見出し画像

サブカル大蔵経732大貫恵美子著/阪口諒訳『樺太アイヌ民族誌』(青土社)

約50年前の英文研究書の翻訳。

久々、青土社の本を読みました。

何となくアイヌ関連の他の類書に比べて良い本だと思いました。

樺太という補助線によって、アイヌの生活がより具体的に記述され、同時に日本や北海道の中のアイヌではなく、世界のアイヌだと相対化された安心感を覚えたような。

北海道と樺太。日本人とアイヌの平行。

その常識を突き破る。

樺太アイヌを通して人間の世界が広がる。

画像1

満州人や和人だけでなく、仲買人となった他の民族までもアイヌを搾取していた。特にニヴフはアイヌに対して残酷な態度をとり、借金の返済ができなくなったものを奴隷にしていたと言われている。p.15

 ニブフにアイヌが虐げられていたという記述。この地ではアイヌが強者かと思っていました。

移住先である北海道札幌市近郊の対雁にちなんで対雁アイヌと呼ばれている。p.17

 樺太から北海道へ引き揚げ。旭川から当別経由で札幌に入る時、最初の地名がこの辺りです。

稚咲内を選んだのは、そこが約160人の樺太アイヌが暮らす日本最大のコミュニティだったからである。/彼らは完全に和人の偏見の的となっていた。/私を個人的に温かく見守ってくれたアイヌの方々と親しくなるにつれ、アイヌとはみなされたくないという彼らの気持ちを尊重しなければならないと感じた。p.23

 上原善広『辺境の路地へ』(河出書房新社)を読んだ時、この天塩地方にあったアイヌの碑が消えていて、その存在を地元の人が誰も知らない、という印象的な文章があったことを思い出しました。

主に、クマ、トナカイ、ジャコウジカから油を得ることができる。肉を煮て脂が鍋の上部に浮いてくると、鍋から掬い、アザラシの胃袋に入れて貯蔵する。p.34

 バターは駱駝の胃袋。熊は海豹の胃袋。胃袋保存最強説。

実際、クマの木彫りのアイディアはスイスから来たもので、1920年頃、アイヌが自らの木彫技術を使って余分にお金が稼げるように、和人が北海道旭川のアイヌに紹介したのだった。p.64

 昔、バリ島のケチャダンスを調べたら、欧米の人のアドバイスで出来上がったと知りました。それを思い出しました。外部のコンタクトが伝統を生む。熊の木彫りの歴史は旭川説と道南の八雲説が出ています。

屋外で死亡した場合は、全く異なるタイプの葬式が必要になる。こうした場合の全てで、遺体は家に持ち帰られることもなく、墓地の通常の区画に埋葬されることもない。/アイヌ語のソヨイサム(外での死)。p.117

 アイヌの葬送儀礼の取説。どこで死んだかの情報と判断。最も恐れるのは水死。

クマに殺されたアイヌは、人間のあの世に行く前に山の神々の世界を訪れると考えられている。そのため、特別な安置・埋葬処理が必要になる。葬式は、クマが故人を殺したまさにその場所で直ちに執り行わなければならない。被害者もその場所に埋葬されなければならない。p.118

 自殺や事故現場でのお参りと似ている。

アイヌが神として選び出す存在の最も重要な特性は、人間の能力を超えた特別な性質であると考えられる。アイヌの神々の大半は同時に人間に利益をもたらすものである。p.181

 ヒンドゥの神々と似ているか?

この記事が参加している募集

読書感想文

本を買って読みます。