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巫女のバイトをした話


小さな頃から、かわいい制服を着て働く事が私の夢の一つだった。
泥まみれのツナギに身を包み、土をこねくり回している間に花の女子高生時代を終えてしまったものだから、アルバイト自体にも人一倍強い憧れを抱いていた。

高校卒業後の私は近所のスーパーの中の小さなパン屋でバイトを始めた。あれだけ期待していた制服はというと、ジャムおじさんよりはギリまし程度の別に可愛くもなんともないありふれたコック服だったので、テンションが全く上がらずつまらない思いをしていた。

18歳の冬。そんな私に、高校の同級生から

「年末年始、神社で巫女のバイトせん?」

と願っても無い話が舞い込んだ。
彼女は小さな頃から馴染みの神社でお手伝いをしており、今年は特に巫女の手が足りないと言う。そこでいつも金がないとプゥプゥ文句を垂れている私に白羽の矢が立ったと言うわけだ。
スーパーは年末年始も休まず営業しているのでパン屋で働く私もそれなりにシフトが組み込まれていたが、神社で多くの手が必要だという31日の夜から1日の昼までは運良く休みだった。夜はまたパン屋に戻らねばならず体力的にしんどそうではあったが、これも何かの縁だろう。私は友人に2つ返事で了承した。
巫女の知識は犬夜叉くらいしかないが、あの神秘的な衣装に袖を通せるのだと思うとワクワクした。


大晦日の夜。「とにかく温かい装備を持って来い」という友人の言葉に若干ビビりながら、私は厚手のタイツと裏起毛つきの芋ジャー、ヒートテックと大量のカイロを鞄につめこんで家を出た。1時間ほどバスに揺られ、冷たい参道をじゃりじゃり歩いて神社を目指す。
一面に漂う、雪で濡れた草木が澄んだ空気の中に混ざる独特な香りは、寒さが苦手な私の唯一の冬の楽しみだった。

「よっ」

長い参道と立派な境内を抜けて社務所を訪ねると、友達はもう支度を済ませていた。彼女はここで毎年、年の瀬に巫女として舞を踊っているのだ。巫女装束と千早を纏い、シャラシャラと揺れる金色の髪飾りをつけた神秘的な友達は、神様の子みたいに綺麗だった。

「めっちゃキレイ〜!」

「ありがと。早よ着替えな、これから忙しくなるよ」

感動する私をよそにさっさと社務所の中を案内する友人。小さな和室に通された私は持ってきた防寒具を身につけた。鏡に映る自分は情けないくらいダサいが、友人の手によってあれよあれよという間に巫女装束を着付けられていった。

「めっちゃ巫女やん」

思わず馬鹿みたいな感想がこぼれ落ちるほどに、そこにはめっちゃ巫女な自分が居た。まさに馬子にも衣装。普段のじゃじゃ馬を乗り回すお調子者の私の面影は消え失せ、そこそこにちゃんとした人に見えるのだから巫女装束の持つ清きオーラは恐ろしいものである。

巫女装束を着た私は宮司さんと、禰宜さんという役職の奥様にご挨拶をした。お二人ともとても優しく、不慣れな私を何かと気遣ってくれてありがたかった。
私に任された仕事はおまもりやお札、熊手や破魔矢といった縁起物の授与だった。パン屋のバイトで接客には慣れている。それぞれ受け渡しの仕方や計算方法などを一通り聞いた後、はっとした友人が眉を顰めて言った。

「これが一番大事なことなんやけど」

「え、何?」

「神社は普通のお店と違うけね、参拝に来られた方は参拝者でありお客様じゃないんよ。やけ、『いらっしゃいませ』とか『ありがとうございました』は言ったらいけんよ。『あけましておめでとうございます』『◯◯円お納めください』『またお参りくださいませ』って風に言い換えるの。わかった?」

危ない危ない。いつもの癖で、どでかい声で渾身のいらっしゃいませをかましてしまう所であった。私はこの手の、絶対にしてはだめと口酸っぱく言われた“うっかり”をよくやらかす。たとえうっかりでも神社の信用問題に関わる。それから何度も言葉遣いの練習をしている間に、いよいよ年越しの瞬間が近づいてきた。
授与所の大きなガラス戸が全開になる。開け放たれた戸から真冬の冷気が吹き込み、私たちの体温を一瞬のうちに奪った。

「さぶいいいい」

凍える暇もないまま、年越しを迎えた境内は参拝者で溢れかえり、授与所には次々と人が押し寄せお守りやお札を求めた。
四方八方から老若男女の手がニューと伸び、私の方に突き出される。それぞれの手から授与品を受け取り、数を数えながら慌てて電卓を叩く。小銭はドライアイスのように冷え切り、かじかんだ指先ではなかなか摘めない。手間取ってどんなに時間がかかっても、参拝客は誰も私を怒らず微笑んでいる。これが神社という神聖な場所で守られた巫女の力なのか。普段はパン屋でチョコレートのかかったドーナツにラップをかけ忘れただけでツバを飛ばしながら発狂するジイさんたちを相手にしている私は、久しぶりに人の温かさに触れた。

