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浦沢直樹『PLUTO』

浦沢直樹の漫画『PLUTO』を読み直してみた。

その中の話の一つ。

母親に捨てられたと思い込み、ずっと母親のことを恨んでいた音楽家の

ダンカン。

その恨みから音楽に打ち込んで偉大な音楽家となっていた。

しかし

愛されていなかったという思いに縛られて、思うように作曲もできず

寝ているときにも、過去の悲しい記憶のために、うなされていた。

またノース2号も、過去の多くの戦闘の際にロボットを破壊したことに苦しみうなされていることをダンカンは知った。

元軍人の召使ロボットに対して怒りをぶつけていた。

そのロボットのノース2号が

過去のことについて調べてきたことから、自分は母親に愛されていたことが分かった。


そして

頑固なダンカンの心がほぐれてゆく。

日々の暮らしの中に安らぎと楽しみを見出してゆく。

そんな時

脅威が近づいてくるのを感じたノース2号は

被害を最小限にとどめダンカンを巻き込まないために

空中高く飛び上がり

戦闘の末

爆破されてしまう。

子どもの頃、母親が大地に沈む行く夕陽の中でよく歌っていた歌が、空から聞こえてきた。

戦闘中も、爆破後にも、ノース2号が歌っていたのだ。


誤解することで人を恨むこともある。

説明が不足している。

子どもに対しても安心させるために説明が必要だと思う。


憎しみがあることで悲劇が起こる。

その憎しみは正当に理解されないことからなのか。

制御不能となる憎しみは破壊でしかない。

自他ともの破壊となる。


今後の問題となっていくであろうロボットの人権問題を提起している。

人間側からロボットの人権というよりも

ロボット自体に意識があり、思考があり、そして心があるのであれば

もうそれは生物であり、人間となるのではないだろうか。

脳での処理か、人口の脳での処理かの違いだけとなるのではないか。


ただ悪い人間に支配されるだけの「PLUTO」のような悲劇のロボット

そして悲劇というものを再び作り出してはならないと思った。

搾取する構造ばかりを考え出す人間はもう嫌だ。

その繰り返しを人間社会は行っている。

共存する道を選べないのか。



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