誰かの救いになれた話

「あの時の父親です。今日はお礼をしに、初めてここへ来ました」
その人はそう言って私に深く頭を下げた。
私の名前と前に働いていたお店を頼りに私を探し出してくれたようだった。
最初はびっくりした私も、話を重ねるうちに気恥しさとほっこりした気持ちに包まれていた。

水商売歴の長い私は、フリーランスとして仕事する今でも時々、スナックに出勤している。
基本的には指名のお客様が来る時だけのいわゆる「メンバー出勤」という形をとっているのだが、あまりに出勤キャストが揃わない時には人数合わせで出勤することもある。

昨日は後者での出勤で、キッチンで雑用やレジ・伝票の管理(リスト)をしながら合間に読書したりして過ごしていた。
場末のスナック、しかも平日中日ということで23時台まで出勤キャストは私を含め4人に対し、お客様は1組だけ。
途中からお客様と飲んでいたキャストが、急遽同伴出勤をしてきて2組になったが余っているキャストがいる程度には暇だった。
私は漠然と「日付が変わる頃には使命が固まっている子を残して上がりかな」なんて思いながらKindleで本を読んでいると、煙草のお使いを頼まれた。

エレベーターを呼び出そうとボタンに手を伸ばすとちょうどエレベーターが今いる5階に止まった。
見知らぬ男性が1人で乗っていて、降りるなり目の前の私に「Fというお店に行きたい」と尋ねる。
私の出勤しているお店だ。
「お目当ての女の子はいらっしゃいますか?」
「いや、この店は初めてなんだ」
スナックというお店の性質なのか、最初からこの店を目指してくる人は9割が指名の子に会いに来る。
この日はお客様の1人がオーナーの知り合いなのもあって、ビル下には誰も立っておらず、新規の入客は見込めない日だった。
珍しいこともあるもんだと、店内に案内して手が空いてる子に後を任せて私はおつかいに出ることにした。

おつかいを終えて店に戻ると、先程案内した新規の男性の席に呼ばれた。
「この子からあなたがKというお店に長くいたと聞きました。Kというお店で働いていたシオンという女性を探しているんです。この店に移籍したと聞いたのですが...」
「シオンは私です、Kの時から源氏名を変えておりません。もしかして、前のお店でお会いしたことがありましたか?」
「あなたがそうでしたか!いえ、お会いしたのはお店じゃないので覚えていなくても無理はありません。でも私は大きな恩があなたにあるのです」
そうして、冒頭に繋がるのである。

その男性は2年ほど前に私が助けた女の子の父親だった。
2年ほど前の大雪の日、私は体験入店に来た家出少女を家に連れて帰って保護した。
両親と大喧嘩の末にスマホを壊されて家を飛び出し、勢いのまま無一文で体験入店に来たのだ。
無謀にもそのまましばらく満喫で暮らしつつ、水商売でお金を貯めてそのまま実家には帰らないつもりでいたらしい。最近の若い子の行動力というか勢いはすごい。
とりあえず、今夜はうちに泊まって今後のことは考えようかと風呂に入れて寝床を貸した。
朝になってその子は父親の電話番号のメモを取り出し、「父親には一応連絡したい」と言う」のでスマホを貸して連絡をさせるとすぐに両親揃って大雪の中迎えに来た。
ご丁寧に菓子折りをもって玄関先で深く深く頭を下げた。
親子の喧嘩の原因は、娘が水商売をやりたいというのを両親が頑なに否定したことだったらしい。
「正直この子がここまでの行動を起こすとは思っていませんでした。心配ではありますが、あなたになら娘を預けられると感じましたし、ここまでの行動を起こすほどの熱量なら尊重してやりたい。あなたのお店に娘を預けてもいいでしょうか」
「これもなにかの縁ですし、出来る限りお嬢さんのサポートをさせていただきます」
そうして彼女は私の管理する店でキャストとして水商売を始めることになったのだ。結果として彼女は半年ほどで店をやめてしまったが、辞めてからも定期的に連絡や相談がくる程度には慕われていたと思う。

