『存在』など

この記事は、私が高校国語の課題で書いた文章をまとめたものです。


課題図書は以下の三つでした。

  • 暴こうとする力と現代:「ふしぎ」ということ

  • 私たちは世界の単語である:言葉は世界を切り分ける

  • 存在:こそそめスープ

暴こうとする力と現代

私は、現代はあらゆる神話が暴かれた時代だと思う。生命にまつわる秘密も、河合の言うとおり「自然科学」によって暴かれてしまったのだろう。たとえば、有力な進化生物学の知見では、生物は遺伝子の乗り物だと定められている。また、心理学のとある知見は、生物を突き動かしているのは苦痛を避け快楽を求める欲動であるにすぎないと言う。河合隼雄の以下の言葉は、そんな現代の様相を簡潔に示したものだと言えるだろう。

このような自然科学の方法は、(中略)「ふしぎ」の説明として普遍的な話、つまり物理学の法則を生み出してくる。(中略)これがあまりにすばらしいので、近代人は神話を嫌い、自然科学によって世界を見ることに心を尽くしすぎた。

人々は自分の存在をその根底において肯定してくれる神話をも蔑ろにしてしまった。その結果、人々は「実存的空虚 existential vacuum」に苛まれることになった。実存的空虚とは、オーストリアの精神医学者フランクルが指摘した、多くの現代人が抱える「生きる意味の欠落による空虚感」のことである。この実存的空虚は、まさに「神話を嫌い、自然科学に心を尽くしすぎる」、現代人の心に潜む「神話を暴こうとする力」に起因するのではないだろうか。

私も「せみの鳴き声を「母を呼ぶ声」ととらえる子どもの心」を評価した河合に賛成だ。生きる意味が揺らいでいる現代ではよりいっそう、「ふしぎ」から物語や神話を見出していく心が求められているのではないだろうか。

私たちは世の中の単語である

『言葉は世界を切り分ける』において、今井は、以下のように述べている。

単語の意味は単語単体では決まらず、それぞれの意味領域の中に属する一群の関連する単語どうしの間の関係の中で決まる。

私はこの今井の主張に賛成である。私はさらに、この今井の表現を私たち人間にまで適応して考えてみようと思う。つまり、「個人的な人間存在の意味は個人単体では決まらず、世界との間の関係の中で決まる」。

これに近しいことを言った人物として挙げられるのは、倫理学者の和辻哲郎であろう。彼は私たち人間の存在のありようを「間柄的存在」と表現した。これはつまり、「私たち人間は、いかなるときも単なる個人として存在するのではなく、人と人との間柄において、初めて存在する」ということだ。「人間とは『世の中』であるとともにその世の中における『人』である」。文脈の中においてのみ意味が定まってくる個々の単語と同じく、私たちは間柄においてのみ存在していくのだ。

私たちは世の中の単語である、と表現することもできよう。「オレンジ」という単語の意味するものがその言語によって異なってくるのと同様、個々の人々は、そのときの環境ごとに、自身の役割や意味、価値を変えていく。〔本名〕と〔英字の本名〕の役割は必ずしも同じではない。私は今後様々な場所に身を置くのだろうが、それにあたって、その時に応じて異なってくる自身の役割をしっかりと意識していきたいものだ。

存在

村田沙耶香著『こそそめスープ』には、こんな記述がある。

そんなふうに考えると、今、同じ場所を歩いている隣の人も、その隣の人も、自分の作り上げた異世界で暮らしているんだと思えてくる。同じ場所を歩いていても、脳が違う限り、私たちは違う光景の中にいるのだ。

村田は、世界のこのような様相を肯定的に描いている。「すごく楽しいことに思える」と。私も、確かに、他者の各々の世界と自分の世界は全く異なっていることを肌で感じるし、その世界観には同調できる。また、それぞれの他者が見る世界を知りたいとも思う。

しかし、私は基本的に、「脳の中に異世界を持つ他者」に恐怖を抱いてしまう人間だ。人はこの世界において分かり合える存在であって欲しい。そして、あらゆることが一つになった世界と溶け合いたい。僕にはそんな欲求がある。生きることとはつまり、この「他人の異世界」を尊重しながら、自分の「この世界」をぶつけるという課題であるように思える。しかし私は、これにためらいを抱いてしまう。つくみず著『シメジ シミュレーション』に、このようなセリフがある。

私は今までに会った人たちのことを思い出した。みんな自分自身を自分なりに存在させようとし、それが時に大きく広がり、誰かに狭められ、どうしようもなく存在していた。

私が「他者の異世界」から感じるのは、人はどうしても個々人という在り方でしか存在し得ないのだという断絶である。私は、先に述べた「ためらい」を乗り越えたいとは思う。しかし、いつまでも「溶け合いたい」という欲求に、つい身を委ねてしまうのだった。

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