「連続試合安打」記録を続けた男と止めた男たち(1)張本勲、福本豊、マートン(30試合連続安打)


阪神タイガースの近本光司が球団記録にリーチを懸けた。

5月28日、ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)から始まった近本光司の連続試合安打は7月3日の中日戦(バンテリンドーム)でついに「29」まで伸びた。
阪神では、2001年の桧山進次郎の28試合を追い抜いて、球団歴代2位となった。
そして、あと1試合、安打を放てば、球団記録となる2011年のマット・マートンの30試合連続に並び、トップタイとなる。

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では、近本光司を上回る記録を持つ男たちは、誰に記録を止められたのか?
振り返ってみよう。

1976年6月22日 張本勲(巨人)vs 奥江英幸、三浦道男(大洋)

張本勲は1975年オフ、パ・リーグで首位打者7度という偉業と「安打製造機」の異名を引っさげ、読売ジャイアンツに移籍した。
36歳を迎える1976年のシーズンでリーグの違いもあり苦戦すると思いきや、4番・王貞治の前の3番を打ち、開幕から打率3割を維持。
そして、5月13日、甲子園での阪神戦から毎試合、安打を打ち続け、6月20日、同じく甲子園での阪神戦で先発・古沢憲司からタイムリー二塁打を放って、ついに30試合連続の大台に乗せた。

張本は野口二郎(阪急)の31試合にあと1試合、そして、長池徳二(阪急)の32試合にあと2試合迫った、6月22日、後楽園球場での大洋ホエールズ戦に3番・レフトで臨んだ。
大洋の先発はこの年、先発ローテーション入りしたばかりの右腕・奥江英幸。
巨人は序盤から奥江から順調に得点を重ね、5回を終わって10安打を浴びせ、6-0とリードするが、3番の張本勲だけは3打席対戦して、どういうわけかヒットが生まれない。
6回に代わったばかりの大洋2番手左腕・三浦道男と対戦するが、この年、プロ3年目で一軍に初めて昇格したばかりの三浦を張本は打ちあぐね、三振に斬って取られた。
結局、張本に第5打席目は廻らなかった。
皮肉にも、巨人は張本以外は先発投手の小林繫も含め先発全員安打という結果に終わり、張本の連続試合安打は「30」であっけなくストップした。
なお、この試合で「張本斬り」で功を挙げた三浦は翌日6月23日の巨人戦に中継ぎで連投し、プロ初勝利を手にしている。

この年、巨人移籍初年度の張本は打率.355をマークしながら、リーグトップの谷沢健一(中日)とわずか6糸差(0.00006)でリーグ2位となり、NPB史上2人目となる「両リーグで首位打者」という快挙を逃したが、13年ぶりの全試合出場で、キャリア最多となる182安打を放っている。

1977年7月10日 福本豊(阪急)vs 村田兆治、成重春生、田中由郎(ロッテ)

福本豊は29歳で迎えた1977年のシーズン、3年ぶりの打率3割を目指していたが、5月中旬までは打率.260台とリードオフマンとしては少し物足りない数字であった。
ところが、5月18日のロッテ戦(後楽園球場)から連続試合安打が始まり、前期終了の7月2日まで毎試合、ヒットを打ち続け、打率も.316まで急上昇した。
後期に入っても好調は衰えず、7月10日、京都・西京極球場で行われたロッテとのダブルヘッダーの第1試合で、福本はヒットを放ち、ついに記録は30試合まで伸びた。

福本は同じチームの大先輩である野口二郎が持つ31試合にリーチを懸けてダブルヘッダー第2試合に臨んだ。
初回、ロッテ先発の村田兆治と対戦した福本は第1打席で抑えられたが、村田が大乱調で2回途中、6失点KOという意外な展開となった。
ロッテ2番手の成重春生にも福本は2打席とも抑えられた。
そうこうしているうちに、ロッテは阪急先発の足立光宏をKOし、6点差を追いついた。
8回、福本に第5打席目が廻ったが、ロッテ3番手のアンダースロー右腕、田中由郎の前にあえなく凡退。
試合も序盤6点リードからの逆転負けで15-8で大敗を喫した。
福本本人曰く、この試合、内野安打性の当たりがあったものの、誤審でアウトにされたとのこと。
福本は戦前の阪急の大先輩、「二刀流」の野口二郎にあと1試合及ばず、一緒にプレーした先輩の長池徳二に2試合及ばず、連続試合安打のチャレンジを終えた。

尚、ロッテのドラフト1位だった田中由郎は1977年シーズン終了後に交換トレードで、横浜大洋ホエールズへ移籍しているが、その交換相手の一人は前年の1976年、張本の連続試合安打を止めた投手・奥江英幸だった(もう一人は同じく投手の渡辺秀武)。

2011年10月12日 マット・マートン(阪神)vs 内海哲也(巨人)

マット・マートンはMLB/シカゴ・カブス等で5シーズンを過ごし、通算29本塁打を記録した後、2010年、阪神入りすると、144試合全試合出場でいきなりシーズン214安打を放ち、イチロー(オリックス)が1994年につくったシーズン安打記録の210安打(130試合)を抜く快挙を成し遂げた。

マートンは翌年2015年、開幕戦に「1番・ライト」で起用されると、初回先頭打者本塁打を放ったが、4月は打率.234と低迷した。
ここから調子を上げ、前半戦をリーグトップの打率.325で折り返したものの、オールスターゲーム明けに再び低迷し、ついに打率は3割を割った。
9月4日、甲子園での横浜戦、先発の三浦大輔から第1打席でセンター前ヒットを放つとそこから息を吹き返し、前年のように安打を量産し続けた。

マートンの大記録更新に立ちはだかったのは巨人の投手たちだった。
マートンは29試合連続安打が懸かった10月10日、東京ドームでの巨人戦、先発の西村健太朗と対戦したが3打席ノーヒット。
8回の第4打席、巨人4番手の福田聡志と対戦、ライト前にはじき返してなんとかクリア。
翌10月11日の巨人戦では先発の東野峻と対戦した第1打席にレフト前ヒットを放ち、当時セ・リーグ2位タイ、NPB4位タイとなる30試合連続安打。

そして、10月12日の巨人戦では先発の左腕、内海哲也と対戦、四球、 セカンドゴロ、 空振り三振 に倒れて4打席ノーヒット。
1-1で迎えた9回も、マートンに5打席目が廻ったが、130球を超えて続投する内海の前にセカンドゴロに倒れた。
そのまま試合は延長に突入した。
すると延長10回裏、巨人の攻撃は2死一、二塁の場面で、内海の代打、高橋由伸が劇的なサヨナラ3ランホームラン(シーズン14号)を放った。
巨人は2試合連続でサヨナラ勝ちを収め、147球を一人で投げ抜いた内海はシーズン17勝目を挙げ、そしてその瞬間、マートンの連続試合安打も「30」でストップした。

この年、マートンは首位打者こそ長野久義(巨人)に譲ったが、180安打を放ち、2年連続でリーグ最多安打のタイトルを獲得した。

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