そんな彼女の父親はFに来る前にKに寄って、私の現在の動向を聞き込みしていたらしい。
Kで私が今Fにいることを聞いて、私が今日出勤しているかもわからないまま店に来てくれたらしい。
2年前の話と、お礼が出来ていなかったことが心残りだったと訪ねてくれたことに私は驚いた。
だって私は女の子をたった一晩家に泊めただけで大したことはしていないのである。
しかもわりと面白半分でだ。
この子を助けてあげたいとか、感謝されたいとかではないし、救世主になったつもりもない。
なんかかわいそうだし、今時こんなアグレッシブな子も珍しいよな~くらいの軽い気持ちだった。
それなのにまるで私が救世主かのように小一時間ほどひたすら感謝を繰り返されることに困惑すらした。

父親は3時間ほど滞在して、この2年の間の話と娘の近況を話して少しカラオケをして酔っ払って帰っていった。
今年の8月に、立川のキャバクラで今働いているが他のキャストからの嫌がらせに耐えられないから移籍するか迷っていると言った相談を受けたが、結局今はスーパーでバイトをしているらしい。
父親も母親も水商売の経験者だったからこそ、要領が悪く人付き合いの苦手な娘が水商売をやりたがるのを猛反対していたのだとか。

確かに彼女は好き嫌いがはっきり分かれるタイプの女の子だった。
世間知らずで要領は悪いが、とにかく一生懸命でよく頑張りが空回りするような子だった。
故に、おじいちゃんやオタク気質のお客には育てがいのある子と可愛がられ指名本数も売上もそれなりにあった。
孫や推してる地下アイドルに投資する感覚なんだと思う。
指名客は少なかったが、皆頻繁にそれなりの額を使っていく。
顧客管理を徹底させて、頻繁にノートを広げながら彼女の営業方針を2人で話し合っていたからか彼女の売上はおもしろいように伸びた。
一方で世間知らずが故に人の神経を無意識に逆撫でてしまうことも多々あったし、そのくせ指名本数も売上もお店で3番目くらいだったことで妬ましく思っているキャストもいないわけではなかった。
きっと移籍した店でも同じ感じだったのだろう。

「あの子は人に甘えるのは上手だけど、水商売はそれだけじゃダメだ。顧客管理ノートをつけてる姿を見て成長を感じたし、もしかしたらとも思ったけどやっぱり娘には才能がなかったんだろう」
父親は遠くを見ながら煙草の煙をゆっくり吐いた。

酔うと同じ話をし続けるタイプなのか、よほど私に恩義を感じてくれているのか
「あの時あなたが助けてくれなかったら娘はどうなっていたかわからない」
「あなたが親身に娘と接してくれたおかげで娘は見違えた」
「娘は今でもあなたに憧れている」
「シオンさんのようになりなさいと娘には何度も言っている、娘があなたと出会えて本当に良かった」
何度も何度もそう告げられて気恥しい気持ちで3時間ほどの時間を過ごした。

私自身は決してよく出来た人間ではないし、むしろどこにでもいる惰性で場末のスナックで働いているような女だ。
彼女を家に連れ帰ったのだってただの気まぐれである。
そんな私でも、誰かにいい影響を与えて、人生を好転させることが出来たらしい。
あの日のことは私もよく覚えているが、どうやらちょっとした人生の転機になったようだ。

2年越しに父親がわざわざ私を探してお礼を言いに来てくれた事実に少しの自信が湧いた。
こんな私でも誰かに影響を与えることは出来るし、憧れになれるのだ。
今までは誰かに憧れて、尊敬する人たちのように強く美しい人になりたくて出来うる研鑽を重ねていたつもりだった。
小さくともそれが実を結んだと実感できたのの出来事は今後も私の心を温めてくれる気がする。

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