものは何だろう?私はなにか間違っているんだろうか?なにを間違えているんだろう?それとも相手を間違えてしまったんだろうか?

私にとって、結婚相手とは、一番心を通わせたい相手だけど、私が夫と心が通じ合うと最後に感じられたのは、一体いつだろうか?
小6と小3の子育てしているなかで、やはり第一子が生まれた時から、私たちのコミュニケーションはありとあらゆる形で希薄になっていった。子供が生まれて最初の3年から5年くらいは、どの家庭でも怒涛の生活で、夫婦の関係性が大きく変化するのは想像できるし、子供を持つと教育方針などでケンカが増えるとかよく聞く話だけど。

子供の教育方針というよりも、子供への接し方で見えてくる相手の人間性というか、それまでは見えなかった相手の様々な側面が浮き彫りになっていくことも大きい。
子育てしていく中で、私という人間が母として、大きな変化をとげていく中で、夫との心の距離がどんどん離れて行ってしまったのだろうか。

あるときは、今の結婚生活に心満たされないままこの先何十年も生きていくくらいだったら、離婚した方がいいのではないか?という類のメッセージがあちこちから飛んでくる。

よく聞いているPodcastで、暴力とか、パワハラとか、借金とか、浮気とか、アル中とか、離婚せざるを得ないような状況がひとつもない。それなのにどうも幸せと感じられない、何かがしっくりこないような悶々とした結婚生活を送ってきた女性が、離婚に踏み切って良かったというような話をしていて、すごく納得できてしまったり。

また、何が原因っていう決定打がないけれど、結婚生活、結婚相手から逃げ出したい気持ちを抱えて生きてきた女性に向けて、自分の気持ちに従って、自分を自由にすること(離婚すること)は、結果的に相手を自由にしてあげることになる。つまり、「相手だって、この結婚から逃げ出したいと思っているような妻と結婚しているくらいだったら、離婚して解放してあげることで、自分といることが真の幸せと思ってくれるもっと良いパートナーを見つける自由を得ることが出来る」という話をしていて、そうか!と思ったり。

こういう話を聞いていると、離婚しなければならない決定打がないけれど、このまま結婚していても、幸せな結婚生活は死ぬまでやって来ないように思うんだったら、この結婚を解消して、自分も相手も解放してあげるのがいいのではないか?
そんな気がしてくる。

かと思えば、逆のメッセージがこころに入りまくってくるときもある。

私は結婚生活はこうあるべきだ、幸せな結婚とはこういうものだ、と決めつけ過ぎているのではないか?
自分の理想の形に縛られているから、ちょっとでも違うと、これでは幸せではないとか決めつけてしまうのではないか?
自分はそこに流れている日常の幸せを見逃して、文句ばかり言っているだけなのではないか?
誰と結婚しても、夫婦として生活を共にしていけば、壁にぶつかるのは当然のこと。変えなければならないのは、結婚相手ではなくて、自分の考え方なのでは?

嫌なところばかりに目を向けていないで、夫が素晴らしいところにもっと気持ちを向けてみよう。そう努めてみると、確かに、夫が私の夫で助かっていると思うこともある。


でも正直、なんだか最近疲れてきたんだ。



夫からは得られない、だけど自分のこころが渇望しているものを自分のこころが無意識的に他のところで埋めようとしていることに、最近気が付いてしまった。別に外で誰かとセックスしてくるとかそういう類のことじゃないけど・・・(笑)。

私の心は子供のこころのまま、子供が母性的な愛と、父性的な愛の両方が必要なのと一緒で、私のこころには、女性的なエネルギーと男性的なエネルギー両方によって満たされることが必要みたいなのだ。同性の女性から受ける愛情だったり、優しい気持ちだったり、楽しい時間の共有だったり、心を満たしてくれる時間と、男性から受ける愛情、優しい気持ち、楽しい時間、心を通わせ満たしてくれる時間が必要なのだ。

女性からのエネルギーは友人や電話で話す母や姉から、比較的貰うことは簡単なんだけど、男性からのエネルギーは足りていない。夫からは供給できていないのは確か(笑)。

私がマウンテンバイクに乗りに行って、グループライドやソロライド中に出会った男性ライダーと楽しい時間を過ごして、気持ちが満たされる理由は、単に好きな趣味をやって楽しいということのほかに、男性によって満たされたいこころのエネルギー補給ができているから、という側面があるんだな、とふと気が付いた。自分のこころが、足りてないものを無意識に補給しようとしており、ハーモニーを保つために一生懸命働いていたのだと気が付いてハッとした。

自分の心と体が必要とするすべてを夫に満たしてもらおうなんていうのは、ちょっと期待のし過ぎなのは明らかだし、私が夫のすべてを満たしてあげられるとも思っていない。だから、夫からもらえない足りないものを、マウンテンバイクに乗りに行って、男性ライダーと楽しく過ごす時間で供給できるのなら、そうすればいいだけのこと。

結局、理想的な結婚生活や、パートナーシップを結びたいけれど、自分は自分のことしか改善できない。人を変えることに自分の命の時間を費やすのは割に合わない。だから、この先、どうなるのだろうと考えるのは少し辞めて、今、自分のこころが欲するものを供給できるように工夫しながら、1日1日、なるべく自分の心が満たされた日を過ごせるようにやっていくしかないのかもしれない。そうやって、一歩ずつ進んでいくことしかできないのだから。それがどういった末路になるのかは、結局は後から振り返ったときにしかわからないのだろう。





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