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『DVから逃れる』 あるDVサバイバーの記録 #001

DVと聞くと皆さんはどんな情景を思い浮かべるだろうか。夫が妻に殴りかかったり蹴りを入れるなどの身体的暴力を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。しかしDV(ドメスティックバイオレンス)は命に関わる怪我だけではなく、いわゆるモラハラなどの精神的なDV、生活に必要なお金を渡さない経済的DV、性的な暴力も含まれる。

かくいう私もDV被害者であり、DVシェルターへの避難を経て裁判により離婚し現在はシングルマザーとして穏やかに生活しているが、ここまで来るには幾多の苦難と挫折、孤独を味わってきたと思う。

題名に「DVから逃れる」とあるが、本当に加害者から逃げるだけでDV被害者を救うことは私はできないと思っている。見ず知らずの土地に着の身着のまま逃げなくてはならない多くの被害者たち。私の場合は安定した仕事や人間関係も失ってしまった。被害者の尊厳を守りながら今まで過ごした土地で、住み慣れた家で加害者を遠ざけることはできないのかと何度も思い涙した。

この記録は私の体験談ではあるがDV被害者の現状を知っていただきたく文章として残すことにしたものである。

どうか世界中からDVがなくなりますように。
願いを込めて…。

#001  結婚から出産〜DVの始まり〜

私は比較的若い時に結婚している。
元夫とは職場で知り合い、世に言う「授かり婚」であった。
妊娠中は元夫はとても優しく、やっぱりこの人を選んで良かったと思ったものだ。
しかし、出産を終えて数ヶ月たった時に突然元夫がキレたのだ。何が理由でそうなったのか私にはわからない。ただ今まで見たことのない元夫の形相にただただ驚き混乱し涙が溢れ、途方に暮れた。
今思えばこの件がDVの始まりだったのだと思う。
初めは恐怖で何も言い返せなかったが、負けず嫌いの性格が災いし、元夫がキレるたびに言い返すようになっていった。
両親が争う姿を子供に見せてはいけないと思いつつもだんだんとエスカレートしていく言動。さらには夫から手が出るようにもなっていったが、絶対に証拠が残らないように手加減しているのがわかった。

私には子供が3人おり、ある程度大きくなるまでは専業主婦だった。子供達が幼い時は日々の育児に追われ、たまに体調を崩すこともあった。熱で苦しむ私に仕事から帰った元夫は「何で俺のメシが無いんだ!」と喚き散らした。また、3人目の子を妊娠中の時、キッチンで言い争いになり私が乗っていたキッチンマットを引っ張り転ばせ腹を蹴られた。その後家から追い出され、北国の2月の極寒の中徒歩で彷徨い数時間後に家に戻ると元夫はいびきをかいて寝ていたということもあった。

家から追い出されることは度々あり、その時に必ず言うセリフがある。
「ここは俺の家だ!俺が稼いだ金だ!車も俺のだ!だからお前は歩いて出てけ!」
「悔しかったら俺と同じだけ稼いでこい!」
「誰に食わせてもらってると思ってんだ!」
古い言葉だが一家の大黒柱というプライドから出てくるものだと思うが、流石に当時の私でもこれはおかしいと思いネットで検索していくうちに「モラハラ」というワードにたどり着いた。
見事に当てはまったのでウチはこれなんだなと自覚し、離婚、別居以外の対処法を調べて実践してみるも全く効果はない。近くに住んでいる義母にも相談してみたが「男は手のひらで転がせ」的なアドバイスばかりでまるで他人事であった。
当時は子供達が幼く自分の両親も離婚し苦労してきたため、離婚という選択肢だけは避けたかった。
また、子供達には優しい父親であり、モラハラ夫特有の外面の良さもあって家でこんな状態だとは誰も信じてくれなかった。
自分の親でさえも見事に騙されていたのでモラハラ夫の擬態は相当巧妙なのである。
しかし、そのような状態が子供達の成長に伴って段々と変化していくのである。

その話はまた次回に続く。


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