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【置かあば】ができるまで②〜企画会議〜



書籍化という話がいよいよ詐欺ではないと知り、今までの野生動物のような警戒心はどこへやら。自分の妄想とのギャップに腰が抜けそうなくらいヘロヘロになってしまった。

私には文章に関しての自信が一切ない。エッセイを書き始めてから今に至るまでずっとそうだ。衝動性に身を任せ、その時のノリとバイブスに突き動かされるまま、気持ちを文字という暴走機関車に乗せて走らせている。正解も不正確も正しい日本語も分かっていないが、私がおもしろいと思った出来事を読んでくださった方にもおもしろいと思ってもらえればそれだけで満足だった。

そんな私の文章をプロの編集者さんが認めてくれたというだけで充分すぎる冥土の土産ができた。だからこそ果たして本にするなんて欲を出していいものか、という悩みが募る。

大谷さんからは事前に、書籍化の話はまだ会社の会議を通っていないこと。私の許可が下りればすぐに企画書を書き、会社の会議にかけることを丁寧説明されていた。(メールでやりとりしていた時は疑っていたので読み流していた)

「私は編集者としてまだまだ駆け出しなので、作家活動をされていない一般の方に書籍化のお声がけをしたのは潮井さんが初めてなんです」

大谷さんがふと漏らしたその言葉を私は聞き逃さなかった。これから始まる彼女の編集者としてのキャリアの一歩が、実績も知名度もない一般人である私で始まるかもしれないなんて。
彼女の未来を思うと、失礼は承知でこう言わざるを得なかった。

「大谷さんにとって大事な節目ですし、私よりももっと有名で実力のある方にお願いした方がいいんではないでしょうか…」

せっかくこうしてお声がけいただいているのに気持ちを無碍にするようなことを言ってしまった申し訳なさから、彼女の目を見るのが怖くて思わず視線を下に落とした。それからおずおずと画面の中の大谷さんの方に向き直ると、彼女はきっぱりとした口調で言った。

「いえ、潮井さんのエッセイはおもしろいです。もしも企画会議に通らなかったら、その時は私の編集者としての力不足が原因で、潮井さんのエッセイに魅力がないからではないです」


こんなに私のエッセイを良いと言ってくれる人がいるんだ、と思うだけで大谷さんのいる東京に向かって両手を合わせて頭を下げずにはいられないくらいうれしかった。まだ本当に本になると確定した訳でもないのだから、大谷さんのことを信じて任せてみよう。いや、大谷さんだからお願いしようと、この時に腹が決まった。

私は「よろしくお願いします」と返事をして、その日のzoom会議を終えた。

それからというもの、大谷さんからは企画会議に向けての進歩がメールで送られてくるようになった。当初の予定よりも後ろに倒れてしまっていた企画会議の日時がようやく確定したとのメールが届いた時、文末には

「全力で戦ってまいります…!」

との一文があり、私はこの企画会議というものが編集さんにとって“戦い“に当たるのだと知った。

出版社にとって本の出版は慈善事業ではなくビジネス。そんな中大枚をはたいて無名の一般人のエッセイを本にするなんて、とんでもなくリスキーなギャンブルである。あらゆる側面を考慮してシビアな判断が下るのは間違いないが、その鋭い目線が飛び交うラストダンジョンに、大谷さんは私の書いたエッセイという木の棒を片手に挑むのだ。戦い、という言葉は言い得て妙である。

東京に向かって火が出るくらい両手を擦り合わせること1週間。仕事の休憩中に一眠りするかとスマホを置いた瞬間にメールの通知が届き、私は置いたばかりのスマホの画面を見た。件名は

【企画会議のご報告(通過いたしました!)】

ポヤポヤしていた頭から眠気が吹き飛び、慌ててメールを読む。本文には件名通り、書籍の企画会議を通過したことが興奮気味に綴られていた。

木の棒という頼りない装備にも関わらず、実力でラスボスを撃破した大谷さん。私は彼女から始まった書籍化という物語の大役を担うことが決まった。

書籍化が正式に決まってからすぐの2022年12月30日。年末のお忙しい中、大谷さんは私の地元まで足を運んでくださった。zoomで顔合わせをしているとは言え初対面である。心臓が口から飛び出そうなくらい緊張していた私を、彼女のほにゃほにゃとした笑顔がほぐしてくれて、気がついた時にはくだらない話ばかりしていた。

別れ際、大谷さんは私に言った。

「最後まで伴走させていただきます」

2023年2月。
大谷さんが考えてきてくれた構成案を見ながら、どの話を本に入れるか話し合った。大谷さんが私のnoteから本に入れたいと思っているエッセイは、私にとっては意外なものも多く、思わず「へぇ〜!」と唸ってしまった。大谷さんが考えてくれた構成案をながめながら、私はいつか自分のエッセイに対してプロから意見をいただく機会があればいいなと願っていたことを思い出していた。それが今こうして叶っているのは、まさに夢のような出来事だった。

私のエッセイは軽い話と重い話の落差が激しいので、1冊の本として構成するにあたりそのバランスや順番にはかなり配慮が必要になるだろうと感じていた。構成案を見終わった私がその旨を大谷さんに伝えると、私の思いに寄り添いすぐに代替案を出してくださった。同じゴールを目指して意見を擦り合わせていくことができる人でよかった、と安心した。

大谷さんが口にしていた「伴走」という言葉。私の前で手を引っ張る訳でもなく、後ろから尻を叩く訳でもなく、隣で走ってくれると言うのだ。文章のことも本が作られていく過程も何もかも分からず不安でたまらなかったが、大谷さんの言葉を思い出す度に、これから先のどんな道も、肩を組んで走っていける気がした。

本の大まかな構成が決まったが、大谷さんのお仕事の都合上、私の本の作業は2023年の夏以降本格的に取り掛かるということだった。それまでの間、私はエッセイの加筆修正をしたり書き下ろしの案を出したりといった作業を進めておくことになった。大谷さんが立てたスケジュールには、私が執筆に充てる時間がたっぷりと取られている。もうすぐ30歳を迎えるのだ。いい加減尻を叩かれないと前に進めない性分を卒業し、締め切り前に原稿を出して褒め言葉のひとつでもいただきたいところである。

余裕のあるスケジュール表を手に「これなら大丈夫!頑張るぞ!」と鼻息を荒くしていたこの時の私は、その後締め切りに追われる日々を送ることになるとは想像すらしていなかったのだった。


──その③に続く

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