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はなのはなし

いつの話だっただろうか、ふと旦那(当時はまだ彼氏)に好きな花を聞かれたので、「かすみ草と…あとは、季節が夏だったらひまわりかなぁ」と答えたことがあった。
すると、昨年の7月、私の誕生日当日に、彼はひまわりとかすみ草の花束を抱えて、いつもより早く帰ってきた。欲しいものも特にないし、タイミング的にも出費(指輪とか指輪とか指輪とか)がかさむであろう彼氏に負担をかけたくないので、誕生日プレゼントはいらないよ、と言っていたのに。不意のプレゼントに嬉しくなった。

かすみ草は好きだ。好きな花を聞かれたら、必ず名前をあげる。
どんな花束にも必ずと言っていいほど入っているくらい、どんな花にも合う名脇役である一方、それ単体でも見事に可憐で可愛らしい。

私は幼少期から体が大きい。その体格の良さからか、モデルみたい、スポーツ選手みたい、健康そう、丈夫そう、と数え切れないほど言われてきた。
自分の体は嫌いではないが、自分とは真反対の、小さくて可愛い、守ってあげたくなるような華奢な女の子にも憧れる。フリルやリボンで着飾るのがよく似合う、そんな女子に生まれたかったと思う時はよくある。
かすみ草には、私には無いそういった可愛らしさを感じる。

ひまわりも好きだ。目に鮮やかな黄色は、一瞬で大好きな夏を連想させる。
あの肌に張り付くような蒸し暑い空気と、空高く湧きあがる入道雲と、稲がぐんぐんと伸びる水田の風景が、久石譲のSummerをBGMにして脳内を駆け巡る。
その風景の中に、誇らしげにしゃんと胸を張っているのがひまわりだ。
夏が、あの一輪にぎゅっと詰まっているのだ。それほどにエネルギッシュな花だ。見ているだけで元気が出てくる。

ここまで書いてふと気づいたが、私の好きな花は、私の理想像なのかもしれない。
なりたいけど叶わない、ないものねだりの理想像と、今の自分にとって実現可能な理想像。
それが、かすみ草とひまわりなのかもしれない。
かすみ草のような華奢な女の子になるにはあまりにもかけ離れた体型なので、現世ではひまわりのように、見ているだけで周りの人に元気を与えられるような、そういうものに私はなりたい。

取り止めもない、はなのはなしでした。

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