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アメリカでのPhD2年目の振り返り

こんにちは!春学期もついに終わり、PhD生活2年目が終わろうとしています。アメリカ生活は修士から数えて4年目、いよいよ5年目に突入しようかというところです。なんの感慨があるわけでもないですけど、一人になることを選んでこんなところまで来て、毎学期果てしない絶望を繰り返しながらも、何か実りがあると信じてワークし続ける生活をもう4年も続けてきたのかと思うと、思うことも多少はあります。「一体どこまで続くんでしょう」?

自分は全く効率の良い人間ではないので、周りより努力しないと自分自身に納得できず、結果週に三日くらい寝られないのは当たり前です。徹夜する人はきっと共感してくれると思うんですけど、夜中2時3時くらいの、「今晩中にやりたいこと」の量に圧倒され、朝までの時間を数えている時の心情が辛くて。でもそこを乗り越えれば、終わろうと終わらまいとあとは自分を信じてやるだけなので大丈夫なんですけど。

ただこれでも昔に比べればもう少しだけ、人間らしい生活をするためのバランスを考えるようにはなりました。アメリカに来たばかりの時は、今よりもっとお金もなくて、ご飯もそんなに食べられなかったし、友達と出かけるのも大変でした。何より、修士を出たあと博士に入れる確証がなかったことが、メンタルに常にのしかかっていたなぁ。アメリカに来た手前、博士取れずに帰国するのはどうしても嫌だったんですよね。奨学金も取らないといけなかったし。修士の時も博士の時も、受験にあたってその当時の先生に「君なら絶対できるから死ぬ気で頑張れ」と励ましてもらって、甘々な自分もなんとかここまで来られたと思います。

そうでなくても前は、慣れない生活で余計にお金を遣ってしまうこともあったりして、その度にしんどい気持ちになってましたけど、今となってはそんなこともほとんどなくなり、英語での友達の作り方もそれなりに学んで、普通に友達と楽しく過ごせています。

現在ニューヨークは朝の9時、朝からこんなことを書いているのも気持ちが暗くなりますね!昨日は車の免許を取りに行き、ビーチに出かけ、夏休みで地元に帰っていく友達にお別れをし、そのあと友達とカフェでホットチョコレートとマフィンを頼みました。気候も良くて、この学期終わりの時期のNYは本当に素敵です。地獄のセメスターが終わった開放感もあって、この1〜2週間は家にいて何もしていなくてもハイになってしまいます。ユートピアって感じ。ハイになる分、感傷的にもなるんですけど笑
そういえばこういう季節の変わり目での気分の高揚って、日本にいた時は感じたことなかったなあ。

近所に良いカフェがたくさんあるのがささやかな幸せ


以前にも少し書きましたが、今年は主に電子音楽スタジオのTAをしながら映画音楽、ドイツリート、哲学なんかの授業を取っていて、他にはコンサート運営なんかにも参加しました。オーガナイザー側に回ることはアメリカでは初経験だったので、苦労もしましたけど、いい経験をできました。授業外ではComputer Scienceの研究グループとAI音楽のリサーチに関わったり、個人のプロジェクトとしてもAI、neural network、deep learning、GPTなんかを勉強したりして、少しずつ卒業のための論文制作の準備を始めた年でもありました。

セメスター中は作曲はやっぱりあんまり進まなかったけど、Distant (for 2 voices, harp, and electronics) という曲と、The Ballade of the Lonely Masturbator (for snare drum solo) という曲を作りました。 夏には弦楽四重奏 (in Valencia, Spain!) とオペラの初演があるので (東京)、引き続き頑張ります!

またつい先日OSSIAという歴史の長い現代音楽のアンサンブルグループのtechnical directorに任命されました!一言で言うならエレクトロニクスの担当です、失敗しないように頑張りたい、

あとはもちろん、noteを書き始めたのも今学期中のことでした。音楽について書こうとするといろんなことが頭をよぎって、逆に難しいんですけど、引き続き書いていくつもりです。意外にもフォロー外の人からDMをいただいたりすることもあって、やりがいあります。今後ともよければ応援していただけると嬉しいです!


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本当に個人的なことしか書けていなくて恐縮ですけど、最後にもう一つだけ、今学期にあったことで書き残しておきたいこと。作曲科の教授で、今年85歳の先生が、今学期をもって退官されました。彼はset theoryの専門家で、私も彼の授業や本から、多くの作曲のアイデアに繋がるセオリーを学びました。また彼はセリー音楽や20世紀アヴァンギャルド様式の音楽のスペシャリストでありつつ、アジア、特にインド・カルナティック音楽の様式に明るく、それに関係した作品を数多く残している作曲家でもあります。この間のコンサートで演奏されたアンビソニックス作品"Music of the Sphere"もそうした曲の一つですが、理屈抜きで (理屈もですけど) 本当に良かった。正直、私の音楽観を変えてしまうような経験でした。

そんな教授ですけど、人としては茶目っけも豊かですが"大変に"シニカルで、まさに「大学教授」といった感じの性格でもありました。彼は私の大学院生活のアドバイザーでもあったのですけど、Eastmanに入った直後、初対面で言われたのは、

"I know why my colleagues accepted you."
これって、「(他の教授たちは違うかもしれないけど)僕は君のこと認めてないけどね」って含蓄ですよね。笑笑 皮肉がすぎる。

その半年後くらいには、自分のプロジェクトについて話していた時に
"I don't understand your English. You are a PhD student so you should be able to communicate your ideas fluidly and professionally."
と言われ、一瞬言葉を失ってしまいました。でもその言葉より一番辛かったのは、それを見かねたクラスメートの親友が間に入ってきて、仲介してくれたことでした。それまで誰かにそんなことを思われていたとしても、面と向かって言われたことはなかったので、そうやって友達に頼ってしまった自分が本当に情けなくて、悔しい気持ちでした。でも、言われたことは本当にその通りだと思ったし、そのおかげで、ただ日常生活でコミュニケーションを取れればいいだけじゃない、もっとちゃんとした英語を喋れるようになりたい、いつでもちゃんと準備しなきゃだめだと思うようになりました。

先月くらいだったかな?Distantという自作品についてプレゼンをする機会をいただいて、興味がある人は誰でも来ていいよというちょっとしたリラックスした環境で、作品のコンセプト、自分のしてきた経験、技術的な詳細などについて質疑込みで2時間くらい話をしました。そこにその先生もやってきて座っていたので、私としては至極当然、身の引き締まる思いだったのでした。そしてHDMIのマシントラブルで、用意していた原稿が読めなくなり (会場の部屋がギリギリまで空かなかったのでトラブルシューティングする時間がなかった。。。)、記憶と練習を頼りに喋ることになったのですが、自分的には65点くらいのプレゼンだったかなと思います。それでも最後に彼が声をかけてくれて、"Good job, Ko. You are not someone else."と言ってくれたのが本当に本当に、作曲を好きと言ってくれたのと同じくらい嬉しかった。彼は退官直前で、きっと最早いつものシニカルなモードではなかったのだと思います、でもそれでも、いつでも150%でやっているつもりの私からしたら、彼が決してお世辞を言う人間ではないことも知っていますから、やっと報われた気持ちがしたのでした。まあ、読んでわかるように、非常に閉じた世界の中での話なんですけどね。


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だらだらと自分語りを失礼しました。夏は楽しい予定がいっぱいなので、また次のセメスターに向けて力を蓄えていきたいと思います。noteの方も頑張ります、何卒よろしくお願いします!

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