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生きていく勇気となった宗教

キリスト教、大乗仏教、ヒンズー教の間に見られるこの類似性は、時代精神に帰することができるだろう。

西アジアの通商あるいは行政の大中心地に不意にやって来た人々、多くは遠く故郷を離れ、異邦人の群れの中に投げこまれた人々が、これらの救済の約束を喜び迎えたであろうことは想像に難くない。

ミトラ崇拝、イシスやキュベレ信仰等、数々の影響力の劣る諸宗教さえそうだったが、キリスト教、大乗仏教、ヒンズー教の出現は、種々雑多な氏素性の人々に、失望と困苦にめげず生きていく勇気を与えた。

これらの宗教はいずれも、現在の様々な不正が輝かしくそして永久に正されるであろう未来への希望を強調するものだったからである。

さらに、これらの宗教は何らかの特定の地域や社会の縛られてもなかった。

バビロニア幽囚後のユダヤ教のように、どこであろうとも、信仰を同じくする者がほんの少数でも集まったところは、救済への希望の火が赤々と燃え上がるのであった。

最後の至福は別にしても、宗教団体内の仲間意識そのものが、少なからず困者と孤独への慰めを与えてくれた。

それゆえ、これらの宗教は三者とも、それまでのユダヤ教を除いては、他に見られなかったほどに都会生活の要請によく応えるものだった。

不正と困苦は文明生活と切り離せないから、このような信仰が現れたおかげで文明は、それなくしては考えられないほど、長い生命を保つことができたのである。

ウイリアム・H・マクニール『世界史』

文明生活を支えてきた人々にとって
生きていく勇気となったのが
宗教の教えと
宗教の仲間同士の連帯感による支え合い。

人々に
現実の生活の困苦に耐える力と
不正が正されるという希望を
宗教が与えた。

それらが
多くの人々の心の支えとなり
そして
お互いを支え合う仕組みが
都市生活そのものを
保持させる原動力となった。

人間には
生きていく上で
宗教が必要なのだろう。

宗教でなくても
信念というものが必要なのだろう。

互いが支え合うことができるなら
生きていくことが楽になる。

根本的に
人間同士の支え合いが
文明を存続させるのだ。

現実において
困苦や不正をなくしていくことが
重要となるが
その時に
支え合う仕組みがなくならないような
軸を
確立していくことが
必要となる。

そのために必要なことは

教育しかない。
人間力しかない。
その重要性を顧みる時が来ている。

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