今日の調子は? 2012-08-12
アレクサンダーテクニークの先生のタマゴたちをトレーニーと呼ぶ。
私もトレーニーである。でも最低2年は勉強しないと、先生見習いにはなれないのでまだまだのんきなものである。
まだ5か月、もう5か月なんだけど。。。
先日、一般の人たちが通うグループレッスンを見学に行ったところ、先生はみんなに
「どんな調子?」
と聞いた。
みなさんはきちんと、どこの痛みがとかどこが気になってとか言っていたのだけど、私はなんかほんとうにざっくりと
「快調です」
とつい答えてしまったのよ。
ここでは、言ってはいけないこととか、こう答えるべきとか、正しい答えとかいうのは存在しなくて、自分のためにアレクサンダーテクニークを学びに来ているだけの人ならそれでも全然かまわない、という前置きがされたあと
「でも」
と先生が言った。
「トレーニーだったら、それがどういう状態であるのかをきちんと言葉にし、説明できたほうがいいわね」
なので、ひとまずそのとき自分が思いつく快調の理由として、最近肩こりを感じてストレッチをする、といったことがほとんどないこと、通勤電車から降りて、ホームを歩くときにホントに気持ちよく歩けることとかを述べたのね。
確かに、最近通勤電車が苦にならなくなって、座れなくても疲れずに立っていられるし、座れればまたかなり疲れや眠気を回復できる、という、この気持ちよさはいったいどうしたことなんだろうと思っていたのだけれど、ふむ、これをきちんと説明してみたらどーいうことになるの?と、翌々日の遅い朝ごはんを食べながら考えてみたのであります。
5月頃から、合宿でやった瞑想が興味深かったので続けおりまして、瞑想を本来どうやるべきかっていうのは知らないので、自分流にひとまず座禅を組んで、身体のかたむきやねじれや痛みなんかを探ってみたり、微妙に動かしてみたり、というのをやってみてたりしたのです。
で、そんなことをやっているうちに、心臓の鼓動で身体が揺れるというのがわかって、これにまかせて揺れていると凄く気持ちがいいことを発見。
またこの揺れが伝わって肩甲骨やあちこちの関節が動くのを感じると、今までほぐせないし手は届かないし、とおもってた肩甲骨の裏だって緩んで揺れて、マッサージすることができるんだと思ったりして。
はたまた肋骨だって脊椎との接点でも揺れていると思うと、体中活性化されるかんじ。
座禅なんて「静止」することというイメージがあったんだけど、人間はただじっとしていても、動いてしまうんだ、そしていくら止めようとしてもそれは止められない。止めるには心臓を止めるしかない!!!
人間の動きのすべてはこの動きの上に足し算されていくんだなぁ。
最近電車の中で座っている状態でもその自分の揺れを感じたりするので、たぶんそうやって、止まっているときでも、動いてることを忘れないようになったから、次の動きのためのセットアップとなって、「ホームを歩く」という動作にすんなり移れているのではないだろうか。。。
ふむ。てなところで復習は終わり。今日のところはこんなとこでOKにしておこう。
たまに、自分でも「今日はどんな調子?」と聞いてみることにしようかね
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