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『DVから逃れる』 あるDVサバイバーの記録 #005

#005  全てを捨てる決意

児相、役所の訪問から約半年が過ぎた。
その間、精神的DVや経済的DVはずっと続いていた。それは子供達に対しても一緒だったが、なるべく元夫とは関わらないように生活していた。
警察からの連絡も定期的にあり、その都度対応してきたが、半年を過ぎる頃には連絡も無くなっていった。

そんな時、1番下の子と元夫が言い争いになり再び元夫が子供に暴力を振るったのである。
警察へ連絡するかどうか迷っていると、偶然にも向こうから電話がかかってきた。
元夫が子供に暴力を振るったことを伝えると「今回は2回目なので任意同行を求める」とのこと。
子供の事情聴取とケガの確認をした後、家にいるのは危険なのでホテルへ一時避難を促された。
とりあえず身の回りのものを持ってホテルへ行ったが、本当に不安だった。ホテルから学校や職場へ向かい、子供の学校には警察官が迎えに来た。

一方、元夫は任意同行され、警察署へ連れて行かれた。しかし元夫は自分のしたことを一切認めず、「俺は悪くない」の一点張りだったそうで、警察はかなり状況は悪いと判断したようだ。

そして私は役所に呼ばれ、またもDVシェルターへの避難を促された。
私は子供を転校させたくない、自分も仕事を辞めたくない気持ちでいっぱいだったが、いつまでもホテル暮らしをするわけにもいかず、近くに家を借りるのも危険だということで説得に応じた。
私にとっては本当に苦渋の決断で向こうを拘束してくれたらいいのにと何度も思った。

この説得の翌日には仕事を辞めることを上司に話した。話の途中で悔しくて涙が溢れた。
子供にも転校しなくてはならないことを告げた。
私の前では普段泣くことのない子供が大きな声を上げて泣いた。心が痛くて張り裂けそうだった。
自分の今まで築いてきたものを全て捨てて逃げるということがどれだけキツイことか。
昨今騒がれている共同親権推進派が言う「子供の連れ去り」なんて軽い言葉では済まされない。
どれだけの決意でどれだけの責任を背負って子供を連れて逃げるのか、加害者の元に子供を置いてなんて絶対に行ける訳がない。向かう道が茨の道だったとしても子供を守り抜く、ただ支配を継続させたい加害者達とは明らかに違うのだ。

シェルターに入るまでは少し日にちがあったので役所が用意してくれたお試し移住用の一軒家で過ごした。
DVに関しては理解のある町で職員はとても良くしてくれた。私の退職の手続きも職員が直接上司とやりとりしてくれてスムーズに進んだので感謝している。何もなければずっとあの町の住民でいられたのに…。

そしてシェルターに入る日、警察に同行してもらい一旦家に帰り必要な物を持ち出し、役所の公用車でシェルターへ向かった。この時に私は子供たちのアルバムなど思い出の品を持ち出せなかったことをとても後悔している。
もし、これから逃げることを考えている人は必ず思い出の品を持って逃げることをおすすめする。
私は今だに思い出の品を取り返すことができていない。弁護士を通じて送ってもらうようにお願いしても音沙汰なしだからだ。

シェルターは一見普通のマンションで、こんなところにDVシェルターがあるとは誰も思わないのではないだろうか。
シェルターの職員は皆優しく、しっかりと話を聞いてくれた。
しかし、どこのDVシェルターも同じように自分のスマホを自由に使うことはできない。スマホは職員に預け、その代わりに連絡用のガラケーを渡された。
部屋はワンルームで生活に必要なものは一通り揃っていて、自分で自炊をするスタイルだった。とりあえずプライベートな空間は確保されているので少し安心した。
だが、もちろん自由に外出はできず、外部と連絡を取ることも職員の許可なしにはできないので、言い方は悪いが自分が勾留されているような気持ちだった。

私がシェルターにいたのは1ヶ月足らずであったが、ここから人生が変わってしまう怒涛の日々が待ち受けていた。

次回へ続く



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