2024/3/1

 三月。物語が終わって、また新しい物語を始めるまでの猶予がある月。言い換えれば、終わりの余韻を味わいながら、”まだ始めなくて良い”月。始めることに躍起にならず、心地の良い春の日差しと、下旬に舞う薄紅色の花びらを眺める……終わりと始まりが丁度交差する直前くらいは、ゆったりしていて良い……だから僕は三月が好きだ。みんな卒業おめでとう~~~~~~~~~~~~~~^^

 2月28日、Base Ball Bear 新EP「天使だったじゃないか」リリース。まだ語れるほど聴き込んでいないが、原点のギターポップに立ち返った良作という印象。ただ原点に戻ったわけではなく、長い間バンドをやってきた3人がつくるギターポップなわけで、やり直しとか戻るとかそういう意味での原点に立ち返るというわけではないなと。

常に実験的で、流行りのカウンターを常に考えるロックバンド、それがBase Ball Bear。
 2015年にはなかったブラックミュージック的要素をいの一番に取り入れ、僕たちに魅せたアルバム「C2」。だが、そのまま進んでいったら到達できるところに、確実にいない。
 アルバム「C3」で提示した3ピースのベボベの基礎を、今作は遵守して踏んでいるか?と言われると、それもまたニュアンスが違う。踏襲しつつ、なにか違う。
 常に実験、常にカウンター。そんなベボベが2024年の現代に提示するのはギターポップなのだ。
 音楽ジャンルの定義的な部分がかなりあいまいな理解のままだから、ギターポップとパワーポップの定義的違いの見分けが難しい。そのふたつをニアイコールで繋いでしまう節があるが、僕の解釈としては、ギターポップのほうが「何でもできる余白」がある気がしている。世のギターポップと定義される音楽は、時に鍵盤が入っていたり、ギター2本で自由度の高いものを提供している気がする。初期ベボベもそうだなあと感じる節は多い。2本のギターで自由度高く。
 でも現在のベボベが提示したギターポップは、恐らく初期の頃のギターポップとは違って、音数の少なさも相まって、パワーポップのソリッド感がある。3ピースになり、基礎となる「C3」というアルバムをリリースし、そこから徐々にサウンドをそぎ落としている傾向にあり、「ドライブ/SYUUU」は特に「そぎ落としてんなア」と印象付けられる。そんな3人軌跡を経て、今回の「天使だったじゃないか」に繋がっていると思う。洗練のされ方がアジカンの「サーフブンガクカマクラ完全版」や「ホームタウン」のような感じだ。ギターポップと向き合いながら、パワーポップとしての洗練されたサウンドを擁している。これが現在のベボベの実験結果であり、世のカウンターとしての答えなのだ。

 こういうのを提示されると、流行りへの執着とか、音数多くとか、そういうのを目指して無理をしていたんじゃないかと、作曲をやっている身で思う。みんなと同じものを作りたくて音楽を作り始めたのか?と言われると違うし、僕に足りていないものは、心のどこかにあったはずの「カウンター」だったのではないか。流行りに乗れないと怖い、という気持ちが増大していたと思う。派手にギターがカッコよく、シンセや上物が沢山あって、コード進行は奇怪で複雑に、転調したり。そして歌詞は暗く、鬱々と、時にはフルパワーで可愛く、時には抒情的なものを、”わかりやすく共感してもらえるように”つくる…… いやコレやりたかったことじゃねえな、と。自分の素直な音楽が逆張りになるなら、やるに越したことない。逆張っていこう!

 語れるほど聴き込んでないとか言いながらめちゃくちゃ語るじゃん。大好きかよ。

 話題がとても変わります。

 秋山黄色がまたギターを買っていたけれど、今回のギターはマジで予想外だった。ストランドバーグという、メタラー御用達みたいなギター。人間工学に基づいた設計をしているらしくて、物凄く軽くて、体へのフィット感が良く、弾きやすく、個体や制作時のサウンドメイクによるが基本的に重い音が鳴る。昔、メタルが大好きな後輩が自分の貯金すべてをはたいてストランドバーグを買っており、弾かせて貰ったが弾きやすいことこの上ない。良いギターだけど、秋山黄色が弾いているイメージが無さ過ぎる。ちなみに35万程度する。
 アコギも買っていたが、グレッヂというメーカーのギターだ。エレキギターの方も有名だ。使用ギタリストと言えば、a flood of circle佐々木。アコギはあまり試奏したりしないし、どのメーカーがどういう音の特徴があるかは全然語れないのが残念。エレキギターのおとこだおれは。ただ、グレッヂと言えば指板の感覚が狭く、ボディに近いフレットの部分なんて弾かせる気ないだろってくらい狭い。だからむしろアコギの方が向いてそうなネック。どんなサウンドなんだろう。
 今回のストランドバーグは、シンラインという、ギターに穴が空いてる個体なのだけれど、秋山黄色のメインで使っているTokai製のテレキャスターもそうだし、最近買っていた(そうこの間もギター買ってたよね君)ギターもセミアコ(セミアコースティック)と呼ばれるギターで、穴が空いている。
 テレキャスターシンラインに関しては、サウンド的にはハイミッドが強調され、空洞になっているからこその質感がある。一時、同じメーカーの、同じ木材、同じピックアップを使用している、穴が空いているテレキャスターシンラインと空いていない普通のテレキャスターの2つを試奏し続けていたことがある。普通のテレキャスターは地に足ついていて扱いやすさがあるが、シンラインはホロウ感も相まって、もう一方にはないサウンドを有している。僕は今まで10本以上ギターを所有してきたが、そのどれにも穴が空いているギターは無かった。だからこそ「シンラインを勇気持って買えないなあ…」という恐怖を感じた。サウンドメイクの経験値のなさとか、どのくらい自分のやりたい音楽にマッチするかとか、DTMで有用かとか、そういう不安が一気に襲ってきて、「どっちのテレキャスも買いません!(本当はそもそも買うお金がない)」という結論を出したことがある。この音はよさげだけどどう扱うかが怖い!という不安。良さはわかるのだ、でも僕がどうなるかわからん!穴があるギターには、未だにそういう恐怖があります。

 所有ギターの話で言えば、僕の元にはめちゃくちゃギターが集まってくるのだ。大抵は売ったりしたけれど。ストラトキャスターは3本、Japan製を長らく使っていたが、途中でSugiに、現在はAmerican vintageⅡ、テレキャスはJapan製のかなりスタンダードなサウンドをしたモデルや、友人が作ったフロントハムバッカーのものを使用していた。Gibsonレスポールも持っていたし、エクスプローラーも一時期使用していた。基本的にハムバッカーが気に食わない性格であった。現在はジャズマスターを使用している。もうしばらくはギターなんて買わないし手にすることも無くなると思うが、強いて挙げるとすればテレキャスか、レスポールジュニアあたりが良いな。それか、custom shop製のクソ高いストラトキャスター。

 無軌道な雑談で始まる3月のnoteでした。好きなことをどばーっと書くのは楽でいい。にしたっていつもより文量が多いな…


牛丼を食べたいです。