ヤクルト松本健吾、「新人投手初登板初勝利」を懸けて先発デビュー

東京ヤクルトスワローズの2023年ドラフト2位指名入団の投手・松本健吾(東海大菅生高→亜細亜大学→トヨタ自動車)が5月15日、松山・坊っちゃんスタジアムで行われる対広島カープ戦にプロ初先発登板する。

松本健吾がプロ初登板で勝利投手になれば、東京ヤクルトスワローズ(前身を含む)ではチーム史上14人目となるという。

スワローズの新人投手は、1965年のドラフト制度導入以降、1968年に藤原真(慶応義塾大学→全鐘紡)がプロ初登板でリリーフで勝利を挙げ、1990年に前年ドラフト1位の西村龍次(ヤマハ)がやはりリリーフで初登板、初勝利を挙げている。

その後、スワローズの新人投手でプロ初登板でプロ初勝利を挙げたのは、すべて先発登板で記録したもので、1993年の伊藤智仁(1992年ドラフト1位)、2001年の石川雅規(青山学院大学、2000年自由獲得枠)、2010年の中澤雅人(トヨタ自動車、2009年ドラフト3位)、2011年の七條祐樹(伯和ビクトリーズ、2010年ドラフト2位)がおり、いちばん最近では小川泰弘(創価大学、2012年ドラフト1位)が2013年4月3日、マツダスタジアムでの対広島カープ戦にプロ初登板・初先発し、6回2/3を投げて、被安打5、奪三振6、四球2個、2失点に抑え、プロ初勝利を挙げている。

なお、スワローズの新人投手で、「プロ初登板・初先発・初完封勝利」を挙げているのはたった一人で、1952年10月10日、小山恒三(東京鉄道管理局)が京都・西京極球場で行われた、対松竹ロビンス戦で9回を被安打2、5奪三振、1四球、無失点に抑えて達成している。

では、スワローズの前身チームを含めて、最初に新人投手でプロ初登板・初勝利を挙げたのは誰なのか?


高橋輝  スワローズ球団最初の勝利投手

高橋輝(あきら)は埼玉県出身の左腕投手で、大宮実科工業学校(現・県立大宮高校)から中央大学へ進むも2年で中退、1950年に創設と同時に国鉄スワローズへ入団、背番号「14」を着けた。

国鉄は入団した投手全員11名が職業野球でプレーするのは初めてであった。
(8月に金田正一が享栄商を中退して入団)
国鉄の球団初の公式戦は1950年3月10日、大洋ホエールズの本拠地・下関市営球場で行われ、同じく新人の成田啓二(米子中ー慶應義塾大ー米子鉄道局)が先発登板したが、国鉄は0-2で大洋に敗れた。

翌日3月11日に平和台球場で行われた同じく新球団・広島カープ戦では、高橋が先発マウンドに上がった。
高橋輝は9回を一人で投げ切って、被安打4、2奪三振、4四球、2失点に抑え、国鉄が3-2で逃げ切り、球団初勝利を挙げた。

https://2689web.com/1950/SC/SC1.html


高橋輝は1年目は52試合に登板(うち先発27試合)、200イニングを投げたが、制球難のためリーグ最多の178個の四球を与え、規定投球回数に達したセ・リーグの投手で24位、最下位となる防御率5.76を記録した。
なお、NPBの長い歴史で、規定投球回数に達した投手の防御率で、この年、高橋輝が記録した5.76は1980年に近鉄バファローズの村田辰美(6.22)と橘健治(5.92)、阪急ブレーブスの佐藤義則(5.82)に抜かれるまで、30年間、ワースト記録であり、74年経った現在もセ・リーグのワースト記録となっている。

それでも高橋輝は10勝15敗で国鉄球団最初のシーズン二桁勝利を挙げ、同じく新人の田原基稔の13勝に次ぐ勝ち星を挙げた(途中入団の金田正一は8月23日、松山市営球場でプロ初登板・初先発したが、サヨナラ負けを喫し、その後2か月で30試合に登板、8勝12敗、防御率3.93という成績だった)。
高橋は翌1951年、プロ2年目は防御率4.07、金田正一の22勝に次ぐ10勝を挙げ(11敗)、新人から2年連続シーズン二桁勝利を記録した。

高橋はその後、リリーフに廻ることが多くなったが、徐々に制球難を克服し、1954年に再び先発中心で7勝11敗、防御率3.26とまずまずの成績を残したものの、1955年は0勝7敗、1956年も未勝利に終わり、その年限りで現役を引退した。
プロ生活7年間で通算178試合に登板、29勝53敗、防御率4.62という成績だった。




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