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【置かあば】が出来るまで①〜出会い〜



2022年10月26日、私のメールボックスに1通のメールが届いた。

件名は「弊社でのエッセイご執筆につきましてご提案」

メールには私のエッセイを読んだ感想と、これらのエッセイを書籍化しないかという内容がかなりの文量でしたためられていた。メールの末には差し出し人である編集者の名前と、私でも知っている大手出版社名が添えられている。

全て読んだ私は思った。

『私のところにもついに来た、か』と。

当時の私はこの丁寧なメールが、目先に甘い蜜をチラつかせて個人情報と金銭をスッパ抜くタイプの詐欺だと信じて疑わなかった。それくらいに“書籍化”なんて話は、自分から縁遠いどこか異国の御伽話のようにしか思えなかったのだ。


・・・


自分はゾウリムシ並みの単細胞な人間であるという自覚はあるが、根本的には疑い深い人間である。あまりに単純すぎると悪い人間にボロ雑巾のように扱われるハメになり生きていけないので、生存本能がそうさせているのだと思う。
だからこの手の甘い誘いも、疑いが確信に変わるまでの間は、あえて信用している素振りを見せている。最初から守りの姿勢を貫くと、相手の言葉の裏に隠れている真意に触れるまでに時間がかかるからだ。だからこそフムフムと興味深そうに話を聞きつつも、常に疑念の刃を研いで懐にしまい、引っかかる所があればすぐに取り出せるようにしている。特に涎が出るようなうまい話の時は要注意だ。

「儲けられる話がある」「一緒に夢を叶えたい」

日頃の自堕落な振る舞いの賜物と言って良いだろうか。成人してから5回ほど、上記のような甘い言葉をシャワーのように浴びさせられながらマルチ商法や自己啓発セミナーといった不審なビジネスに誘われる機会があったが、全て丁重にお断りしてきた経歴を持っている。30年という月日をかけて胡散臭さへの嗅覚を磨いたゾウリムシには『絶対に騙されないぞ』という自信があった。

色々と妄想は膨らんだが、とりあえず話を聞いてみることにした。書籍化という話題の中で、私に金や個人情報を差し出すよう促してくればその時点でダウトである。メールには「今すぐ返事はできないが、一度話す機会をいただきたい」という旨の内容を書いて送信ボタンを押した。
すぐに前向きな返事が届き、何通かメールのやり取りをした結果zoomにて話を聞くことになった。

「詐欺かもしれないから騙されないようにする!」

そうオットに宣言して、編集者と名乗る大谷奈央さんと初めての顔合わせをしたのだった。

「はじめまして、朝日新聞出版の大谷と申します」

画面に映っていたのは金髪ショートヘアの可愛らしい女性だった。年齢もかなり若い。口調は落ち着いていて大人っぽいが、私より年下であるのは確実だろう。私が想像していた編集者像とはどうしてもイコールで繋がらないので、『ほらやっぱり新手の詐欺では…』という嫌な予感がゾウリムシの懐に沸々と沸いた。

「すみませんこんなチャラい見た目で…!」

私の疑念を感じ取ってかどうか分からないが、先手を打ってテヘヘと自分の髪を撫でる大谷さん。金髪のショートヘアは小顔の彼女にとてもよく似合っており、私には中田ヤスタカがプロデュースしているアーティストの1人のように見えた。
私の“編集者”という職種に対する認識は、今まで読んできた漫画の知識だけで作り上げられている。編集者といえば忖度のない物言いと態度でなんとなく怖いイメージがあったが、目の前の画面に映るこの温和な女性は、やっぱりその型にハマらない。疑念が疑念を生み、自分は一体何を疑っているのかよく分からなくなっていた。

自己紹介を交わし、世間話をした後本題に入る。私は自分のエッセイが本になるなんて考えたこともないし、このお話も現実味がないと正直に話した。大谷さんは首を縦に動かしながら相槌を打ち、一通り私の話を聞いた後で、私のエッセイのどこが良いのかを熱っぽく語ってくださった。

「Twitterで話題になっているエッセイはどれも同じ人が書いていることに気がついて、お名前をメモしました。以来ずっと拝見しています。潮井さんのエッセイには人の心を惹きつける力があると思います」

まさに褒め言葉のシャワー。いやその勢いはシャワーどころの話ではない。【ショーシャンクの空に】の名シーンのように降り注ぐ褒め言葉の雨に、私は心の中でアンディさながら両手を広げ天を仰いだ。

しかし。ここまでの事は今までのマルチの勧誘でもよくあった。優しい言葉に甘い蜜。それらをたっぷりと飲まされて気分がほろ酔いになったところでしめしめとばかりに本題に入るのだ。騙されてはいけないぞ、と緩んだ心を引き締める。

大谷さんがあまりにも私のエッセイの細かい所まで褒めて下さるので、「よくそんな所まで読まれていますね」と言うと、

「こんなこと言うと気持ち悪いとおもわれてしまうかもしれないんですけど…潮井さんが今まで書かれたnoteを全て印刷したものがここにあるんです」

と、見たこともないくらい大きなクリップに挟まれた分厚い2冊の紙の束を、画面越しに掲げて見せてきた。

この瞬間、懐にしまっていた疑念の刃がカツンと地面に落ちる音が聞こえた。

『詐欺じゃない、本当に書籍化の話が来たんだ…』

大谷さんが重たそうに掲げるくたびれた紙の束を眺めながら、初めてそう思ったのだった。


──その②に続く

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