「あけましておめでとうございます、2800円お納めください。200円のお返しです、またお参りくださいませ」

練習の甲斐もあって文言をトチることもなく、数をこなすうちに仕事にも慣れどんどんスムーズに対応できるようになった。
深夜3時にもなると、先程の賑わいが嘘のように境内には人影が見えなくなった。目が回るように忙しい大晦日の神社内を奔走していた禰宜さんが、一仕事終えた私たちの元へ駆けつけ、夜食を差し出しながら言った。

「お疲れ様でした!これ食べて、朝まで社務所で仮眠していってね。次はいつ来てくれるんだっけ?」

「私は朝から夕方までお手伝いできます。夜は別のバイト先でシフトが入っているので、また明日来ますね」

「あらあら大変ね。忙しいのにお手伝いしてくれて助かるわ、無理しないでね」

夜食を受け取り、社務所で巫女服を脱いだ後コタツの中で冷えた体を温めながらいただく。ハンガーに掛かっている先程まで自分が着ていた巫女服を眺めながら「こりゃ寒さと忙しさを笑顔で乗り切るための戦闘服だな」とぼんやり思った。


仮眠から目覚め、初日の出に祝福された後はまた戦闘服に着替え授与所に戻る。元旦の朝は大晦日の夜の何倍もの人がお参りに来ていたが、仕事は昨夜の数時間のうちにすっかり慣れてしまったのでさほどお待たせすることもなく対応できた。寒さだけは慣れないが、かじかんだ手は袴の隙間に差し入れて腹に貼ったカイロで温めるという荒業を生み出してから乗り切った。巫女服は実に便利な作りをしている。

朝と昼の仕事を終え、禰宜さんが準備してくれたというお昼ごはんをいただく。お腹をすかした私たちを待っていた、見たこともないような大きなお鍋。「お雑煮か豚汁かな?」と胸を躍らせながら蓋を開けると、そこにはザ・バーモンドな例のブツがなみなみ入っており笑ってしまった。ほかほかのご飯に好きなだけかけ、元旦に神社でカレーを食べるという非日常と共に味わった。


夕方の仕事がひと段落ついた私は宮司さんと禰宜さん、そして友人に「明日また来ます」と挨拶をして神社を出た。半日だったがとても濃くて楽しい時間だった。
またバスにどんぶら揺られて家に帰る。シャワーを浴びたらすぐにパン屋にバタコをしに行かねばならない。ハードスケジュールを組んでしまった事を若干後悔する。

バタコよろしくバタバタ走ってバイト先に向かい、コック服に着替えて店に立つ。1月1日の夜のスーパーは人はまばらに居るものの、皆とてもじゃないがパンの気分にはならないのだろう。驚くほど客が来ず、暇な私は延々と売れ残りの食パンを戯れにスライスしていた。
そろそろ売れ残りをセール品にするか、という所でようやく1人のジイさんがトレイとトングを手にした。私の新年初のパン屋の客である。縁起がいいね、あんたは今年いい事あるよと思いながらレジに立つ。


「あけましておめでとうございます」

「ハァ………?ハァ、おめでとうございます」

なんとも挙動のおかしなジイさん。警戒しつつもトレイとトングを受取りレジを打つ。

「カレーパンが1点、メロンパンが1点、ドーナツが2点ですね、520円お納めください」

「ハァ?……あ、ハァ…はい」

やたらハァハァ言うジイさんを不気味に思いつつも、ここで幾多の変なジイさんを相手にしてきた私はもう慣れっこである。ほんとによくおるな〜と思いながら1000円を受け取りおつりを返す。

「480円のお返しですね、またお参りください」


ぺこっと頭を下げ、冷えた手を袴の中に突っ込もうとした瞬間、行き場を無くした私の両手が空を掻いた。その途端、ハァハァジイさんのハァ?の意味にようやく気がつき背筋が凍りつく。

慌ててさっきのジイさんを目で追うと、パンの入った袋をせかせか動かしながら足早に店を去っていた。不気味だったのはジイさんではなく、神社でしか使わん耳馴染みのない言葉遣いで接客する私の方だったのだ。
それから閉店するまでの4時間、元通りの接客用語に矯正する為に脳内のレポートを書き換える作業に相当な労力を費やした。


次の日の朝。神社に戻りリセットされた私の馬鹿でかい「いらっしゃいませ」の声が境内に響いたのは、もはや言うまでも無い話だろう。

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