月を飲んだ人

 透明なグラスにお湯を注ぎ、少しの時をゆったりと過ごす。程よくぬるま湯になったところでそのグラスを持ちダイニングから自室へと足を向ける。
 電気も付けずに月明かりだけで階段をのぼり、鼻を凍らさんとする澄んだ空気を吸い込みながら、ふと、下を見る。手に持つグラスの中に反射する小さな月の光を見つけた。少しの間、そのままに。グラスの中のぬるま湯に月を染み込ませ、満足した私は止めていた足を動かし、自室へと入った。
 ぱたん、と音を立て閉めた扉からの一寸先は闇。自らの呼吸以外に音はせず、しん、とした部屋にふぅと小さな音のみが鼓膜を揺らす。
 すぐに電気は付けず今では珍しき静寂を堪能し、私はグラスにあるぬるま湯を思い切り飲みほした。月が染み込んだ湯だ。月を飲んだ私は太陽の光を反射し部屋を明るく照らすのだ!と壁にあるスイッチを押した。
 ぱっと泡が弾けるみたいに広がる人工的な光は、先程まで痛いほど感じていた静寂を払い、日常を呼び戻す。
 私は、自室の中央で立ち尽くし、「ははっ。」と短い笑い声を零して、グラスにぬるま湯の代わりとなるお茶をついだ。

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