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【置かあば】ができるまで⑤〜校了、そしてあとがき〜



装丁の作業を進めていただいている間、私は原稿を仕上げる最後の作業に取り掛かっていた。

大谷さんと校正さんからの指摘が入った原稿が束になって自宅に届く。ズシっと重い原稿は、初めて大谷さんとzoomで顔合わせした時に見た、あのバカでかクリップで留められている。脇田さんが作ってくださったテンプレートにはめ込まれた原稿は、未完成ながらもそれらしい形になっていて、まるで本の赤ちゃんのようだ。脇田さんが私の文体に合わせて選んで下さったフォントや文字間のおかげで堅苦しくもなく、言葉がちょうど良い温度を持ったように感じられてうれしい。

分厚い原稿をめくると、校正さんの指摘が鉛筆で、大谷さんからの指摘が青ペンで記されていた。
ザッと一通り目を通す。あくまで日本語の適切な表現や話の整合性を図る為に指摘をされる校正さんと、「これは潮井さんの良さなので…」と弁明される大谷さんのやり取りが紙の上で繰り広げられている。音の気持ちよさだけで愛用しているオノマトペやむちゃくちゃな比喩表現に対して、真剣に考えてくださっているお二人。ありがたくも申し訳ない。

校正さんの指摘には舌を巻くどころか、両膝をついて「仰る通りでございます〜」と額を地面に擦り付けたくなるほど的を得ていて驚かされるものばかりだった。例えば、私が

「諭吉を叩きつけてでも手に入れたい」

という表現をしていた所に対して、校正さんから

「来年新札になりますがOK?」

と指摘が入る。
『今後紙幣が変わることで、諭吉という表現が一般的に万札を指す言葉として伝わり辛くなるかもしれないけれど大丈夫ですか?』という意味だ。これを見た時は思わずヒェ〜と感嘆の声が漏れた。なんという幅広い知識と鋭い視点。『校正さんじゃなきゃ見逃してたね』とと命拾いした箇所は枚挙に暇がない。

大谷さんからの指摘は主に文章の表現についてだった。

「〜〜〜といった表現に変えた方が読者がイメージしやすいかも?」
「この言葉を効果的に使う為に、前後を入れ替える?」

どれもなるほどと膝を打つ指摘ばかりである。しかし割と大きな改変を提案して下さった後にはいつも

「この通りに直さなくても大丈夫です、潮井さんなりの表現にしてください」

という旨の一文が添えられていた。表現を直すにしても、どのように変えるかを私に委ねてくれる大谷さんの気持ちがうれしかった。大谷さんが期待する以上のものを返す、というのが初校再校に向き合う中での私の目標となった。

お二人の助言により、産まれたてホニャホニャの赤ちゃんだった原稿が、返ってくるたびにキリリとした面構えになっていくのがわかった。最初は自分の原稿に人の意見が入るという状況が初めて故に不安でたまらなかったが、こんなにも心強いとは思わなかった。

過去に執筆したエッセイの中でこんな一文をしたためていたのを思い出す。

“未熟すぎる自分を誰よりも分かっているからこそ、もしも私の文章に人様の手が入ったらどうなるんだろうと思いを馳せてしまう。
読者の皆様という名のスペシャルなお客様に、いつもお召し上がりいただいている鮮度だけが自慢の素材を『手掴みでそのまま』ではなく、三日三晩丁寧にアクを取りながら煮込んだ『シェフ渾身の一皿』としてサーブできるなら、私もその日が来るのは楽しみなのである。”

この時の私に「夢が叶ったよ」と言ってやりたい。

再校の修正を終えたのは締切日の16時半だった。郵便局の営業時間は17時。まだ手汗の湿り気が残る原稿を封筒に入れた後、ダッシュで郵便局に持って行き、間一髪で速達の手続きを済ませた。郵便局員さんの手に渡っていく原稿を見送りながら、この半年のうちに起こった出来事が走馬灯のように脳裏をめぐり、パチンと消えてなくなった。


こうして全ての作業を終え、置かあばは誕生した。

形となった本の表紙を撫でると、本当にたくさんの方々の力をお借りしながら産まれた本なのだという実感がひしひしと湧く。
ありがたいご縁が重なってこうしてエッセイ本の出版という身に余る機会をいただいたが、私自身は特別な人間でもなんでもない。面倒くさがりだし怠け者だし、何となくnoteでエッセイの執筆を初めて、続けているうちに気がついたら今に至っている。今まで文章を書いたこともなければ興味すらなかった人間にとって、信じられないような巡り合わせである。本当にご縁としか言いようがない。

そんな人間がエッセイの執筆を通して感じた素直な気持ちは、あとがきの最後の一文に込めている。

【置かれた場所であばれたい】
本日発売となりました。
お手にとっていただけたらうれしいです。



いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます