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日記:Day5 しまなみ海道(①伊予編)

阿波安芸旅は、阿讃の部を終えて、今日から安芸へ移行する。

今治のサイクリスト御用達ゲストハウス「シクロの家」で涼やかに朝を迎える。平日の今治の駅前というのに、のどかなものだ。

今日は、125cc原チャの相棒にまたがり、芸予諸島をしまなみ海道で本州に渡って移動した。

原チャ万歳!メガトン級大橋を風切って興奮

今治駅前のシクロの家を後にし、原チャで橋に向かう道中、私は興奮していた。これまで、こんなメガトン級の大橋を車以外で渡ったことが無い。どんな風景なんだろう、とドキドキしながら、今治から最初の橋となる「来島海峡大橋」の乗り口に向かう。

普通車とは全く違う入り口で、橋のたもとの辺りにある、原付・自転車・歩行者専用の入り口へ。えっ!こんなショボい入り口?と目を疑うような細い道路を入っていく。

ホントに橋に乗れるのか?と疑いつつ螺旋状に高度を上げていくと、たしかに橋の上を走っていた。

平日の午前10時過ぎだからだろうか、対向車はほとんど無く、気ままに快適に走れた。土日などサイクリストが押し寄せる休暇期間は、また風景が変わるだろう。ふと横を見ると、高高度からの瀬戸内の絶景が広がっていた。

そうして、最初の経由島である「(伊予)大島」に降り立った。


廃校に、村上海賊ミュージアム

もともと、大島では村上海賊ミュージアムを見ようと思っていたが、向かう道中で大きめの廃校舎を見つけたので立ち寄り。そこは、「愛媛県立大島高等学校」の廃校舎だった。

1948年に「大島高等学校」として設立され、2005年に今治南高校の分校となったのち、2009年3月に閉校したそうだ。閉校時の生徒数は22名とのこと。閉校後10年超を経た校舎は、草木が生い茂り、流れが止まって朽ちていく過程に見えた。これぞ、過疎の地の学校の悲哀そのものという感じだった。

予定にない廃校見学を終えて、大島を北に進む。北の波止場を右折すると、そこには「村上海賊ミュージアム」が姿を現した。

JAF割を使って250円で館内へ。展示を見て初めて、以下の3点を学んだ。

・「村上水軍」の村上氏は室町時代に信濃から赴任してきたこと
・村上水軍に3つの分家(来島村上氏、能島村上氏、因島村上氏)があって各々が別の意思決定をしていたこと
・「海賊」といっても、東国は海上戦闘集団(水軍)であり、西国のは水軍の性質に加えて海運・安全保障・貿易などマルチファンクションだったこと

実に面白い。すっかり気に入り、「村上海賊タオル」666円を購入して、島を後にした。


伯方島は、「伯方の塩」の島

大島の北端から橋を渡って伯方島に入った。ここは、「伯方の塩」で誰しも間接的に存在を知っている島だ。

しかし、特に見学などせずに、今治造船配下の「しまなみ造船」のドックを見たのみで、次の島へ。


30数年ぶりの来訪、大山祇神社のある大三島へ

伯方島の西方から橋を渡ると、そこは「大三島」であった。ここでは、日本の鎧兜の国宝の7割が納められていると言われる大山祇神社があって、亡き祖父に連れてきてもらって以来の30数年ぶりの参詣をするつもりだった。

社に向かう道中、また廃校を見つけて立ち止まる。あぁ、なぜ廃校に目を留めてしまうのだろうか。

島を横切る形で社に到着すると、立派な石碑と鳥居が迎えてくれた。想像通りの立派な構えに、なぜか嬉しくなる。そういえば、来島村上氏も、この社の修繕に多額の出資をしたらしい。海賊たちの信奉を集めた社だと言えるだろう。

参詣を終えて宝物館に行こうと思ったが、新型コロナのせいで閉館中だとのこと・・・。そういえば、この旅を通じて、色んなところの展示館や展示コーナーが閉鎖措置されていた。大事な文化的体験の機会を、しょぼいウイルスごときにビビって奪うとは・・と不謹慎にも憤りを感じた。

授与所へ行き、相棒のスクーターに貼るステッカー型の交通安全守を受ける。金を納めるさなかに、巫女さんに雑談を仕掛けるが、みな一様に素っ気ない。何より、大山祇神社に関する知識が俺より乏しい。・・・バイト巫女の愛の無さにイライラして、「あ、ググるんでもう結構です」と叱咤のつもりで会話を打ち切って帰ってきた。せっかく由緒のある伝統深い社にもかかわらず、バイト巫女の愛と熱の低さを勝手に感じ取ったつもりになって意気消沈。

予定よりここまでだいぶ時間を使ってしまったこともあって、次の島へと移動を開始。しかし、次の島に掛る橋(多々羅大橋)の乗り口の手前で「しまなみ百景」の看板を見つけて、多々羅大橋展望台に足を延ばす。

そこは、大三島北岸の周辺を360度見渡せる絶景であった。掃除に来ていた地元のおっちゃんと雑談をして、色々な島のことを聞いた。

次の生口島から広島県に入る。ついに、この旅の四国編はここで完結だ。


しまなみ海道の伊予編を振り返る

しまなみ海道を原チャで渡る行程も、前半の伊予(愛媛)が終わった。ここまでの行程(大島・伯方島・大三島)を振り返る。

東京でも「大三島は盛り上がっている」という噂を聞いていたし、ゲストハウスなどやられている方の話も聞いていたので、実際に渡る前は大三島が圧倒的に盛り上がっているのだろうと思っていた。

実際渡ってみると、確かに大島・伯方島は通過点の感が濃い気がした。大島には「村上海賊ミュージアム」という訪問者の目を引くスポットを持っているわけだが、その割に人のエネルギーが沸き上がり盛り上がっている感じが少ない。ミュージアムのカフェも活気が無かったし・・・。

想像するに、村上海賊ミュージアムが今治市(自治体)の運営だからか。つい360度安全を指向しがちな自治体には、どうしても「無難」に倒すきらいがあるように感じる。村上海賊ミュージアムは奮闘していると思うが、ワチャワチャ感(海賊感と読んでいる仕掛けの匂い)が出てない。特に、まちの周辺部分に、村上海賊感がちっとも無いのが気になった。もしかしたら、今治市内のベッドタウンと化して、住民の「島民」アイデンティティは高くないのかもしれない(勝手な想像で言ってます・・)。

一方、大三島に関しては、「思ってたほどでも・・」感もあった。といって、大して時間を掛けてないし街歩きもろくにしてないので、本当のところは分からない。ただ、結構立派なハコ(建物)があるのは分かったけれども、ワチャワチャしたエネルギー噴出感は受けなかった。私が原チャで通った地区が良くなかったのだろうか・・。


後半の安芸(広島)編も、是非お読みください。


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