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【短編小説】書け!真の作業標準書!

「さて、と。こんなもんかな。」

中年男性が、プロジェクタで映し出された資料を前に呟く。

「これだと、まだまだ不足していると思うんですが・・・」

「そうか? 昔に比べれば大分マシになった気がするけどな。」

若手が不足を指摘し、それに対して定年間近の頭が薄くなった男性が反論する。

「昔に比べれば、ではなく、事業部長の意に沿った出来栄えかどうかだと思うんですけど・・・」

若手は言いづらそうにぼそっと呟く。すると、会議室にひと時の間、静寂の時間が流れる。

会議室に居るこの三人、何をしているのかというと、海外で新たに導入する工程の作業標準を作成しているのである。ただ単に作成するのであれば、会議室にこもる必要はない。では何故集まっているのかと言うと、先日事業部長より訓示があったのだ。

『作業標準は出来るだけ詳細に、かつわかりやすく。農村から出て来た人が、それを読めばすぐ作業に入れるものにすること。』

「じゃあ例えば? どこを直した方がいいんだ?」

若干声を荒げて言うのは、初めに呟いた中年の男性。
そもそもそんな事出来る訳ないだろ。機械を生まれて初めて見るような奴らだぞ?

海外出張経験が豊富で現場をよく知ってる彼は、事業部長の言う事なんてどうせ現場を知らない人の理想論なんだから、適当にごまかしていればいいんじゃないの?と考えている。

「例えばですよ・・」

その言葉を皮切りに、若手社員は自分の考えを述べていく。

「治具をセットする前に、『エタノールで拭く』っていう文言あるじゃないですか。エタノールって初めての人にわかると思いますか?」

「・・・確かに。」

「でしょ? なので、ここは例えば『赤い蓋がしてある白い容器に入っている液体を布に付けて、拭く』とかの表現の方がいいかなあ、と。」

なかなか面白い事を言う、と感じた中年と定年間近の二人。
正直、そこまでかみ砕いた表現は考えた事すらなかった。
それでは、と他にないか促してみる。

「後はですね・・・、準備が終わったら開始スイッチを押すってありますけど、『開始スイッチ』ってどれ? って感じですね。写真はありますけど、スイッチだらけで初めの人にはちょっと・・・。」

「そうすると、そこは『緑のでっぱった所を押す』とか?」

「そんな感じです。」

我が意を得たり。そんな顔をして、若手社員は頷く。
こうなるとだんだん面白がって、色々な意見が出るようになる。そのまま三人は白熱した議論を交わし、詳細な作業標準書に仕上げていく。
一段落ついたところで休憩。三人でブレークタイムに入る。

(ふ~~、オ〇ナミンCの炭酸が効くぜ・・・)

そうして出来上がった作業標準は、写真やマンガ図がふんだんに使われ、表現もかなりかみ砕いたものとなった。
例えばこんな風に・・・

変更前:治具をセットする前にエタノールで拭く。その後治具をセットし、扉を閉めて指定のプログラムを入力後に開始スイッチを押す。

変更後:①製品が入った治具をセットする前に、右手にベンコットンのものを持ち、それに赤い蓋の白い容器に入っている液体を付ける。具体的には赤い蓋を開け、中央部に見える突起物にベンコットンを優しい力で3回押し付ける(マンガ図があり、『優しく』の吹き出し入り)。それを使って写真Aの場所を丁寧に拭き上げる。

②製品が入った治具をセットし、装置の扉をそ~っと閉める(『強く閉めると壊れる可能性あるため』の注意書きあり)。

③流動票(写真B)の『使用プログラム』と書かれた欄に記載された番号を確認し、それと同じ番号を別作業フロー1を参考に入力する。

④緑のでっぱった所を強めに押す。(『でっぱりは固く、強く押さないと効かない』の注意書きあり)
※装置が作動しない場合は、図Cのように扉を軽く左手で持ち上げながら、右手で緑のでっぱりを押す。(マンガ図あり、『扉のガタでセンサーが効かない場合ある』の注意書きあり)

「「おわった・・・。」」

達成感に満ち溢れる中年と定年間近の男性。当初よりもボリュームがかなり増え、大長編の作業標準となったが、これなら事業部長も納得するであろう。

読むよりも経験者が教えた方が早そうだが、会社という枠組みで長い間生きてきた彼らは、そんな事は決して言わない。あとはこれを現地の通訳さんに翻訳してもらうだけ、と思ったら若手社員がこんな事を言った。

「あ! これ、右利きの人前提の書き方ですよね? 左利きの人だと出来ますかね?」

「「・・・・・・」」

こうして私たちはその後、左利き用の作業標準も作る事になった。

真の作業標準書作成には、多くの困難が待ち受けている。

頑張れ! 生産技術者!!

おわり

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