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信じる、想い

 私がテーマとして掲げ、自分に繰り返し問うていたのは“コトバ”である。この通信然り、届けたい相手にどのように言葉を紡げば<想い>が届くのか、そしてその片鱗が伝わるのか。対話型オンライン勉強会に月一回参加し、至極苦手な感想文(1200字)を毎回執筆するにあたり、自分のココロの中にいる小さき私と向き合いながら、自己対話を続けてきた。本当に伝えたいことなのか、心地よく書いているのか、一言一句に感性を研ぎ澄ませるが、語彙が少ない私にとっては四苦八苦の連続だった。
 最近読破した本でグイグイ引き込まれた本を紹介しよう。SHOWKO『私らしい言葉で話す』、土門蘭『死ぬまで生きる日記』、若松英輔『終わらない本』である。あるとき、この通信とは別のお便り(仮にM通信と呼ぼう)を読んだある人が「このお便りはあなたが生存している証になる」と言っていた。なるほど、斬新な捉え方だ。確かに、この2冊目の本を読んでから、M通信らを執筆するのは私の生存理由そのものではないかと思うに至る。実は小学生のとき失態を犯してから文章を書くことから疎遠になり、書かざるを得ないときも不安でいっぱいだった。しかし、このような拙文でも熱心に読んでくださる方がいるからこそ、想いを綴り、何かを伝えようという勇気が心の奥底から湧いてくる。まさに感謝の至りである。そんな中、勉強会の後半になって、感想文を書く私に変化が訪れた。弱き自分、過去の自分を認め、温かく聴いて受け入れてくれる友だちを信じ、それらを伝えようとしたのだ。そうしたら、もともと「書く」ことが好きだったのではないだろうかと気づく。上手下手はともかく。
 ところで、人はどんなときに他者を信じられなくなるのだろうか。私が思うに、人は他者に必要とされていないと感じたときに、前に進めなくなり、信じる想いが薄れる。あなたを心から信じることができれば、お腹を見せることもある。つまるところ、弱き部分を他者に見せてもいいと考える。自分が信じることさえできれば、どんなことが起きようとも疑うことはしない。ましてや1mmたりとも疑いたくない。そういう関係こそが本来の友だちのあるべき姿ではないだろうか。正直、私には友だちと呼べる人が少ない。果たして、小学校で歌うある歌のように友だちが多ければいいというものだろうか。どんなしんどいことを言われようとも、根っこでは信じる。ときにはすれ違うことはあるかもしれないが、信じ合っていたら、元の鞘にきっと納まることだろう。そう願う。
 “生きる日記”であるM通信を読んでいる人は、私がどんなことを書こうとも温かく受け入れてくれる。そう固く信じている。もし、そこに疑う余地があったら、7年も続かない。過去にあった辛いことも、今起きている辛いことも、容易に言葉にできるものではないことは身をもって理解している。だからこそ、身近に信じる仲間、そして友だちが一人でもいてくれたら、これから“生きる勇気”になる。こんなことをミヒャエル・エンデ『モモ』が私に伝えてくれたように感じる…。

매일 밤 너를 생각해 이상해요  毎晩あなたのこと考えてる 変でしょ
CSR (첫사랑)『러브티콘 (♡TiCON) 』

🎵 人生いろいろ。人の色もいろいろ。対話を楽しもう~ 🎵
 
【Color 84】授業中、寝ないようにするにはどうすれば良いですか。
【A】すみません。寝ていた常習犯なので、正直なところ、お答えしにくいですね。とはいえ、私の授業のときにあなたが寝ていると感じたことはほとんどないですから、気にしないでいいと思いますよ。寝させないというか、飽きさせないような授業になるように日々努めています。だから、楽しんでいただけたら、あなたにとっても意味のあるものになる気がしています。ただ、知っていることとか、自分にとって有益でないと思うことだと、眠くなってしまう可能性はあります。人間の避けられない習性なのです。ずっと寝てしまうのは考えものですが、ときどき寝てしまうのは目を瞑りますよ(笑)。
 
【Color 85】先生が考える、良い人、優しい人はどんな人ですか。
【A】私にとって優しいと思える人が、誰にとっても優しいとは限りません。それは良い人も同じですね。こんな風に思いたくないのですが、結局のところ、自分にとって都合よいかどうかとなってしまうのです。その人が思うように接してくれる人を優しい人と思い込んでしまうというか、心理的にそういう捉え方をしてしまうのではないでしょうか。これについては、僧侶であるアルボムッレ・スマナサーラ氏も同じようなことを語っています。
 因みに、某県立看護大学の2次試験の面接では、「あなたにとって優しさとは何ですか」というような質問をされることがあります。逆に、あなたならこれにどう答えますか。
 
【Color 86】私は今まで部活を理由にほとんど家庭学習をしてきませんでした。しかし、定期考査直後からなぜか自然と勉強するようになってきました。少しずつですが、最近は勉強しない日を作らないということを目標に毎日過ごしています。それは良いことだと思うのですが、勉強するようになったきっかけが自分でも分かりません。先生は何の前触れもなく「何か」に対するやる気が出たり、習慣化したりしたことはありますか。
【A】とても素晴らしいことですね。良い兆候だと思います。考査での勉強がきっかけになり、そういう流れが出来たのでしょう。そういうタイミングだったのではないでしょうか。私は大学のとき、試験が終わった後は、何でも覚えられる感じがして、途轍もなく賢くなった気がしていました。もっと勉強したいと思いましたね。やる気に満ち溢れていました。因みに、私は本屋さんに行くと必ず「やる気」が出てくるので、毎週行っていました。本を読むのは苦手でしたけど(笑)。勉強は好きですからね。
 以前、授業で海外塾講師ヒラ著『勉強嫌いでもドハマりする勉強麻薬』の話を少ししました。私は電車通勤をするようになってから、スキマ時間を有効活用できないかと考え、なぜか本を読もうと思ったのです。そして、本を読み始めたら、毎日読まないと気が済まないほどになりました。ずっと本を読むことが苦痛だったのに…。今や、頭が痛くても、何とかして読みたいと思うほどになっています。
 
【Color 87】テストの結果がとてもショッキングな点数だったので、遊び過ぎだし部活にのめり込みすぎたなと深く反省するものでした。
【A】あなたがここ最近とくに授業で頑張っていることを知っています。今回の結果には残念ながら表れてきていないかもしれませんが、この点数で落ち込むことなく、次のステップに向けて取り組んでみたらどうでしょうか。あなたの努力は必ず報われると信じています。

2023.12.8

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