やればできる

 DREAMS COME TRUE(ドリカム)の歌『何度でも』の中に、“10000回だめでへとへとになっても10001回目は何か変わるかもしれない。その明日が10001回目かもしれない”という歌詞がある。そもそも、結果はともあれ10000回続けていることだけでも凄い。バスケの神様であるマイケル・ジョーダンさんは、“10本連続でシュートを外しても僕はためらわない。次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう”と語る。偉業を成し遂げる人が語る言葉には重みがあるし、得心する。
 身近なところで考えてみる。『行列のできる法律相談所』という番組で、フットボールアワーの後藤輝基さんがA.B.C-Zの河合郁人さんになり切ってライブに出るという企画があった。後藤さんは運動音痴で踊りは全くダメなのに、2カ月間猛練習して舞台に立つ。7割の観客は気づかなかったほどの完成度。誰もがダメだと思える企画だが、“やってできないことはない。やればできるんだ”と感心した。
 不得意とか、苦手とか、今できないからといって諦めてしまうなんて、安易な選択で滑稽だなと痛感する。とはいえ、点数が取れないという理由で自ら選択の幅を狭めるのも人生の一つなのだろう。やりたいと思うことに挑戦することよりも、できないことで目を瞑る方を選択してしまうなんて勿体ない。共通テストまで92日だが、まだ時間はある。やれることはいくらでもあって、積み重ねられる。諦めたら、そこで試合は終了だ。やりたいことが本気であるなら立ち向かおう。何度でもいいから立ち上がろう。失敗したらやり直せばいい。明日になったらできるかもしれない。1月になったらできるかもしれない。自分が自分のことを信じてあげなくて誰が信じてあげるのか。
 最初から何でもできた人など存在し得ない。そのものに真剣に向き合う時間が長かっただけに過ぎない。努力することによって、自分の道が開けるチャンスを得る。結果はともあれ、目の前にあることに挑戦し続けている人は、どんどん魂を磨き、徳を積んでいる。だからこそ、輝いて見える。
 マイケル・ジョーダンさん曰く、“何事をなすにも、正しい方法と間違った方法がある。たとえば、毎日8時間シュートの練習をしたとしよう。もし、この場合、間違った技術で練習を続けていたとしたら、間違った技術でシュートする名人になるだけだ。”これはまさに勉強にも相通ずることだ。しかし、何が正しくて、何が間違っているかはすぐには分からない。それは入試の結果が教えてくれるかもしれない。でも、本番で判定されるのは些か酷である。だから、模試を本番と同じ意識で受けることが大切。模試ができないのに本番だけができるはずがない。練習でできないことが試合でできることは可能性として低い。練習は嘘つかない。勿論、勉強も嘘はつかない。相反することを言っているかもしれないが、本番だけができると期待するのではなく、毎日毎日の積み重ねによって結果は必然的に決まってくる。
 “言葉(思考)は現実化する”ので、とにかく最後の最後まで、「無理だ」なんて軽々しく口にしないことである。これは必ずやあなたの運気を引き寄せる。

2021.10.15

この記事が参加している募集

オープン学級通信

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?